神の子ども達


□第3話
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「……今日も居ないんですね」

 空っぽの小屋を見渡して、木の実採取から戻ったルミナスは軽くため息をついた。

 マーファで金髪二人組を助けて数日――あれからディアドラはこっそり街に出るようになった。母の遺言に背き始めたのだ。
 これまでずっと守り続けてきた亡き母の言葉……それを破るほどの大きな理由については、ルミナスもなんとなく予想がついている。
 シアルフィの公子、シグルドだ。
 先日出逢ったエーディンは街を出る際、追われていることを懸念するルミナスらにこう語った。

『シグルド様が兵を出してくださったそうだからもう大丈夫よ。彼の軍に保護してもらえば絶対に安全だから。もちろん、これ以上の争いは極力避けるように私からも働き掛けてみます。あの方は勇敢で清廉な方だもの、きっとわかってくださるわ』

 エーディンの幼なじみだというシグルド公子は、ヴェルダンでも人格者として評判が高いらしい。その話を聞いたデューも占い屋の店主も、安堵の表情を浮かべていた。これでもう戦火が広がる事はないだろう、と。
 そんなシグルドという男の存在に、ディアドラは深く興味を示していた。理想の英雄像が彼に重なったらしく、想像でしか知らない筈の彼の人にまるで恋でもしているかのような恍惚さで聞き入っていたのだ。

「まさか本当に恋してる訳じゃないですよね?」

 もしそうであれば、また一つ遺言を破ることになる。それはダメだ。この遺言は守られなければならない。
 ルミナスの胸を強く叩く使命感にも似た訴えは、嫌な予感ばかりを膨らませていくのだった。



「そもそも、想像だけで恋に落ちるなんてあるんですか?」

 ルミナスが訪れたのは件の占い屋だ。
 マーファ城下に住むディアドラの知人は数える程しかいない。とりあえず一番馴染み深いという老人を訪ねてみたのだ。

「あれは良い娘じゃが、森の奥で暮らしてきたせいか少々世間ずれしておるからの……あるいはそういうこともあるのやもしれぬな」
「でも、そのシグルド様とやらの顔すら知らないんですよ?」

 得心がいかないルミナスの発言に、老店主は白髭を撫ぜながらふぉっふぉっふぉと笑う。これが孫を見るおじいちゃんの眼差しなのだと、ルミナスは最近わかってきた。

「人の心とは理屈ではないのじゃよ」
「ひとの、こころ……」

 それは霧散する呟きの如く、弱く儚いもの。けれど全てをかなぐり捨てて人を突き動かす、強く激しいもの。
 どちらも真理であり、だからこそ人はいとおしい。

「……複雑ですね」
「お前さんにも、いずれわかる」
「子どもには無縁ですか」
「そうではない」

 老店主は椅子から腰を上げると、棚に立て掛けてあった一振りの杖を手に取る。それを持ってルミナスと同じ目線になるよう屈み、杖の先の宝飾をかざしてみせた。
 すると海の底のような群青色の石は仄かな光を帯び、その中に込められた力の波動が燻りのそよ風を起こす。ふわふわと髪を揺らす程度のものだが、ルミナスに反応しているのは明らかだった。
 使い方も知らないのに……

「やはり、か……」
「……何がです?」
「お前さん自身も、薄々気づいておるのじゃろう?」
「…………」
「記憶を無くしたと言っておったな。何も覚えておらぬと」
「ええ」
「じゃがエーディン公女の持っておられた杖をリライブと言い当て、今この杖もまたお前さんの魔力に当てられて呼応しておる」
「それは……」

 わからない。だが気づいていたのは事実。

「私、僧職の縁者なのでしょうか?」
「ただの僧職ではないじゃろうな。あの日のお前さんには大いなる存在が宿っておるようにも見えた」
「おおいなる、そんざい……?」
「そう。運命と生命を司り、その糸を調律する大司祭ブラギ」
「それって聖戦士の一人の?」
「如何にも。ブラギ様は神の御言葉を授かる預言者でもあったという」

 それはルミナスも本で読んだことがある。大司祭ブラギは神の使徒として聖者ヘイムに啓示を伝え、彼の右腕として戦を勝利に導いた。終戦後はエッダ教団に戻り、傷ついた人々に助言を与えながら祈りを捧げる生涯を送ったとされている。
 そして彼の子孫であるエッダ家は代々高位聖職者となって、その教えを語り継いでいるのだ。グランベル六公爵家でも特殊な位置付けであり、現代に於いてもバーハラ家とは毛色の異なる形で崇拝されている。
 バーハラ王家に対して発言権を持つ唯一の家柄でもあった。

「私がエッダ家の関係者だと?」
「もしくはエッダ教団の聖職者であったのか……それはワシにもわからぬよ。じゃが、」

 老店主は杖を差し出す。

「持ってゆけ」
「私、お金無いです」
「いらぬよ」
「でも……」
「この杖は、在るべき場所へ還るだけじゃ。振るうに相応しい使い手の元へ」
「…………」
「おそらくそれが一番良い。これがお前さんの役に立つことを願っておるよ」

 しばしの逡巡の後にルミナスがそれを受け取ると、淡い輝きは緩やかに収束していく。杖に収まった小さな光は先日と同じあたたかさを秘めており、同時にこれから待ち受けているであろう不穏な未来を予期しているように思えた。
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