その他


□曇り空の向こう側 (中編)
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「まったく、久々に訪ねてきたと思ったら……」

 その人物は、呆れたようなじとりとした視線を無遠慮にぶつけてきた。

「いきなり女の子を連れ込んで『コイツ診てくれ』って、オレはキミの便利屋じゃないんですけどね」
「……悪ィ、秀兄」

 秀兄こと、南野秀一。彼はこの“南野医院”という小さな病院の副院長を務める若き医師だ。
 子どもの頃からケンカの絶えない生活をしてきた幽助が、怪我する度に彼にお世話になってきたのがこの相手。当時はまだ学生だった秀一だが院長である父を手伝ってよく現場を訪れており、幽助に包帯を巻くのは彼の仕事だった。
 他人との関わり合いを嫌う幽助だったが何度も通ううちに秀一にだけは心を許すようになり、気づけば『秀兄』と呼ぶようになっていた。文字通り、幽助にとっては兄のような存在だ。
 秀一もまた幽助を弟のように慈しみ、時には叱咤してくれる。
 年を重ねるにつれて幽助の腕も上がり、中学に入る頃にはもうケンカをしてもほとんど怪我をすることは無くなっていた。故にここで手当を受ける機会もあまり無かったのだが、時折顔見せがてら遊びに来ている。
 すると秀一は決まって『学校は行っているのか』だの『ちゃんと授業は受けろ』だのと小言をかましてくるのだが、彼に言われる分には幽助も不快感は無かった。
 そんな関係だ。

 そうして現在に至る。

「それで、さやかの容態は?」
「ひとまずは落ち着いたよ。今はぼたんがついててくれてる。ただし、元々医者に掛かっているという事なら下手に薬は出せない。きちんと主治医とやらに看てもらった方が賢明だな」
「わかった」
「では、キミも落ち着いたところで……説明してもらおうか」

 キィ、と軋む音を鳴らせて秀一が椅子を引く。促されるがまま腰掛け、幽助はさやかと知り合い交流するに至った経緯を話し始めた。

「……なるほど」

 秀一は、幽助の話はどんな事であっても最後まで聞いてくれる。その上で咎めるなり諭すなりしてくれる。
 幽助が彼を信頼する大きな理由はこういう部分にある。

「似ているね」
「オレも……そう思った」
「だから放っておけなかった?」

 猫のように背を丸めて、幽助は頷く。叱られた子どものような姿はなんとも情けなく、こんな自分がさやかの寂しさを埋めようなどと思ったことがおこがましく感じられた。
 ……それでも。

「アイツの為に出来ることはしてやりたいんだ。それがどんな事でも」
「今のキミに出来るのは、彼女の自宅に連絡して事の顛末をご両親に伝えることだよ」
「それは……」

 『ほんとは帰りたくない』――さやかの言葉を聞いていなければ、幽助もそうしていただろう。
 だがさやかはそれを望むのか?
 彼女の抱えていたものは、幽助のそれより遥かに重かった。あの小さな身体で潰れそうになりながら、これまでそれに堪えてきた。
 そんな気持ちを無視は出来ない。

「まぁとりあえず、彼女に会ってみるといい。その方があの子も安心する」
「……そうするわ」

 考えるのは後でもいい。まず、さやかの顔を見よう。
 幽助はまとまらない頭を軽く振って立ち上がり、その部屋を後にする。廊下に出た途端に耳に入ってきた屋根を叩く音が、雨が降ってきたことを告げていた。
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