この蒼空(そら)の彼方、響け金糸雀の唄


□第2話
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「いらっしゃ……い、ませ……」

 歯切れの悪い挨拶と涼しげな空気に迎えられ、とても歓迎されているとは言えない視線を浴びながら幽助は入店する。
 ほどよく冷房が効いたドラッグストアは屋外とは別世界だ。外気に漂う湿気混じりの熱気で吹き出た汗がすうっと引いていった。
 店内を物色していると、店員が疎むような眼差しでちらちらとこちらを窺ってくる。万引きを警戒しているのだろう。いつもの事だ、気にする必要は無い。
 マークされたところで、彼らに見つかるようなヘマをする幽助ではないのだ。

 お構い無しで目当てのコーナーへ向かい、冷えた缶ビールを数本かごに放り込む。つまみはどうするかと考えながら次のコーナーへ移動しようとすると、一瞬視界の端に入った姿にはたと足が止まった。

「あれは確か……」

 白凪真莉亜だ。
 螢子に教えられた、現在女子中高生に大人気のカリスマモデル。長身に纏った黒いワンピースと艶のある長い黒髪が記憶に新しい。
 雑誌で特集を組まれるほどならばさぞ知名度があるだろうに、意外にも変装などはしていなかった。胸元の紅い石はそのままなれど、後は至ってシンプルな服装。てっきりサングラスと帽子が定番アイテムだと思っていたのに。
 というかそもそも、そういう人間はこんな庶民的な店に出入りしないとも思っていた。

(フツーに買い物とかすんのな)

 そんな当たり前なことに一人納得しながら眺めていたら、彼女も幽助に気がついた。

「貴方、雪村さんの……」
「幼なじみの浦飯幽助だ」
「『関わらない方がいい』って言ったわりに、ちゃんと自己紹介してくれるのね」
「シャコージレイってやつだよ」
「あらそう。なら私からも、ごきげんよう」

 全く感情の込もっていない社交辞令の儀式を交わすと、ふと幽助の目は真莉亜の買い物かごに落ちていく。噂(と言っても幽助は知ったばかりだが)のトップモデル様が何を買おうとしているのか、興味本位で見てやろうと覗き込んでみたのだ。
 すると驚愕の事実に、幽助は自分の目を疑う。

「おいなんだコレ、カップ麺ばっかじゃねぇか!」

 真莉亜のかごには牛乳と詰め替え用シャンプーが一本ずつ、あとは菓子パンと即席麺が大量に投入されていた。その数、黙視では確認不可。かごの中で入る限りの量が山積みされている。
 横からパッケージが見えていなければおそらく牛乳とシャンプーには気づかず、全てパンと麺だと判断していただろう。

「マジかよアンタ……何買ってんだ」
「見ての通り、食糧よ」
「わざわざ薬局でご購入かよ」
「コンビニやスーパーより割安なの」
「これ、アンタが食うの?」
「そうよ」
「全部?」
「いけない?」
「や、いけなかねぇけど……」

 なんなんだこの女。こんなに美人で地位も名誉もあんのにカップ麺三昧とか、ギャップありすぎだろ。

「アンタ、モデルなんだよな?」
「ええ、まぁ」
「よく知らねぇけどよ、そういう奴らって食生活すんげー気ぃ遣ってるモンなんじゃねぇの?」
「そうね。仕事仲間のコ達はいろいろこだわってるみたいだけど……カロリーがどうとか、ミネラルウォーターはこのメーカーのじゃなきゃダメだとか」

 そりゃそうだろ! それが普通だろ!
 いや普通つったら語弊あるけども、モデルなんつーハイレベルな職に就いてたらそうなるんじゃねぇの? でないと体型とか維持出来ねぇんじゃねぇの?

「アンタはこだわらない主義だと」
「食べられれば何でもいいわ」
「心のお広いことで」
「食べ物に文句をつけるのは嫌いなの」

 潔い流儀なのか単なるものぐさなのか。いずれにせよ、イメージと異なる美人の破天荒は好感が持てる。
 先日の回し蹴りといい、なかなか見所のある女だと幽助は思った。

「そういう貴方は、人のことをとやかく言える買い物をしているのかしら?」

 真莉亜の細い指が幽助のかごをぴっと示す。中身は酒、酒、酒、時々つまみ……我ながらダメ人間丸出しだ。

「未成年が堂々と……呆れるわね」
「説教なら御免だぜ」
「しないわよ、別に。自己責任なのだから好きにすればいいわ。……ただし、ちゃんと代金を支払えばの話だけど」

 真莉亜の鋭い眼光が、幽助のノースリーブパーカーの右ポケットを突き刺す。そこには徘徊がてらに拝借した胃薬が入っていた。
 朝帰りの母から、二日酔い対策として調達を命ぜられた物だ。酒やつまみなどは会計を通し、タバコや薬類といった単価が高くて懐に忍ばせやすい物はくすねる。それが幽助のいつもの手段だった。
 万引きは基本的に現行犯でなければ咎められない。だが幽助の早業を看破出来る者はそうそうおらず、また、いたとしても反撃や報復を恐れてか、これまで誰も指摘してこなかった。
 なのにこの女はあっさりと見抜いた。そして騒ぐでなく叱るでもなく、遠回しに責めてくる。まるで諭すように。
 これにはさすがの幽助も決まりが悪くなる。

「……なんでわかった?」
「さあね。それも含めて、自分で考えなさい」

 真莉亜は淡々と言い放つと、幽助の横をすり抜けて『じゃあね』とレジの方へ向かう。

 それだけの――
 だったそれだけのことなのに、幽助はなんだか自分がとてもちっぽけな存在に思えてしまって、いつまでも彼女の後ろ姿から目を逸らせずにいた。

 幽助はポケットから胃薬を取り出す。しばらくの間それを見つめていると、汗ばんだ手に自然と力が込もった。
 べこり、箱の端がへこむ。
 箱以上にくしゃくしゃした気持ちが幽助を襲い、そのままぞんざいにかごの中へと投げ捨てるのだった。
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