この蒼空(そら)の彼方、響け金糸雀の唄
□第8話
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閑静な……とまではいかないが、街の中心部からは少し外れた郊外の共同住宅地。そこに彼女の住まいはあった。
空に向かってそびえ立つ煉瓦造りのマンション。シンプルでありながらも落ち着いた雰囲気のある建物で、なかなかに立派な佇まいだった。
「っはー……良いトコ住んでんなアンタ」
感心のあまり思わず零した一言も、真莉亜はさして意に介する様子は無い。エントランスへと続くドアを開け、早く来いとばかりの目配せを送ってくる。
後について中へ入ると、正面にはエレベーターがあった。しかし彼女は当然のようにそれを通り過ぎ、階段方面へと足を伸ばしていく。
「何階だ?」
「五階よ」
「エレベーター使わねぇのかよ?」
「使用推奨は六階以上の住人とされているわ」
「そんなん律儀に守ってんのか」
「若いうちは歩いた方が良いのよ」
「年寄りみてぇなこと言うのな」
「嫌なら帰る?」
「行くよ、行きます昇ります」
一段一段踏みしめながら思う。肉体的にも精神的にもなんと健康的なことか、と。
普段の幽助なら気だるく感じるところだが、今日は真莉亜の歩調に合わせないと置いていかれそうだ。なので銀色の手すりに助けられながらも、歩を止めること無く昇っていった。
やがて5Fという表示が目に入ると、階段から通路へ。日当たりの程好い廊下を渡り、突き当たりのドアの前で真莉亜は足を止めた。
ネームプレートには“白凪”と書かれている。ここが真莉亜の住処。
鍵を捻ってドアを開けると、彼女からようやく『どうぞ』の一言が貰える。玄関へ入っていくと、なんとなくがらんとした雰囲気を感じた。
生活臭のようなものが無いのだ。奥に広がるのはただの空間といった風で、生活感がまるで無い。
靴を脱いで部屋へ上がると、それはますます顕著に感じられた。思わずきょろきょろと見回してしまう程に。
まず物が少ない。最低限の家具――ベッドや机、チェストはあるのだが、どれも簡素で色合いも地味なものだ。
更にインテリア的な小物類も全く見当たらない。色味といいレイアウトといい、女性の住む部屋にしてはかなりシンプルな印象を受けた。
そして何より目を引くのはキッチンだった。調理器具も置いてなければ、使用した形跡さえほとんど無い。申し訳程度にガステーブルにヤカンが乗っているだけだ。
真莉亜はそのヤカンに水を入れて火に掛けた。
「とりあえずお茶ぐらいは淹れるわ。適当に座って」
「ぐらいは、ねぇ」
「文句があるならどうぞお帰りください」
「イエイエ滅相もない。きょーしゅくの至りッス」
キッチンと続きのリビングダイニングに戻り、改めて室内を見渡してみて思う。
広い。このマンション、賃貸のようだがファミリー向けの間取りと畳数がある。
真莉亜は父親はいないと言っていた。
「オフクロと二人で住むにしちゃずいぶんゼータクだな」
「一人よ」
「え?」
「住んでるのは私一人」
「……母親も、いないのか?」
「ええ」
テーブルに二つのティーカップが置かれ、幽助は真莉亜に倣ってソファーに座る。ゆらゆらと揺れる紅茶の波に移った自分の顔は、なにやらひどく無機質なものだった。
悪いことを訊いた。そう思わないではないのに、謝る気になれない。むしろもっと根掘り葉掘り聞き出したいなどと考えている最低な感情が、幽助の中で渦巻いている。
「飲まないの?」
自分のカップに口をつける真莉亜は、こんな幽助に変わらぬ態度で。
「だから働いてんのか?」
そんな質問を引き出すには充分な接し方だろうと相手のせいにすることで、幽助は関心欲を満たそうとした。
「ずいぶんと脈絡の無いこと」
「誤魔化すなよ」
「聞いてどうするの、そんなこと」
「オレが知りたいだけだ」
わざわざ学校の許可を取って働いているのは生活費を得る為。
人と関わりを持ちたがらないのは仕事と学業の両立を妨げない為。
やたらと金に細かいのは自身の経済事情が楽観視出来るものではない為。
「働かないと生きていけないでしょう?」
それが肯定された時、疑問は確信に変わる。
彼女の応えは、いつも幽助の興味ど真ん中を突いてくる。知りたくなる。どんな小さなことでも。
真莉亜のことなら、何でも。
出されたカップをゆるゆると持ち上げながら、幽助は会話の糸口探しに頭を巡らせていた。