短編
□ねぇねぇ、
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詩紀は今、先輩であり恋人の小平太を探していた。
というのは、今日の放課後に会う約束をしていたのだ。
しかし、急遽午後から彼は裏々山で実践の授業になったらしく、帰ってくるのは夜になるそうだ。
放課後、会うのを楽しみにしていた詩紀は、小平太が授業に行ってしまう前に、自分から会いに行こうと思い立ったのだ。
「七松先輩…どこかな…」
もしかしたら、もう裏々山に行ってしまったのかも。
そう考えたら、詩紀は諦めようかなと、思い始めた。
迷惑になるかもしれないしな…
小さなため息をついて、くのいち教室の方へ足を進めようとした時だ。
後ろから、探していた声が、詩紀の名前を呼んだ。
「詩紀、こんなところでどうした?」
「あっ…七松先輩…」
会いたくて仕方なかった彼は、明るい笑みを浮かべて、詩紀を見つめていた。
思わず、小平太に駆け寄る。
「えっと…先輩を探していました…」
「私を?なんで」
「あ、会いたかったから…です」
「…そっか!嬉しいぞ」
彼は、本当に嬉しそうな笑顔になった。
詩紀は、その笑顔を見ると、いつも心臓がどきどきして、嬉しくなる。
「あ…すまん。せっかく探してくれたのに…もうそろそろ、裏々山に行かなくてはならないんだ」
しかし、その笑顔はすぐに申し訳なさそうな顔になった。
小平太は短く謝ると、その場を離れようとした。
詩紀は、とっさに小平太を引き止める。
「先輩っ」
「ん…?」
「あ、あの…ちゅー、してくださ、い…!」
「え…」
突然のお願いに、小平太は一瞬固まった。
すると、少し離れたところから、小平太を呼ぶ声がして、彼ははっと我に返った。
「すまん!私、行かなきゃ」
そう言って、彼は声の方に走って行ってしまった。
詩紀は、悲しくなって、うつむいた。
「…い、いい、もん」
強がってはみるが、鼻の奥がつんと痛んだ。
意外と、小平太は恋愛事に関して冷めているほうだ。
あまり会えないし、会いに行っても、小平太の友人が来ると彼はそっちに行ってしまう。
別に、友人を優先したっていい。
たかが、4年の付き合いの詩紀と、6年の付き合いの彼らでは、比べものにならないくらいの差があるに違いないのだから。
それでも、ほんの少しのお願いくらい、叶えてくれてもいいんじゃないか、と。
もしかして、もう私のことなんて好きじゃないのかも、と。
考え出したら、詩紀はとことん悪い方に行く。
くのたま版、作兵衛とよく言われている。
「…なんだか、私ばっかり好きみたい…」
言葉にしたら、余計そう思えてきて、詩紀は泣きそうになった。
「……戻ろ」
今度こそ、くのいち教室に帰ろうと踵を返した時、後ろからぐいと手を引かれた。
振り向くと同時に、頭にぽんと優しく何かが乗り、大好きな声が耳元で響いた。
「…夜、部屋にいろよ」
「えっ…」
「……たくさん、してやるから」
そう言って、彼の身体は離れていった。
詩紀の頭に乗せられたのは、小平太の大きい手だったらしい。
惚けている詩紀の額に口づけをひとつ、落とした。
「今は、これで我慢な」
彼は、再び走り去っていった。
詩紀は、額を押さえて、赤面した。
終わり