その他


□空腹は食事の最高のスパイス
 団欒は食事の最幸のスタイル
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 朝一からの仕事を終えて家に帰り着いたのは、陽が最も高くなるような時間だった。

「ただいまー……つっても誰も居ねぇか」

 あくびをしながら頭を掻き、靴を脱いで上がるは勝手知ったる我が家だ。居間の入口まで来たところで、ふわりと柔らかな香が銀時の鼻を掠める。
 中には人の気配。

「あら、お帰りなさい」
「……お妙?」

 従業員である志村新八の姉にしてかぶき町新四天王が一人、かぶき町の女王・志村妙だ。着物の袂を軽く括った格好ではたきを手にしている。

「お前、何してんの人ん家で? 不法侵入だよ」
「人聞きの悪い言い方をしないでくださいな。ちゃんと新ちゃんから鍵を預かっているんですから」

 そう言って指差す机の上には、確かに自分の持つそれと同じ形状のものが置いてあった。寺門通のキーホルダーが付いている事から、新八のものと思われる。

「キャバ嬢辞めてストーカーに転職したのかと思ったぜ」
「イヤだわ、ゴリラやメス豚と一緒にしないでくださいな」

 口調穏やかにして表情にこやかだが、妙の手は銀時の頬をぎりぎりとつねっていた。ものすごい力だ。顔の形が変わってしまうのではないかと心配になる。

「いてっ、いてててて……お姉さん痛いって!」
「まったく、たまにしか働かないくせに軽口だけは一丁前だからですよ。あんまり新ちゃんや神楽ちゃんにひもじい思いをさせないでください」

 ようやく解放された頬をさすり、銀時はふと気づいた。室内がやけに綺麗だ。最近は安売りの豆パン生活が続いていた為に気力が湧かず(ハイそこ『いつもだろ』とか言わない)、部屋の中は散らかり放題だった筈なのに。
 そういえば、妙ははたきを持っていた。

「掃除、してくれたのか?」
「洗濯物が溜まってて不衛生だって新ちゃんから聞いて。今日は久しぶりに依頼が入ってるって言うものだから、私が代わりに。お掃除はついでです」

 料理はからきしだが、それ以外の家事はお手の物の妙だ。メスゴリラの異名に似合わず家庭的なタイプだと言える。

「女の子もいるんですから、最低限のことはきちんとやってください」
「へいへい」

 ひらひらと手を振って説教に応え、たまの仕事で働き疲れた体を長椅子に沈めた。窓の外を見ると、ずらりと干された衣類が並んでいる。
 正直、助かった。からくりの廃材処理中に着流しをオイルで汚してしまい、着替えをどうしようかと思っていたのだ。
 今日は晴天なので、夕刻までには乾くだろう。

(まぁ、どうせまた汚しちまうんだけど)

 銀時は木刀を外して立て掛け、長椅子に寝そべった。

「そういえば、新ちゃんと神楽ちゃんは?」
「腹減ったから、昼飯がてら茶屋で休んでくとよ。ちょうど依頼料も入ったし」
「銀さんはご一緒しなかったんですか?」
「あー……朝早くて眠かったから」
「……そうですか」
「なんだよ。何か言いたそうだな」
「いえ、別に。ただ珍しいなと思っただけですよ。あなたが甘味の誘惑に負けずに直帰なんて」

 槍でも降るんじゃないかしら。そう続ける声音に一切の変化は無いけれど。

「…………」
「…………」

 何か、重い含みを感じさせる沈黙だった。



 しばらく両者無言のまま、時が過ぎる。その間にも妙は廊下を拭いたり玄関を掃いたり、意外(口にすると殴られそうなので言わないが)なほど甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていた。

(……にしてもコイツ、いつまでウチに居る気だ?)

 一眠りしようと新八達より先に帰って来たのに、さすがに家人でもない人間に家事をやらせっぱなしで自分だけ寝入る訳にもいかない。横にはなったものの、銀時の寝不足は解消されていなかった。

(マズイな……疲れは残せねぇぞ)

 新八や神楽もじきに帰って来る。そうなればまた騒がしくなるだろう。
 妙には悪いが、そろそろお帰り願わねば。

「お前、仕事の準備とかはいいのかよ?」
「今日はお休みなんです」
「マジか……」
「あら、何です? 私が居たら都合の悪いことでも?」
「いや、そういう訳じゃねぇけどよ」
「眠りたいならお布団敷きましょうか?」
「いやいや、お前に家の事やらせて自分だけ楽は出来ないでしょ。銀さんそんなに図太くないよ」
「常日頃から家賃を滞納しまくっている人の台詞とは思えませんね」
「……お前ね……」
「今更遠慮なんかする間柄でもないでしょう? それに、どのみち手伝おうって気は無いようですし」

 言いながら、妙は隣室へ続く襖を開ける。『さあどうぞ』とばかりに恭しく促され、銀時はゆるりと身を起こした。

「休むなら、今のうちですよ」
「…………」
「新しい着替えが乾いたら用意しておきますから」

 この女は、何をどこまで気づいているのか。笑顔の下に隠したものを、なかなか見せようとはしない。

「お布団汚さないよう、それも脱いじゃってくださいな」

 手早く着流しを奪われ、交換で寝間着を手渡される。

「ゆっくり、休んでくださいね」
「…………」

 静かに閉められた襖の向こうには、不思議と安定の感が広がっていた。



 始まりはひとつの情報だった。いや、それは情報とすら呼べないような眉唾物の噂話だ。
 攘夷浪士の暗躍。それは桂でも高杉でもないようだが、市井の民間人にまで被害が及んでいるのだとか。
 行くか、と決めたのは襲われた者としての自然の摂理だ。その影に何があるのか、何も無いのか、それはまだわからない。
 が、話を耳に入れたのが新八と神楽の居ない時だったのは幸運だったと思う。今夜、新八が帰宅し、神楽が熟睡した後にこっそりと出掛けるつもりだった。
 なのに。

(なんでよりによって今日来るかね、あの女は)

 天井を眺めながら、銀時はため息をつく。
 それでも労働で疲弊した身体は正直に瞼を重くしていった。悩みの種より居心地の良さが上回ったことを自覚した頃、銀時はひと時の深い眠りに就くこととなる。



 そして――……
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