この蒼空(そら)の彼方、響け金糸雀の唄


□第3話
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「つーか、こんな所で落として気づかなかったのか?」

 にこやかに手を振って去っていく女性を会釈で見送る真莉亜に、幽助は問う。
 その答えはあっさりと返ってきた。

「昨日、撮影の帰りにここで飲み物を買って……その時に小銭を落としたから」
「小銭拾った代わりにソレ落としたってか?」
「転がった小銭が自販機の下に入っていったの。そちらに気を取られていたのね」
「意外とマヌケなんだな、アンタ」
「……元々古いもので、鎖部分の金属が弱っていたのよ。そのせいで千切れやすくなってて……だからよ」

 言われて目をやれば、彼女の手から垂れ下がっている鎖は確かに一部が切れていた。いや、それだけではなく、鎖全体が少々錆掛かっている。
 なにやら言い訳がましくも聞こえたが、とりあえず突っ込まないことにした。ちょっとした優越感だ。
 幽助が白凪真莉亜について知っている事はまだ少ないが、このテのタイプはあまり人に弱味やミスを見せたがらないように思う。なにしろ、あの螢子が敬いを払っていた相手なのだ。おそらく学校でも高スペックな孤高の人で通っているのだろう。
 そんな彼女の、おそらく数少ない失態エピソードだ。これを声高らかに振り撒くのはもったいない気がした。
 どうせなら、自分の胸に秘めておきたい。
 幽助は知らずうちに笑みを浮かべている自身に気づいた。

「人の失敗談がそんなに面白いの?」
「少なくともアンタに関しては」
「悪趣味ね」
「ま、そう言うなって」

 どちらともなく足を動かし、道中を共にする。帰り道がどちらかという意識は、この時の幽助には無かった。

「小銭の方は見つかったのか?」
「ええ」
「いくら落としたんだよ?」
「百円」
「そりゃ大金だ。拾わねぇとな」
「拾わないとね」

 他人にそっけないと評判の真莉亜が律儀に応えてくれるのは、失せ物捜しの恩義のつもりなのかもしれない。
 他愛ない会話だ。けれどその雑談さえ、幽助にとっては珍しい。
 思えば螢子以外の同年代者とこんな風に話をする機会など、ほとんど無いに等しい。桑原とは主に殴り合い(というか幽助が一方的に殴るだけ)ばかりで会話らしい会話などしていないし。
 こんなの、何年ぶりだろうか。
 どこか心地よく、その実くすぐったくもあった。

「けど、アンタが自販機の下に手ぇ伸ばして小銭拾う姿は想像出来ねーな」
「……何故?」
「だってアンタ、人気モデルなんだろ? がっぽり儲けてんじゃねぇの? そういうヤツが、百円や二百円でがたがた騒ぐモンかねぇ?」

 実際、こうして並んで歩いているとよくわかる。道往く人は皆振り返るなり二度見なりして、真莉亜に視線を注いでいるのだ。
 男の幽助を越える身長も目立つため、やはり人目を引く。
 彼女には女特有の煩わしさもまるで無く、話していると気が置けない仲のような落ち着きを感じていた。

 ところがそこで、真莉亜の足がふと止まる。
 先程までとは打って変わって、嫌悪じみたオーラを放っていた。
 直感で悟った。ああ、また壁を張っているんだな、と。

「……関係無いわよ」

 一瞬、機嫌を損ねたのかと思った。

「お金の価値は、立場で変わる訳じゃないもの」

 しかしそうではなかった。
 百円という大金を貶す発言に引っ掛かるものがあったらしい。ただの戯れ言だったのだが、彼女にはお気に召さなかったようだ。

「トップモデルがケチなこと言うなよ」
「一円を笑う者は一円に泣くって言葉、知ってる?」
「一応」
「肝に銘じておきなさい。お金はね、大切なものなの。人はそれが無いと幸せにはなれないわ」
「金だけが幸せじゃねぇだろ」
「わかってるわ、そんなこと」
「ならがっつくなよ。がめつい奴だと思われるぞ」
「結構よ」

 華やかな世界で名声を欲しいままにしている人間が、きっぱりとそう断ずる。冗談でも自嘲でもなく、本気の意思だけが宿ったトーンだった。

「必要だから求めるだけよ。お金に貪欲なのを卑しいと感じるのは、貧しさを知らない者の傲慢だわ」
「…………」

 返せる言葉は無かった。

「さて、と。私、こっちだから」
「あ、ああ……そうか」

 黙りこくる幽助の気まずさを知ってか知らずか、真莉亜はさっさと会話を切り替える。
 壁の第二段階、即ち“はぐらかし”とも言うが。

「今日はありがとう。助かったわ」
「いや、オレ結局なんもしてねぇだろ。ペンダント見つけたの、あのおばさんだし」
「でも付き合ってくれた」
「単なる暇潰しだよ」
「それでも、よ。噂とはずいぶん違う人だってこともわかったし。会えてよかったわ、浦飯幽助くん」
「忘れてもいいぜ、その名前。知ってて良いことも無ェだろうし」
「今度なにかお礼するわ」
「マジで? じゃあ覚えといて」
「現金な人」

 ほんの少しばかり、真莉亜の頬が緩む。
 その事に安心する自分がいた。

「じゃあ」
「おう、またな」

 『また』――そんな挨拶を交わせる相手が、新しく出来た。これまで他人に関心を持つことなど無かったのに……何故だかそれが幽助には嬉しかった。
 だからこそ、伝えておきたくなった。

「なあ」

 真莉亜は無視しなかった。振り返ってくれた。とても些細なことなのに、

「胃薬、買ったからな」
「…………」
「あの胃薬、ちゃんと金払って買ったからな」
「……そう」

 それがとても、嬉しかったのだ。
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