dream

□班長さんと私(後編)
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「あの六つ子が脱走したらしいよ」


翌日。私が食堂に着くと、既にその話題で持ちきりだった。
このブラック工場に、世にも珍しい六つ子が働いているらしいというのは、職員全員周知の事実だった。その六つ子が揃って脱走したというのだから、噂にならないはずがない。しかも工場の敷地内には『脱走に失敗した者の墓場』と言われている場所があり、決して容易く脱走できる訳ではない。それも、皆の関心を集めている要因の一つだろう。

その話を聞いた途端、ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚に陥る。
班長さんは、その六つ子の中の一人だった。
それじゃあ、班長さんも、脱走を…?


「……田中さん、大丈夫?顔色悪いよ」

声を掛けられて、はっと我に返る。

「あっ……いえ、大丈夫、です」

ひとしきり噂話で盛り上がって満足したのだろう、周りを見渡すと既に皆持ち場につき始めていた。それを見て私も、慌てて仕事の準備に取り掛かった。



いつものように仕事をこなし、いつものように仕事を終える。
ただ一ついつもと違っていたのは、現場スタッフの昼食時間、食堂に六つ子の姿がなかったこと。
…だけど、今日はたまたま忙しくて、昼食を摂る時間すらなかったのかもしれない。そう、心のどこかで期待している自分がいた。朝の話は所詮ただの噂で、裏口の戸を開ければいつものように班長さんが側に座っていて「おつかれ」と言ってくれるはずだ、と。

かちゃり、と裏口の戸を開け、外へ出る。すると、

「…………」

いつもの場所に、班長さんの姿はなく。
そこには、班長さんがいつも吸っていた、煙草の吸い殻だけが残っていた。




カラカラと音を立てながら、ゴミを乗せた台車を押して歩く。
班長さんと出会って以来、この道を一人で歩くのは初めてだった。だけど不思議と恐怖は感じない。恐怖というよりも、寂しさ。班長さんと肩を並べて歩き慣れた道を、これからはまた一人で歩かなければならないのだと考えると、胸が苦しくなった。

…もう、二度と会えないのだろうか。
思わずその場に立ち止まる。

魚定食を楽しみにしていると言った時の、班長さんの穏やかな笑顔が脳裏に浮かぶ。
班長さんの落ち着いた雰囲気、時折見せる優しさ、男らしい低い声。
次々溢れてくる班長さんとの思い出。

……ああ、そうか。
私は、班長さんのことが……


「……班長、さん…」

その感情に気付いた途端、その名前を口にしていた。
気付いたところで、もう遅いのに。



「…………はい」

「……!?」

背後から聞こえてきた声に、反射的に振り返る。
そこには、私が今一番会いたかった人が、いつもと変わらぬ風貌で立っていた。

「班長、さん……?」

私が呼び掛けるとその人は、

「…もう班長じゃないですけど」

と自嘲気味に言った。
工場の作業着を着ているものの、確かにその左腕にはいつもの腕章は付いていなかった。

「どうして……脱走したんじゃ…」

そう問い掛けると班長さんは私の顔をじっと見てきて、自然と見つめ合う形となった。先程気付いてしまった自分の気持ちも相まって、恥ずかしくて思わず顔を逸らしそうになる。が、私が顔を逸らすより先に班長さんは視線をふいと他所へ向けた。そしてぼそりと呟く。

「……忘れもの、取りに来た」

忘れものって、と聞き返こうとした矢先、少し離れた場所から猫の鳴き声が聞こえてきた。班長さんははっとしたように鳴き声がしたほうを見上げ、私に視線を戻す。

「……こっち。ついてきて」

そう言って、足早に歩き出した。
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