守りたい 第四部


□第98話
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†††


「優梨こっちこっち、ホラっ」
「わ……ホントだ。芽が出てる」

 魔界、元・雷禅領。
 父の国へ顔を出しにやって来た優梨は、到着するなり雛に引っ張られて連れて来られた野菜畑で感動に浸っていた。開拓した試験農場に、小さな芽吹きが見られたのだ。
 異なる土壌に作物が生るのか不安だったが、こうして障気漂う荒野に根付いたのだから人間界の生命力もなかなか侮れない。魔界の新しい時代の、ささやかな第一歩となるだろう。

「これはもう食えるのか?」
「むぅさん気ぃ早すぎ。まだムリだって」

 しゃがんで双葉を愛でる母子の頭上から食い気満々の質問を降らせたのは、雛の父親代わりこと躯だ。彼女は煙鬼の統治する今の魔界の有り様がわりかし気に入っているらしく、時折ひょっこり雛を訪ねて雷禅領へ遊びに来るようになった。人間界暮らしの母親が居ない間も、娘が寂しい思いをしないように気を回してくれている。
 生真面目な北神は初めは渋い表情をしていたが、躯は畑を世話する住人達ともそれなりに上手くやっており、何より雛が楽しそうだということで折れてくれた。トーナメントをきっかけとして三国の軋轢が幾らか緩和された事情もあり、複雑な心境ながらも目を瞑っているのだ。
 良い傾向だと優梨は思う。魔界全土から見れば少数派の意見なのだろうが、今後は少しずつ増えていくだろう。

 そんな未来への期待を抱きつつ、優梨は雛の方へと視線を戻す。

「雛、これが育ったらちゃんと好き嫌いせずに食べるんだよ」
「んぅ〜〜がんばる」
「しっかり食わなきゃデカくなれんからな」
「そう言うむぅさんもね。お肉ばっかりじゃなくて野菜も摂ること」
「オレはもう充分育ってるぞ」
「……まぁ、それは知ってますけども」

 妖気はもちろん、肉体的にも申し分なく。タンクトップ一枚では隠しきれない豊満さが躯の胸元から溢れており、彼女の成長期はとっくに終わっている事を物語っていた。
 だが、それはそれ。娘の手前もあるのだから、好き嫌いは無い方が良いに決まっている。

「むぅさんはパパなんだから、雛のお手本にならなくちゃ。じゃないと雛だけじゃなくて、そのうちぴぃちゃんにも野菜嫌いイジられちゃうよ」
「オレはアイツほど好き嫌いは無いぞ。そんなものを弱味にされてたまるか」
「だとしても。人間、何でも食べるに越した事はないんだから」
「優梨、雛たち妖怪だよ?」
「そうだそうだ。少しくらい栄養偏ったって人間よりずっと頑丈に出来てるんだぞ」
「えぇい、細かいコトはいいからッ」

 屁理屈をごねるな、と。自分よりずっと年上な筈の二人に諭す優梨は、母親とはこういう感覚なのだなと妙な新鮮さを味わうのだった。



 そんな女親子三人で搭方面へと戻る道中、一つの人影がぽつんと佇んでいた。
 風になびく黄金色。秘めた鋭さはナイフの切っ先のようで。唐突に現れたその姿は優梨をはっとさせ、雛を少なからず動揺させていた。

「……来ました、か……」

 呟くように漏れたそれは、拾われたのか否か。わざわざ考える必要も無いほどに彼は微動だにしない。相変わらず、激情を押し込めたような眼差しで優梨を見据えている。

「誰だ?」

 彼を知らない躯は当然そう訊ねてくるが、伏せた瞳に翳りを宿した雛が優梨の服の裾を掴んで隠れるようにしているのを見て、事情を察したらしい。

「例の男か?」
「……うん」

 優梨は雛の頭を撫でて言外に『大丈夫だ』と示してやると、半歩前へ出て男――火影と真っ直ぐに対峙する。

「ここへ顔を出しに来たということは……これから動く、という意味ですよね?」
「自分の立場を忘れてはいないようで何よりだ」

 それはつまり、宣戦布告。
 火影が再び優梨を狙うという合図であり、束の間の平穏が終わりを告げようとしているのだ。

「わざわざ警告に来たのか? ずいぶんとご丁寧なことだな」

 呆れとも挑発とも取れる躯の言葉は、けれど確かに優梨にとっても不可解な言動ではあった。
 警戒を怠っていたつもりは無いが、馬鹿正直に宣言するより油断している所を攻める方が明らかに彼に有利だろうに。こちらは火影の動きどころか居場所すら押さえていなかったのだから、いくらでも策は弄せた筈だ。
 まして、彼の目的は復讐。騎士道精神のような礼節に則る謂れも無い。
 なのに、何故?
 そんな疑問などお見通しと言わんばかりに、火影は雄弁と語る。

「“知らされていながら、回避も守護も叶わなかった”――その方が屈辱的であろう?」
「なるほど、聞きしに違わぬ悪趣味ぶりだ」
「何とでも言うが良い。そのように余裕で構えていられるのも今のうちだ。事は、既に動き始めている」
「……え?」

 既に、と口にした彼はしたり顔の笑みを浮かべていて。優梨の背筋に嫌な気配が走った。
 『動き始めている』? 優梨の気づかないところで、もう、“何か”が……?

「あの、」
「すぐにわかる。心しておくが良い、優梨よ。そなたには、二度と立ち直れぬほどの深い傷と恥辱を刻み付けてくれる」

 怒りを抑えて微かに震えたその声音が、優梨の不安を煽る。それを感じ取ったのか、裾を握る手の力が強まった。
 いけない。この曇りを雛にまで伝染させてはいけない。
 そう思い、火影に向き直る。毅然と。真正面から。

「私は、負けません」
「良い応えだ。余は、そなたのその潔さは嫌いではない。だが……」

 火影はふわりと着物を浮かせ、流れるように背を向ける。

「強がりは、そういつまでも持たぬものだ」

 気取った予言にも似た不気味な宣告だけを残して、彼はそのまま黄昏の中へと消えていくのだった。
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