守りたい 第四部


□第96話
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【軌跡をつくる】



「毎度ありぃ!」

 小銭を置くと共に赤ら顔の酔っ払いが立ち上がり、愚痴を言い合っていた者同士で肩を組んで帰っていく。
 今日は金曜日。週末という事でほとんどの客が居酒屋へ流れる中、それでも常連がちらほらと顔を見せてくれるのだから商売としてはまずまずだ。
 今や幽助が始めたこのラーメン屋台は、『母親に押しつけられたから』という理由で始めたとは思えないほど波に乗っていた。幽助自身、会社勤めより自営業の方が向いているとわかっているのだろう。
 ず、と音を立てて麺をすすりながら、桑原は密かに感心する。魔界帰りの魔族の王子が、すっかりあっさり人間のカオに戻ったものだと。
 魔界とのパイプを切らす事なく人間界で生きるこの男はずいぶん遠くに行ったようで、その実、何も変わっていないようにも見える。量り難い奴だ。
 そんなことを考えていると、視線に気づいた若き店主がこちらを訝る。

「……なんだよ、人の顔じっと見やがって。気持ち悪ィな」

「へっ、そりゃこっちのセリフだぜ。誰が好んでヤローのツラなんか眺めるかってんだ」

「あぁ? 見てたろ、今」

「見てねェ。断じて見てねェ。オレがテメェを見つめるとか、気色悪ぃわ」

 あり得ねェ、と首を振り、しかめっ面でスープを飲み干した。

 浦飯幽助は変わった。

 ヒトでなくなったという意味だけではない。二年前――周囲の生徒から恐れられ、教師ですら持て余していた不良少年がこんなに生き生きと屋台の大将を務めるなど、誰が予想しただろう。
 あの頃の彼は本当に陰鬱な、荒んだ目をしていることが多かった。
 あれから二年。決して長くはないその時間はとてつもなく濃い密度で、結果として、幽助からこれほど晴れ晴れとした表情を引き出すに至っている。
 本人に伝えるつもりはないが、桑原は内心で安堵していた。彼から危うい空気が薄まったことが少し……ほんの少し、嬉しいのだと思う。

「ふふっ」

 それまで静かに食事をしていた可憐な氷女が、隣の席で柔らかく微笑んだ。

「お二人とも、本当に仲が良いんですね」

「なっ、何を仰いますか雪菜さん! このヤローとはただの腐れ縁、全ッ然仲良しなんかじゃないッスよ」

「でもとても楽しそうです」

 そう言って目を細める彼女こそ楽しげで、桑原は胸が温かくなるのを感じる。雪菜も初めて会った頃に比べるとよく笑うようになり、自分がその隣に居られることはなんと幸福なのだとしみじみ思った。

 魔族の店主に、人間と氷女の客。
 闘神の王子がラーメンを作り、元不良のリーゼント学生と人間界でホームステイする雪女がそれをすする。
 客観的に見れば不思議な光景だ。
 いつか自分が年老いて死ぬ頃――彼らは今日という日を、桑原和真という男を、どう処理するのだろう?
 思い出の一ページに加えてほしい、なんて願うガラではないが……

 その先も続く彼らの道程。その踏みしめた数えきれない足跡のひとつに。確かに自分が刻まれているといいな、と。
 そんな気にさせる程度には味わいのあるラーメンだった。





【小さな交差点】



 その日は、なんでもない夜だった。
 いや違う。夜まではなんてことない日だった、が正しい。

 無計画ながらも幽助がこの度めでたく就職した事を受け、たまには仲間内で貢献でもするかと優梨は蔵馬や桑原に召集をかけたのだ。
 あいにく螢子と静流は先約があって来られないとの返答だったが、桑原が同居中の雪菜にも是非と声を掛けたのは予想通りだった。氷女がラーメンを食する。なかなか斬新で面白い。
 本人曰く、別段温かい食事が苦手という訳ではないらしいが、それを好むようになったのは人間界に来てからとのことだ。“食事を楽しむ”という概念そのものが魔界(氷河の国は特に)には無かったらしい。そういう意味でも、彼女を誘うのは正解だと思う。



 そして食事会当日。
 名目上は“皆で”なのだが、雪菜と外食出来る事に張り切ったとおぼしき桑原は約束の時間より早く店に出向いており、優梨と蔵馬が到着した頃には既にどんぶり一杯を平らげていた。

「早ッ、食べるの早ッ」

「こんくらいフツーだろ」

「え〜〜一緒に食べようと思ってたのに」

「大丈夫だって。もう一杯食うから」

「どんな胃袋してんのカズくん」

 そんな何気ない会話に雪菜は頬を緩める。幽助の『言っとくが二杯目だからって負けねぇぞ』というぼやきを聞きながら、優梨は蔵馬と共に新しい客として席に着いた。
 互いの近況報告を兼ねた世間話に花が咲く。他愛ないやり取りを交わす間にも箸は止まることを知らず、気づけば全員のどんぶりが空になっていた。
 しばらく話し込んでいると、別の客団体が顔を覗かせる。少ない席をこれ以上占領し続ける訳にもいかず、きちんと回転させんとして四人は腰を上げた。

「ごちそうさまでした、幽助さん。とても美味しかったです」

「相変わらず私より上手いのがちょっと腹立つけど」

「ま、浦飯にしちゃ上出来か」

「オメーら、素直に褒めらんねェのかよ」

「まぁまぁ。また来るよ、幽助」

「次はお前らだけ値上げしてやる」

 またな、と手を振る店主に見送られ、小さな憩いの場を後にする。男女四人で夜道を歩き出すと、不意にある男の姿が優梨の目に入ってきた。
 幽助の屋台から少し離れた場所で、物陰に隠れるようにしてそれを見ている男。一見すると幽助のファンかストーカーのような雰囲気を醸し出すその男を、しかし優梨はどこか覚えがあるような不思議な違和を抱いて。

「優梨、どうしたんだ?」

「……うん、ちょっと……」

「なんだぁ?」

「優梨さん、あの方をご存じなのですか?」

「…………」

 心にもやもやと引っ掛かりのようなものが込み上げるのだった。
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