その他


□曇り空の向こう側 (後編)
1ページ/4ページ

 さやかの両親が南野医院に駆けつけたのは、初夏の日が暮れ始める少し前のことだった。
 幽助が彼女をここへ運んできたのが午前中、診察した秀一が両親に連絡を入れたのが午後イチである事を考えると、ずいぶん悠長な話である。
 電話口の向こうで、さやかの父はこう言ったそうだ。

『そうですか……それはどうもお手数をお掛けしまして。ですがあいにく私も妻も、これから大事な会合に出席しなくてはなりません。申し訳ないのですが、しばらくその子を預かって頂けませんか? 仕事が終わり次第すぐに迎えに伺いますので。なぁに、いつものことですから、あの子ももう慣れているでしょう。それでは、よろしくお願いします』

 最後の一言にはさすがの秀一も少々呆れていた。



「いやぁ、すっかり遅くなってしまって申し訳ない。どうもお世話様でした」

 父親の開口一番の台詞はなかなかに白々しいもので、幽助は虫酸が走るのを感じた。だがこんな男でもさやかが大切に想う親なのだ。憤りと拳は、しまっておかなくてはならない。

「まったくこの子は……とんだご迷惑をお掛けしましたわね。本当にすみません。さやか、あなたもちゃんと謝りなさいな」
「……ごめんなさい」

 母親は一見上品そうな素振りを見せているが、眼鏡の奥の瞳は冷たい。
 病弱なのはさやかのせいではないのに。幼い娘にまで頭を下げさせるこの両親をどう受け入れればいいのか、幽助にはまるで見当もつかなかった。
 さやかの表情だって曇っている。とても幸せとは程遠い。

「季節の変わり目なので体が弱っていたのかもしれませんね。当面の外出は、主治医の方とよくご相談ください」
「色々とどうも。……こんな事になるのなら、図書館になど通わせるのではなかったな」
「本当ね。しばらくは家政婦さんに来て頂いて、家の中で過ごさせましょう。またこんな事があってはかなわないわ」
「そうだな」

 あまりにも心無い言葉達。さやかの気持ちなどお構い無し。体調を気遣うでもなく、自分達の都合ばかり。
 幽助はついに苛立ちを抑えきれなくなり、症状と事の経緯を説明する秀一を遮る形でさやかの両親を睨み付けた。

「アンタら……それでも親かよ?」
「な、なんだねキミは?」
「質問してんのはこっちだ。さっきから黙って聞いてりゃ、まるでさやか一人が悪いみてぇに言いやがって……それが親の吐く言葉かって訊いてんだよ!」
「幽助、やめなさい」
「止めんな秀兄」
「これはご家族の問題だ。我々が首を突っ込んで良いことじゃない」
「そ、そうだとも。だいたい何なんだねその態度、言葉遣い! 目上の者に向かって失礼じゃないのかね?」
「いったいどういう教育を受けてきたのかしら」
「うるせぇ! ンなこたぁどうでもいいんだよ」
「にいちゃんやめて、あたしは……」
「さやか、オメーも言いたいことぐらいはっきり言いやがれ!」
「……っ」

 幽助が一歩踏み込めば、相手は一歩後ずさる。

「仕事仕事仕事って、それでさやかは放ったらかしかよ。二の次三の次かよ。コイツがいつもどんな気持ちでアンタらが仕事に行くのを見送ってるか、少しは考えろよ!」
「大人には大人の事情があるんだ」
「はっ、そんなもんクソくらえだな」
「キミにはわからないかもしれんが、私達だって忙しいんだ。仕方ないだろう」
「だからってこんな時間まで電話の一本も寄越さないなんてそんなバカな話あるかよ。缶詰めになってる訳じゃあるまいし、抜け出して様子を見に来る事だって出来た筈だ!」
「私達は今、大事なプロジェクトを抱えているの。抜け出したりなんか出来ないわ」
「その通りだ。そもそもキミには何の関係も無いことだろう」

 かっとなった幽助の視界は真っ白になる。

「にいちゃん!」

 さやかの声で我に返るまで、刹那。
 右の拳に痺れが走る。
 さやかの父をすり抜けた幽助の拳は壁にめり込み、その破片をぱらぱらと落としていた。怯えの眼差しが眼前にある。
 それでも、これだけは譲れない。

「関係無いなんて言わせねぇ」

 幽助は震えていた。怒りの震えだ。

「オレはさやかのダチだ……友達だ!」

 へなへなと、さやかの父はその場にへたり込む。

「いいか、アンタらの言ってることは全部言い訳だ。そうやって理由付けてさやかを追いやって、追い詰めてるだけなんだよ!」

 本気で愛情を示す気さえあれば、方法はいくらでもある。仕事を優先していたって、伝わる気持ちはある。
 さやかが自分を邪魔者だと思わずに済んだやり方は、必ずあった筈なのだ。

「結局アンタらは自分が大事なんだろ!? さやかじゃなくて自分達の富や名声が、地位が!」
「それの何がいけないのかね!?」
「私達だって、もっと健康で手の掛からない子ならどんなに良かったか……」
「この……っ」
「やめて!」

 悲痛な叫びが、部屋中にこだまする。

「もうやめて。お願い……」
「さやか……」
「にいちゃん、あたしは本当にいいの。これ以上、誰にも迷惑掛けたくないだけなの」
「さやか、それじゃ何も変わんねぇぞ」
「それでもっ」

 さやかの声は、先程までの涙と新しい悲しみで掠れていて。

「それでも……せめて聞き分けのいい子でいたいの」

 幽助はもうそれ以上、何も言えなかった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ