その他


□曇り空の向こう側 (前編)
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「やる気が無いなら出ていけ!」

 ふてぶてしく大袈裟なため息をつく幽助に浴びせられたのは、教師・岩本の怒号だった。朝から元気なことだ、と口には出さずに嗤ってやる。

「貴様のような奴が居ると、真面目にやっている他の生徒達が迷惑する!」
「へぇへぇそうですか。言われなくても出てってやるよ、こんなクソ学校」

 たかだか一時間の遅刻でこれだ。わざわざ来てやったというのに、せっかくのやる気も削がれるというもの。
 そう、幽助にとっては登校した事そのものがやる気なのだ。たとえ態度がそう見えなくても。
 なのに帰れと言われた。ならば帰ってやろう。そんな気持ちでのそのそと廊下へ出る。

「幽す……」
「構うな雪村、席に着け」

 自分を追ってこようとした幼なじみは教師からの制止を受け、困ったような素振りでこちらの様子を窺っている。幽助はそれに一瞥だけをくれ、けれど特に意に介すでもなく教室を後にした。

『馬鹿』だの『クズ』だの、そんな言葉は言われ慣れていた。白い目を向けられることも、聞こえよがしの陰口を叩かれることも。
 今更その程度で傷つきはしない。独りで居るのだってどうという事もない。
 煩わしいのは御免だ。だからむしろ丁度いい。面倒より、気楽が良い。

 平日の午前の明るい空の下――幽助は自嘲にも似た含み笑いを象り、街中をぶらついていた。



 行く当ても無いままなんとなく立ち寄ったのは、手近なコンビニエンスストアだった。朝食抜きの生活をしているが故に単純に腹が減ったのだ。
 だらしない母親は三食まともに作ることの方が珍しく、幽助の朝昼の食事は大概兼用のパンかおにぎりが主となっている。その際、登校途中に買って行くこともあれば昼休みに学校を抜け出すこともあるのだが、どうするかは基本的にその日の気分で決めていた。
 要は気まぐれなのだ。そして今日は後者にするつもりで食糧を調達していなかった。
 とりあえず何か食おうと、幽助は自動ドアをくぐる。
 けれど入店するやいなやレジの店員が顔をしかめ、わずかに居た客もそそくさと会計に急ぐ様子が見て取れた。そのあからさまな反応は幽助の悪評と知名度を物語っている。

(ま、いつものことだけど)

 この辺りで被害に遭った万引きはほとんど幽助の仕業とされているから、嫌な顔をするのもまぁ当然のことだ。だからといって連中は注意深く幽助を見張る訳でもなく、関わり合いにならないよう遠巻きで眺めるに留めているのが常だった。
 現行犯で指摘したとしても力では押さえきれないし、反撃されるのがオチ。どうせそんな風にでも思っているのだろう。
 ならば幽助はそれを幸いと受け止めるだけだ。ご期待通り、今日も何かしらくすねてやろう。
 そうして店内を物色していると、“新発売”という手書きのポップが掲げられた惣菜パンが目に止まった。本場のスパイスを使用したというカレーパンだ。

(結構美味そうじゃん)

 これにするか。
 するりと棚に手を伸ばし、流れるような動作で物を鞄に忍ばせる。いつも通り手際良く事を済ませたと思った、その瞬間――

「……っ!?」

 ほんのわずかだが背筋に痺れが走った。
 誰かの視線を感じたのだ。

(見られた……か?)

 幽助の窃盗は暗黙の了解のようになっており、報復を恐れる店側も多少の額ならとそれを苦々しくも享受していた。それでも幽助は、その現場を誰かに目撃されたことなど一度たりとも無かった。
 それが今、誰かに見られている。その事実は幽助の動悸を速まらせた。
 警察に突き出されることが怖い訳ではない。ただ“見られた”という事象そのものが高揚感に直結していて、『我ながら腐っている』という自覚と共に『まだ人間らしいまともな感覚が自分にもあったのか』と妙な安堵を覚えていた。

 それにしても、いったい誰が?
 どんな奴が自分を見咎めたのか、幽助の興味は既にカレーパンや警察沙汰よりもそちらに移っている。
 ごくり、唾を飲み込む。
 ゆっくりと視線を感じた方向に目を向けると、そこには予想外の姿があった。
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