dream
□蜂蜜のような優しさ
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「酷い天気だなぁ…」
仕事帰りの電車の中から外を見つめながら、呟いた。
今日は天気予報では一日晴れだと言っていたのに、今の天気は土砂降り。もちろん傘など持って来ていない。道行く人達も皆、雨の中走ったり鞄を頭上に掲げて歩いたりしている。
最寄駅で電車を降り、どうしたものかと思案していると、ふと駅の入り口に見慣れた人影が見えた。革ジャンにジーパン姿のその人は、駅の入り口の壁に姿勢良くもたれかかっていた。こんな悪天候だというのにサングラスをかけている。手には黒い傘を持っていて、誰かを探しているかのように駅の構内をキョロキョロと見回している。
間違いない、カラ松だ。思いがけずカラ松に会えたことが嬉しくて、私はカラ松に駆け寄る。
「カラ松!」
カラ松は私に気が付くと、笑顔を見せてくれた。
「ななし!今帰りか?」
「うん、カラ松は誰かのお迎え?」
「ああ。今日はウェザーニュースでは一日晴れだと言っていたのに、急に雨が降ってきたからな。ハニーが困っているだろうと思って、迎えに来た」
「……ハニー?」
聞き慣れない単語に首を傾げる。
そうしている間にカラ松は傘を広げ、私のほうを振り返った。
「さあ、帰ろう」
「……えっ?」
思わず周りを見渡すが、カラ松の言う“ハニー”なる人物は見当たらない。
「どうした?ハニー」
不思議そうな顔をしたカラ松と目が合う。……カラ松は、私を見ている。
「……えっと、その……迎えに来たっていうのは……私の、ことを?」
私の問いに、カラ松は尚も不思議そうに続けた。
「……ななし以外に誰がいるんだ?」
カラ松と二人、一つ傘の下を肩を並べて歩く。
電車の中から見たときと同じように、道行く人々はほとんど傘を持っておらず、傘をさしている私達のほうが珍しい。そのせいか、すれ違う人達は皆ちらちらとこちらを見てきて、優越感と共に少しの恥ずかしさを感じる。
そしてカラ松は相変わらず私のことをハニーと呼んでくる。……恋人への呼びかけとしてよく用いられている単語だが、私とカラ松は未だそんな関係ではない。いや、私はいつでも大歓迎な訳だが。もしや、カラ松も既にそういう気持ちなのだろうか。だけどカラ松ならそういう意味合いを気にせず、かっこよさだけで使っている可能性もある。いや、でも、しかし。色んな考えが頭の中でぐるぐると回る。
直接カラ松に聞けば早いのだろうけど、今はそんなことを聞ける状態ではない。この前と違って手は繋いでいないが、距離は肩が触れ合うくらいに近い。距離の近さと、微かに香るカラ松の香水と、“ハニー”と言うときのカラ松の甘い声音。それらを変に意識し過ぎて、最早カラ松の話もあまり頭に入って来なかった。
そうこう考えているうちに、あっという間に家に着いた。
「……ありがとうカラ松。助かった」
「ふっ……このくらいお安い御用だ」
それじゃあ、とそのまま帰ろうとするカラ松を、慌てて引き止める。
「あ、待って!えっと、暖かいお茶入れるから、家に上がっ……!?」
そこで私は気が付いた。
カラ松の左半身がずぶ濡れだった。ちょっと肩が濡れている、どころの騒ぎではない。まるで誰かにバケツで水をかけられたかのように、見事にびっしょびしょである。
「カラ松!?え、ごめん、傘そんなに私のほうに向けてくれてたの…!?」
「ふっ……大丈夫だ、問題ない」
そんな装備で大丈夫なはずがない。
「っ、ちょっと待ってて!」
そう言い残して私は脱衣場へと走った。風呂の浴槽に栓をして、蛇口をひねってお湯を張る。そしてバスタオルを片手にカラ松の元へ戻る。
「今お風呂溜めてるから、溜まったら入って」
バスタオルでカラ松の身体を服ごと拭いていく。
「っ、いや、ハニー、さすがにそれは…」
「いいから!じっとしてて!」
「!……はい」
私はカラ松がかけていたサングラスを外し、髪の毛や顔を拭いていく。カラ松は目を閉じて、大人しく私にされるがままになっている。……可愛い。
頭の周辺を拭き終わると、カラ松は目を開くと同時に口を開いた。
「……ななし」
不意に名前を呼ばれ、思わず手が止まる。
「……その、すまない。迷惑をかけてしまって…」
申し訳なさそうな顔で、カラ松は私を見つめていた。カラ松が謝るの必要なんてないのに。……ああ、でも、一つだけ。
「……。じゃあ、さ。一つお願い、聞いてくれる?」
「?……なんだ?」
「もっと自分を大事にしてよ。……カラ松が風邪引いたりするのは、私、嫌だから」
今日に限らず、カラ松はいつも無茶をしすぎる。
私がそう言うと、カラ松は目を見開いた。そして、
「……ハニーがそう言うのなら」
そう言って、優しく微笑んだ。