Dreams

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イヤホンを両耳に付けて、CDの再生ボタンを押した。すると耳に流れて来るのは、聴いた事のある旋律。

『月の光…この曲は知ってる。』

そっと目を閉じて演奏に集中する。

夜、静かで誰もいない部屋に、開け放たれた大きな開き窓から、月の光がぼんやりと差し込む。ふわりとした心地のいい風が白いカーテンを揺らす。
その部屋に一人でいる俺には、この月は俺だけに光を届けてくれているんじゃないか、まるで、月に手が届くんじゃないかって、錯覚を起こしてしまいそうな。

…なんて、そんな幻想的でロマンティックな情景が浮かんだ。

『とても綺麗な音色だね…。月の光、すごく素敵な景色が頭に浮かんだ。本当に、心に響く音だな。』

一曲目の演奏が終わり、イヤホンを外す。

『これは一体どんな人が弾いているんだろう。』

夢見心地でうっとりとした気分になり何気なくそう呟くと彼女はふっ、と笑ってこう言った。

「幸村くんの心に届いて欲しいと思って、気持ちを込めて弾いたの。」


まさか…、


俺はそう言おうと思って言葉にならずに、咄嗟に彼女の手に触れ自分の方に引き寄せた。
彼女は、どうだ、と言うような得意顔で俺を見ている。

胸が高鳴る。

『驚いたな…君のこの長くて綺麗な指は、こんな素敵な音を奏でる為のものだったんだね。』

憧憬の眼差しで君を見ていた俺は、きっと目をキラキラとさせた子供のような顔をしていただろう。この指が鍵盤の上を滑らかに、美しく舞うところを自然に頭の中に思い描いた。
ピアノの音色を思いのままにする君の表情は、ガーベラの花をそっと撫でる時の、あたたかみに満ちたその表情ときっと重なる。

「そんな風に言ってもらえて嬉しい。ずっと、心を込めた音って、どういう音なのか探してたの。だけど幸村くんが聴いてくれてると思って弾いたら、自然と見つかったよ。」

君が俺の為に奏でるその音色を聴く事で、何だか君の全てを知る事が出来たような、そして気持ちが一つになったような、そんな錯覚すら感じた、幸せな時間だった。

『退院したら楽しみな事が増えたな。君と音楽室デート、…なんてね?』
「デ、…!」

大きな瞳を丸くして、頬を薄い桜色に染める。
さっきまでの自慢げな表情はどこに行ったのかな。
本当に、君の表情って千変万化、ずっと見ていても飽きない。

こんなに表情豊かな君だから、奏でる音も様々な色を持つんだな、納得だ。



食欲が出て来たのは、久しぶりに会ったあの日以来。
主治医も俺の体重が急に増え始めたから驚いていた。

「リハビリを本格的に始めて運動量も増えたからだろうね。それとも、何かいい事でもあったのかな?」

なんて、俺の心の中まで看破しているというような口調で聞いて来る。

『中学生にだって、色々あるんですよ。』

と少しませた中学生を演じてそう答えておいたけれど、病は気からと言う諺の意味がよく分かった、そんな日々だった。




君がくれたCDを、何度再生しただろう。

『愛の夢…か。』

君の指が奏でるしっとりとしたその音を聴きながら、想いを馳せる。
俺に届けたいと言ってくれたこと、思い出す度に胸が締め付けられるようで、だけど顔がほころんでしまう。

君が好き。

会いたい。

今すぐこの星空の下で想いを伝えられたらいいのに。

星の明かりに照らされる君の表情は、少し大人びて、ちょっと艶っぽくて、俺を惑わせるんだろうな。
そんな君になら簡単に熱されてしまいそうな俺も、ちょっと格好つけた台詞の一つ、言ったりしたいんだ。

眠りにつく前の、そんな心の中を表現した夜想曲の様で、とても素敵な曲。






8月――
夢にまで見た、登校の朝。この日をどれだけ待ち遠しく思っていた事だろう。

母が手入れをしてくれていた制服に袖を通す。
ネクタイの結び方などそう簡単に忘れたりしないだろう、そう高を括っていたが案外指が緊張してぎこちなくて、上手く結べない。

支度に予想以上に時間がかかってしまい、少し焦って家を出た。
庭に降りると、俺がいない間ほったらかしにされていた花壇の様子に溜息が出た。
また作り直さなくちゃな、そう意気込みながら頭の中では新しい庭の構想も出来上がっている。

庭の花に水を遣る事も、テニスコートに立つ事も、そして君との日々も。

当たり前だと感じる日が訪れるのだろうか。にわかに信じ難いが、そうだとしたらどれだけ幸せだろう。
逸る気持ちを抑えながら、足早に駅へ向かう。

ふと立ちどまり空を見上げると、久々に拝む太陽が眩しくて、思わず手をかざした。
その光線が、これからの俺の新しい日々を照らすスポットライトのようだ、そう思えるくらいに前向きな気持ちだった。

まだ人もまだらな校舎内。
俺の大好きな場所。

屋上への扉を開けた。


うわ…ぁ、
思わず声を漏らしてしまう。

たくさんの向日葵が背伸びをして、その見事に咲き誇った花を太陽に向けている。

『綺麗…』

思わずそう呟きながら向日葵の方へ足を進める。
そしてなんだかもの凄いサプライズをしてもらったような、そんな気分になるくらいたまらなく嬉しい事が起きた。

「幸村くん、おはよ!」

向日葵に負けないくらい弾けんばかりの元気な笑顔で俺の前に立つ君。
花景色の中に溶け込むその姿、ずっと見たかった光景だった。

「退院、おめでとう。」
『ありがとう。どうして…ここに?』

俺が初登校の朝はここに来ると決めている、って話したから?

「私が誰よりも先に幸村くんに会いたかったから。」

恥ずかしそうに少しだけ顔を俯かせ、目だけは真っ直ぐに俺を見る。
朝とは言え、上りかけた真夏の太陽が熱いせいか、それとも少し照れているのかな、色白の肌が染まる。
病み上がりなのにこんなに、心拍数が上がってしまって大丈夫だろうか、心配になるくらい、胸が高鳴る。

本当に、久々に会ったあの日から、君に心を奪われてばかり、想いは膨らむばかり。きちんと制服を着て、君に想いを伝えられるこの日をどれだけ待っていたか、君は知らないだろうな。
屋上庭園のベンチに腰掛け、咲き誇った夏の花々に囲まれながら、授業が始まるまでの時間を二人きりで過ごす。

『君が俺に好きな人がいるかって聞いたから、いるって、話しただろう?』

あの時からずっと想っている、君の事。
入院して会えなくなってしまってからは、そんな感情を持ち続ける事も億劫になってしまった。

君の事を考えると、俺はこんな所で何をしているのだろうって、すごく悔しくて惨めになるから、忘れようとしていた。
こんな事になるのなら、あの日君が聞いてくれた時、『君が好きだよ』って伝えれば良かった。どれだけ、そう後悔したか分からない。

あの日ここで話した事、思い出してくれているのだろうか。

ちらっと横目で彼女の方を見ると、背もたれから背を離し、落ち着かない様子で俯いている。
俺は足を組んだ体勢のまま、気付かれないようにほんの少しだけ、距離を縮めた。


そろそろ言わないと、…
俺は心臓をドキドキと高鳴らせながら、彼女の顔を見た。

へ続きます。

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