Dreams

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初夏。

中庭には新緑を纏った木々が風に揺れている。
校舎内から屋外に出ると、こだまする蝉の声がいっそう大きく耳に入り、思わず顔をしかめてしまいながら、私は校門へ向かおうとしていた。

「ちょうど良かった、今帰りか?」

校内見回り中であった担任に呼びとめられる。

「先生の知り合いがこの間のコンクールでお前の演奏を聴いて、かなり素質がある、と随分高い評価をしていたぞ。先生本当に鼻が高いなぁ、ハハ。」
「そうだったんですか…!ありがとうございます!」
「一度お前の演奏を聴いてみたいものだな。」

周囲から度々貰えるお褒めの声も、実は少し有難迷惑。私は、今の自分の演奏になんとなく自信が持てないでいた。

先日のコンクールでは、自分の一番得意な曲を完璧に弾いたつもりでいたが、入賞にはいたらなかった。
後でもらった審査員のコメントに“もっと音に感情を込めると、よりよい演奏となるでしょう”というものがあり、それがずっと頭のどこかで引っかかっていた。

感情を込めた音というのはどういう音なのだろう。よく分からないままなんとなくピアノを続け、今夜もレッスンの予定を入れている。

「それと、悪いけどお前に頼みがあってな。」
「?…なんでしょう。」
「お前が通っているピアノ教室は確か、駅前だったよな?金井総合病院、分かるか?幸村が入院している病院だ。」

久々に聞いた名前に少し、心臓が波を打った。

「あ、はい。分かります。通り道では無いんですが教室から割と近いので。」

「悪いが彼から頼まれていた授業のプリントを渡しに行ってくれないか?本人が居なければ、看護師に託けても構わないから。先生も時間が取れれば行くようにしているんだがちょっと今週は厳しそうなんだ。手術も無事終わって、今はリハビリに専念しているそうだが、大分調子もいいみたいだぞ。授業に戻った時に全然ついていけないのは困るからって、この間頼まれたんだ。勉強にも負けず嫌いなアイツらしいな。」
「幸村くん、回復傾向なんですね、良かった…。レッスンまで時間がありますし、寄ってみます!」
「助かる。頼んだぞ。」

幸村くんとは2年の時から同じクラス。昨年の冬に彼が入院してから一度だけクラスのメンバーと見舞いに行ったきり、会っていない。その後何度か連絡を取ろうと試みた事もあったのだが、メールに書く言葉が上手く見つからなかった。それに誰かが、「いつも幸村くんの部屋には訪問客が絶える事がない。」そう言っていたのを聞いて、私がわざわざ連絡をして困らせたら悪いし、と躊躇したまま時が過ぎて。

そもそも彼と学校の外で会うなんて初めて。どんな顔をして行けばいいのだろう?駅に近付くにつれ緊張してしまう。
頼まれ事とは言え、久々に会うのにプリントを渡すだけではあんまりだろうか、そう思って花屋に立ち寄る事にした。


買った花を手に抱え、病院へ向かう。久しぶりに会う彼は、どんな表情をしているだろう。
そんな事を考えながらふと、優しい笑顔で花に触れるあの日の幸村くんが頭に思い出される。

病室の番号は予め担任に聞いていたし、一度来た事があるので迷わずに辿り着く事が出来た。
部屋のドアは開けたままの状態になっていて、そっと中を覗いたが誰もいない。


「幸村くん、居ないな…」

リハビリ中ならずっと部屋にいるなんて事もないだろうし、お花とプリントは看護師さんに渡して、置手紙でもして帰ろうか。そう考えながら肩を落としていた。





『綺麗なガーベラだね?』

後ろから突然話しかけられたので驚いて振り返る。

『ごめん、びっくりした?向こうの廊下の窓から、俺の部屋の前に誰かが立っているのが見えたから急いで戻って来たんだ。まさか君なんて思わなかった。驚いたよ。』

相変わらずのふんわりとした笑みを見せた。

『本当に、久しぶりだね。』

久々に私に向けられた彼の優しい笑顔に胸が鼓動している。

会いたかった、素直にそう思えた瞬間だった。

「久しぶり、幸村くん。あの、先生から預かった物があって。」
『良かったら中に入って?』

幸村くんの病室は広めの個室で、来客用のソファやテーブルがあり、大勢の訪問者が絶えず訪れる様子が目に浮かぶ。

「これ、お見舞いにって思って買って来た!」
『ありがとう、嬉しいな。入院中はこうやって花に触れる機会もほとんどないから。』

そう言って、指でそっと、ガーベラの花びらを撫でる。

『昨年君と一緒に美化委員やっていた時を思い出すな。』

顔を花に近付け、そっと目を閉じた幸村くんは、ガーベラの香りを楽しんでいるよう。
先ほどまで頭の中で思い出していた彼の笑顔が、今はすぐ目の前にある事に少し戸惑いを覚えたけれど心は弾む。

「“花いっぱい運動”はね、幸村くんが入院してからは私がリーダーになったの。」
『本当に!?俺、退院して一番に行くのは屋上庭園って決めてるから。君がやってくれているなんて聞いたら、ますます楽しみになるよ。』
「一番に行く場所、テニスコートじゃないんだ?」
『屋上庭園には、朝一番に行くんだ。朝練にはしばらく出られないだろうし。放課後はもちろん、真っ先にテニスコートに行くけどね?』

そう言ってふふっと、一面に期待を滲ませた無邪気な笑顔を見せる。

退院して登校するの、すごく楽しみにしてるんだな、幸村くん…
私も、楽しみ。…なんて言えないけれど、少しにまりとしてしまう。

幸村くんは想像していたより元気で、少し痩せたかな?という感じはあるが、顔色もいい。むしろ、女である私でさえ羨んでしまう程に、日焼けも完全に取れて白く透き通ったその肌は、艶やかでとても綺麗。
お花の話も出来て楽しそうな顔も見られたし、ガーベラを持って来て本当に良かった。

『それにしてもどうして、この花を選んでくれたの?』

幸村くんはどこか、私の反応を試すような表情でそう聞いてきた。

花屋に色とりどり、普通なら目移りしそうな程たくさんの種類の花が並んでいたのに、私が迷わずにこの花を買ったのには、実は理由があったから。

へ続きます。

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