神の子ども達
□第2.5話
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緑生い茂る森の中。馴れない足元にもたつきながら、少年と共に駆け抜ける。
「頑張ってエーディンさん、もう少しでジェノア領に入るから」
「え、えぇ……」
私より年若いその少年――デューは、さほど息を切らしていない。私より多く動いて周囲を警戒しつつ、先行して道を判別してくれているのに……男女の違いではなく、育った環境の違いなのだと思い知らされた。
私はいつも城の中で過ごしてきた。遠い昔に別れた姉を想って祈りを捧げることを日課に何不自由無い生活を送り、それこそ蝶よ花よと扱われてきた。身の回りの世話は全て侍女がしてくれていた。
そんな日々の中で、いったい私は何を培ってきたの?
預かった城を守ることも出来ず、敵に囚われ、幼馴染みの助けを当てにして……どうにか牢から逃げ出してきたものの、こうして年端もいかぬデューに頼ってばかり。
(情けない……)
公女だなんて言ってみても、一歩城の外に出たら何の力も無いただの小娘で。聖戦士の血統だというのに、戦場では何の役にも立たない。
あの時だってそう。ユングヴィが落とされた、あの時。
家臣達は皆ガンドルフの強靭に倒れ、最後に残ったミデェールは私を背に庇いながらあの男に立ち向かってくれた。
ずっと以前から見ていた背中。彼が軍に志願した時から……いいえ、もっと前。幼い頃、私の守役として傍に上がったあの日から、ずっとずっと私を守り続けてくれた背中。
それが目の前で崩れたの。
今でも鮮明に思い出せる。血飛沫を散らしてぐらりと横たわるミデェールの後ろ姿。紅色の、あの光景。
(私はいつも守られてばかりだわ)
むせ返るような血の匂いと、真っ赤に染まった床。動かない彼。それが私のユングヴィでの最後の記憶。
絶望した。
生まれ育った城を奪われたことに。大勢の家臣を失ったことに。そして何より、一番大切な人が……目の前で死んだことに。
絶望し、悔やんだ。何の力にもなれなかった自分が許せなかった。見ていることしか出来なかった自分を軽蔑した。
(もしも……もしも、城を預かったのがブリギッド姉様だったら……)
結果は違っていたのかもしれない。
何故なら彼女はウルの直系長子。聖戦士の血を色濃く受け継ぐ、本来の正統なユングヴィ次期当主。
神の弓を取る姉が、家臣達を率いてヴェルダン軍を迎え撃っていたのなら。ガンドルフと対峙したのが、イチイバルを持つ彼女だったのなら。
考えれば考えるほど、自分がイヤになる。
ミデェールだって。ブリギッドの下についていたのなら、あんな目に遭わずに済んだのだ。背後に回って守られるだけの公女でなく背中合わせで戦える公女に仕えていたのなら、こんなことにはならなかったのだ。他の家臣達だってあんなに死なせることはなかった。犠牲はもっと小さかった……筈、なのに……
(私が争いを拒んで僧職の道を選んだことで、家臣達を尚更危険に晒してしまった)
詫びても償いきれない。彼らを死なせたのはほかでもない、この私。これから先、私の祈りは姉の無事ではなく彼らへの贖罪となるだろう。
けれど……それでも。
(あの少女は言ったわ。ミデェールは生きている、と。そして姉様も生きている、と)
それが本当ならどんなに喜ばしいことか。家臣を死に追いやってしまった私に、これ以上無い嬉しい報せ。罪深きこの身には過ぎた幸福だ。
そんなの赦されないと、思うのに……
(……会いたい)
もしも希望が持てるのなら。この先の未来に夢を見て良いのなら。
(私は……私も、戦わなくてはいけないわ)
祈るだけの日々はもうおしまい。女だとか僧侶だとか、そんなことも関係無い。
これからはミデェール、貴方の隣で、私も……
「あっ、伏せてエーディンさん!」
「どうしたの?」
「森の出口に砂埃が舞ってる。戦場になってるんだ」
「戦場? それってまさか……」
デューの指差す方へ目をやると、確かに視界が悪く薄ぼけて感じられる。心なしか、少しざらついた風が流れてきているようにも思えた。
「あの肩当てはジェノア兵のものだよ。ひょっとして戦ってるのは、エーディンさんの言ってたシグルド公子の軍?」
「ちょっと待って、軍旗は……あ、見えたわ。ええそう、あの旗はシアルフィ家のものよ」
「ぃよぉーっし! これでもう安心だね、よかったぁ。早くその公子様に保護してもらおうよ」
「そうね、急ぎましょう」
疲れた身体に鞭を打って足を動かす。
緑が途切れて陽の光が眩しく目を射した、その時――
「エーディン様!」
焦がれた声が私の名を呼び、唖然となって立ち止まってしまった。
ミデェールの声だ。何年も傍で聞いてきた、誰よりも大切な彼の声。
戦場の騒然さの中にあって、近づいてくる蹄の音がやけに耳の奥に響いてくる。
……ああ、神よ……
(生きてた……本当に、本当に……っ)
激しく手綱を振りながら、こちらに向かって駆けてくる私の騎士。その姿をこの眼に捉えた時、自然と涙が溢れ出した。
「ミデェール!」
気づいたら、私は走り出していた。ローブの裾をつまみ上げて髪も振り乱し、はしたなく粗野な格好にも構わず、ひたすらミデェールの元へ。
そして馬から下りて私に跪こうとする彼に、飛びつくような勢いで抱きついた。
「エーディン、さま……?」
「ミデェール……ああ、ミデェール……よかった。本当によかった……」
「エーディン様、よくぞご無事で……」
「貴方こそ、よく無事でいてくれました。ガンドルフに斬られた時はもうダメかと思ったわ」
「はい、シグルド様のおかげでどうにか。……申し訳ありません、本来ならば貴女様をお守り出来なかった時点で自害して然るべきだったのですが……」
「そんなことを言わないで! 死ぬなんて……そんなの絶対にいけません」
「エーディン様……」
ミデェールは苦しそうな顔をしていた。責任感の強い人だから、主を守れなかった自分が許せないのだろう。
ならば。
「私がどれだけ貴方を心配したと思っているの?」
「しかしこのような生き恥を晒し……私にはもう、貴女様の騎士たる資格はありません」
「資格があるのかどうかは私が決めることです。ミデェール、これからも私の傍に居てちょうだい。私を置いて死んだりしないで。お願い……」
「エーディン様……」
「私には、貴方が必要なのです」
「っ、もったいなきお言葉」
膝をついて頭を垂れるミデェールに、私は生まれて初めての本心と決意をぶつけた。
「ミデェール、もう私を離さないで。いつまでも私を守って」
「はっ、この命尽きるまで」
「その代わり、私も守るから」
「え?」
もう二度と、あんな思いはしたくないから。後悔しない為に。失わない為に。
私は強くなる。今度こそ、貴方を守れるよう。
だから貴方も。
「今すぐでなくていいわ。でもいつか……」
いつか私を迎えに来て。
貴方が同じ気持ちでいてくれることを私は知っている。身分の違いを気にして想いを押し殺していることも、お父様に釘を刺されて遠慮していることも。
それでも私は貴方を想う。その日が来るのを信じてる。
だから。
(迎えに来てくださいね)
ずっと待っていますから。ずっと……――