守りたい 第四部


□第96話
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【いつかの近い未来に】



 両親が義弟を連れて父方の実家に泊まりで出掛けたその夜、蔵馬は優梨を自宅に招いていた。下心込み込みの、名ばかりの勉強会の為に。

「ちょっと……」

「いいじゃない、少しくらい」

「いっつも少しじゃ済まないじゃん!」

「じゃあ正直に、今夜は一晩中シたい」

「バカ言うなぁ〜〜!!」

 触れていた手をぐいっと剥がされたところで、ふと漂う血の匂い。一瞬優梨のそれかと思い、拒んだ理由はそういうことなのかと訊ねそうになったが、視線を上げてその言葉を飲み込む。
 窓辺に匂いの正体がいた。

「飛影、どうしたんだその傷?」

「え? うわっ、ぴぃちゃんすごい血じゃん!」

 弾かれたように蔵馬を押し退けた優梨は、飛影の身体を支えながら室内に降ろした。
 余計なことを聞かなくて良かったと蔵馬は思う。もしそんな事をしていれば、飛影の四肢に添えられたあの手が拳をつくって飛んできた挙げ句、訪問者からも白い目を向けられていただろう。

「秀ちゃん、薬くすりっ」

「わかってる。今用意するよ」

 手当てをする際、少しだけ恨みの眼差しをぶつけてやった。ラブシーンを邪魔されたのだ。そのくらいは許されるだろう。

「その傷、躯に?」

「…………」

 飛影の沈黙は十中八九肯定だ。
 正直なその反応に、優梨の表情が曇る。躯の妹分にして良き友でもある彼女にしてみれば、いろいろ思うところもあるのだろう。
 痴話喧嘩と呼ぶには激しすぎる争いだが、かといって第三者がしゃしゃり出て首を突っ込むのも如何なものか。それがわかっているから優梨もヘタに口を挟めず、眉尻を下げるに留めているのだ。より縁遠い蔵馬に出来る事はほとんど無いと言っていい。

「調達してもらいたい物がある」

 飛影が欲したのはヒトモドキ――宿主の肉体と融合し、脳を破壊しない限り半永久的に生き続ける寄生植物。かつて戸愚呂兄に植え付けた邪念樹同様、相手に永遠の生き地獄を与えることが出来る代物だ。
 そんなもの、一体何に使おうというのか? 訊ねるのは野暮と思いつつ、気にするなというのも難しい話で。
 なによりも、優梨が心配そうにしているから。

「これは使い方に注意が必要だ」

 それとなく探るつもりで、まずは外堀を固めてみた。

「手順一つ間違っただけで使用者にも危険が及ぶ」

「知っている。構わん」

 言外に『詮索するな』と告げられ、思わずため息をこぼす。
 お前が構わなくてもオレや優梨は構うんだよ。そのくらい、今のお前なら察せるだろう?

「オレが使った方が確実だ」

 差し出がましいのを百も承知で、もう一歩踏み込んでみた。
 飛影が不愉快そうに眉をひそめる。ただでさえ躯と揉めて不本意ながらここを訪れたのに、更に苛立たせるなという意思表示だろう。
 まったく、ご機嫌窺いもラクじゃない。
 だが蔵馬が簡単に引かないことは飛影も知っている筈だ。何か言いたげな様子がそれを物語っている。
 それでも。

「いいから黙って寄越せ」

 頑なな彼はそれを良しとしない。こうと決めたら譲らない所は兄妹そっくりだと優梨は言ったが、なるほど、こういう事なのかと納得した。

「ぴぃちゃん」

 問い掛けるように、優梨が口を開く。

「それって、むぅさんの為?」

「……お前には関係無い」

「うん、わかってる」

「なら聞くな」

「聞くよ。友達だもん」

 それは静かな会話なのに、どこかぴりぴりした空気が漂っていた。
 彼ら二人どちらにとっても躯は特別な存在で。だからこそ今は口を挟んではいけないのだろうと、蔵馬は黙って成り行きを見守る。

「あのね、別に立ち入ろうとか口出ししようとかっていうんじゃないんだよ」

 床に座り込んでのその会話は次第に優梨が前のめりになり、立てば一目でわかる身長差が今はほとんど見受けられない。同じ目線で互いを凝視する二人は、同じ人への想いを馳せながらけれど構図的には真っ向対立。
 別段、諍いを起こしている訳でもないのにそう感じるのは、それだけ両者が真剣だという事なのだろう。

「私は、ぴぃちゃんもむぅさんも好きだから」

「…………」

「ぴぃちゃんがむぅさんのことを想って、その気持ちを汲んでくれるなら、それは嬉しいことだと思うんだよ。むぅさん的にも、ぴぃちゃん的にも、ね」

「何が言いたい」

「言いたいんじゃないよ。本能レベルでわかっててくれたらいいな、って話。考えるんじゃない、感じるんだぴぃちゃん!」

「……蔵馬、貴様本当にこんな女のどこが良いんだ」

「ひどっ。応援してるのにぃ!」

「いらん世話だ。いいからブツを寄越せ」

 まとまらないやり取りに、知らず口の端が上がる。微笑ましいと言ったら怒るのだろうな、などと思いながら。
 蔵馬が種を芽吹かせて爆発的に成長させると、飛影はそれを引ったくるように奪い取る。そして『貰えるものさえ貰えればもう用は無い』と言わんばかりに背を向け、再び窓枠に足を掛けた。
 そのまま飛び出すのかと思いきや、顔だけでこちらに振り返る。

「優梨」

「なに?」

「引き際だけは良くなったようだな」

「……それ、褒めてんの?」

「さてな」

 険しさが微かに和らぐと、彼は今度こそ夜の闇の中に消える。後に残されたのは血の匂いに乗って漂う飛影の不器用な優しさの気配だけだった。

「上手くいくかな?」

「飛影と躯? ……どうだろうな」

「どっちもひねくれてるからなぁ」

「頑固で意地っ張りだし?」

「そう、そうなんだよ! あ〜〜もどかしいッ」

 どうやら優梨は、彼ら二人に良い仲になってもらいたいようだ。しかしそれには数々の困難が待ち受ける。
 正直、先は長いと蔵馬は思う。もちろん、結局のところは飛影と躯次第なのだが。
 けれど、それでも。

「上手くいったら、優梨は嬉しい?」

「そりゃモチロン。尻に敷かれるぴぃちゃんとか超見たい」

「そこなんだ」

「そこですが、何か?」

「いや、なんでも」

「ぴぃちゃんもさ、自分が恋愛すればカズくんと雪菜ちゃんのことも寛大になれるよ、きっと」

「だと良いけどね」

 先の事など誰にもわからないが、今はこんな状況を楽しむのも悪くないかもしれない。少なくとも、飛影をからかえる材料は多くて困ることは無いのだから。
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