中編

□永遠に醒めない夢を(申渡×辰己)
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 _______もう俺を優先しなくていいよ、栄吾。そしていつか俺のことなんて忘れてしまえばいい。 

真夜中に悪い夢を見て飛び起きた。
夢だと分かった時の安堵感。
でもまだ安心が欲しくて。身を起こして二段ベッドの下の栄吾を見る。
眠る栄吾の顔を見て、息をついた。
彼が起きた気配はない。起こさなかった事にホッとする。
よかった、あれは夢だ。
現実には起こらない、起こるはずない。
もう何度目なのか。栄吾がこの世からいなくなる夢、俺の傍からいなくなる夢、消滅する夢。

「………辰己?…どうかしましたか」

起こさなかったというのは間違いだったらしい。
身じろぐ音の後下から栄吾の声がした。
暫くして、よっと、と声に出して、栄吾はひょいと身を起こした。
俺が寝ている上段の枠に腕を絡ませ「大丈夫ですか」と問う。
寝惚け眼でセットされずに真っ直ぐになった前髪。
普段より幼くみえる。
軽く栄吾の首に腕を巻きつかせた。
栄吾の体温に安心する。大丈夫、あれは夢だ。
「辰己…どうしました。怖い夢でも?」
「…ちょっとね。大丈夫」
力なく笑みながら答えた。
栄吾はそうですか?と納得して無いようだったが
「起こしちゃって、悪い。ごめんね。寝ちゃって」という俺の声に「…何かあれば起こしてください」と云いながら下のベッドへ降りて横になり再び眠りに落ちて行った。
額と手のひらにかいた汗が冷たい。

___もしかけがえの無いものが無くなったら、どうなるのだろう。
今まで考えたことがなかった其れを意識し出したのはいつなのか。

彼の怜悧な瞳。
初めて身体を繋げた日の、俺を見る怜悧な瞳の中の熱。
俺に触れる時に熱くなる息、手、熱い眼差し。
其れが嬉しくてしかたなかったのに、何度も重ねると不安が生まれた。

___栄吾が存在しない世界ってどんなだろう。
考えただけでぞっとする、空虚で、空白で、色を失った世界。
怖くて怖くて仕方がない。
人間、誰にでもあるだろう?
一度意識すると怖くて堪らなくなった。

失う事は怖いよ。形ある物は必ず終わりを迎えるんだとしても。
其れが、大切で大切で仕方が無いものであるほど。

       ねえ、この世に永遠なものってあるかな、栄吾。

***
「…辰己と距離をおきます」
ーー世話を焼かれるのが迷惑なんだ、もう俺に構わないでいいよーー

ある日突然俺は栄吾に言い放った。
栄吾は扉の向こうへ身体を滑り込ませ、大きな音で無慈悲に扉を閉める。
俺は泣き出す一歩手前の子供の様な表情をしていると思う。軽く唇を噛み、握った拳にギュッと力を込めて。
栄吾を怒らせるように仕向けたのは自分の癖に、酷く胸が痛む。バタンと勢いよく閉じられた扉の音に、暫く身動きが出来ないまま。幾ばくかの時間がすぎ、顔を覆いながらベッドに座り込んだ。

だって、ああ云うしかないじゃないか。

栄吾は何を指し終えても俺の気持ちを優先する。
自分の気持ちは二の次だ。
いつだって俺の気持ちのみを、自分の感情より優先する。
だけどそれは幼少時に身体が弱かった俺への、周囲からの刷り込みに寄るものだとしたら?『栄吾君、琉唯から眼を離さないでいてあげてね』柔らかく、だがことあるごとに栄吾へ頼み込んだ俺の母親の言葉が、幼少の栄吾に刷り込まれただけだとしたら?
単なる義務感が本人の預かり兼ねるところで愛情という思い込みに変わった訳では無いとどうして云える?

栄吾の人生は、そんな思い込みで終わるんだろうか?そんなのでいいんだろうか?
ましてや自分達は男同士だ。思春期の一時期の過ちだったと栄吾が考えるときが来るかもしれないと云うのに。

本音を吐くと怖いに尽きるのだ。彼が自分の傍からいなくなることが。
怖いんだ、いつかの未来に彼がいないかもしれないことが。

今なら間に合うから。あえて手を離すんだ。これ以上二人の関係が深みに嵌らない内に、手を離して、距離を置くんだ。
……大丈夫、いつかは存在の不在に慣れるよ。きっと生きてる間にはさ。

薄紅色から紺色へと染まっていく空を、寮の廊下の窓から眺めて歩いていく。
「…降ってきた」
外は暗くなり小雨が降ってきた。
しとしとと降る雨を眺めながら、昨日栄吾と交わした会話を頭の中で反芻した。

『もう俺に構わないでいいよ』

課題を終え、立ち上がって自分の机の上を整理をしていた栄吾の背中へ向け言った。
それを聞いた栄吾は信じられないと云うように、驚いた様子で俺を振り返った。暫く合間があいた。
栄吾は怜悧な瞳で俺を見つめてくる。
「迷惑ですか、辰己」
「………うん」
声は震えていないだろうか、演技だと見抜かれていないだろうか。
「私が好きで辰己の世話を焼いていたとしても?」
「うん…………迷惑だよ」
なるべく真実に聞こえるように言葉を吐く。
「だから、もう、いいんだ栄吾」
「…わかりました」
平坦な声で栄吾は答えた。辰己と距離をおきます、その一言の後俺たちは言葉を交わしていない。 

 よく人生は道に例えられるよね。
通りすがる人、立ち止まる人、挨拶するだけの人等様々だ。
栄吾はどうだろう。俺と同じ道を歩きながら、ときどきあえて、少し先を歩こうとしてくれる。
先になんて歩く必要はないというのに、
栄吾の俺への格好つけが、可愛くて愛おしい。
いつだって、俺の歩幅に合わせるように、振り返りながら。

ガチャリ。寮の部屋のドアノブを開ける音がして目を向けると、
小雨に濡れたままの栄吾が姿を現した。
理知的な人間が得てしてそうである様に、栄吾は行動に無駄がない。
そんな栄吾が雨に濡れて帰ってきた。雨の予報が出ていたと言うのに傘も持たずに外出し、道中使い捨ての傘も買わずに。きっと栄吾の中で感情が揺れ動いている。
本人も持てあますくらい強い感情が。

「昨日の会話について考えたんですが…」
「…なにを」
「なぜ辰己が迷惑なんてみえみえの嘘をついたのか」
「…っ」
濡れて真っ直ぐになった前髪を掻き上げながら栄吾は云う。
タオル取って来る待ってて、そう歩き出した俺を押し留めるようにぐっと右腕を掴んだ。栄吾、痛い…そんな俺の言葉を聞き流す。それどころじゃないと云う様に。

「嘘なんて事、あの場ですぐ気が付きました辰己」  「どれだけ長い時間を共にしてきたと思うんですか、私がどれだけ辰己の事を見てきたと思うんですか」
「なぜ私を遠ざけようとするんですか、何を恐れてるんですか、……私を失うことですか?そんなに私の事が信じられませんか」

畳み掛けるように言う。
例えば私が明日死んだとしたらどうします?二度と会えない。
私に会えない、私の声が聞こえない、私という存在を知覚できない、その現実くらい辛い出来事が辰己にはありますか?
「辰己には、ない。そのくらい私も自信を持っていいはずです」

いい加減気が付いたらどうですか。
栄吾が珍しくイライラした声で云う。
「私がこの世に居ないどころか……側にいないだけで辰巳は、駄目になるんです」

勿論私もですが。
言い終えた後ギュッときつく硬く抱き締められた。
体躯が熱い。その熱さを身体越しに感じ取って泣きたくなった。
栄吾の声音が酷く哀しんでいる。滅多な事では感情を露わにしないのにもしかすると、泣いているのかもしれない。
どうして自分を信じてくれないのかと言いたげに。
背中に回った栄吾の腕と身体の熱が心地よくて、それがなんだかとても愛おしくて身を任せたまま思う。

  栄吾が存在しない世界ってどんなだろう。
想像するだけで辛くて哀しい世界だ。どこまでも空虚で、空白で、色を失った世界。
抱きしめたまま、頬を摺り寄せてきた。

「辰己、私を信じてみませんか?」

そしてそっとベッドに俺を座らせる。膝をついて俺と目線を合わせ
優しい眼差しで両手で俺の頬を挟み込みながら云った。

________約束します。そうですね…この先の遠い遠い未来に。私が消える時には、貴方を連れて行くことにして…。
……そして万が一辰己が私から離れることがあれば……
 栄吾が微笑んだ。
      
 ーー 殺します、そのつもりで。
   本気ですよ。
       
これどうぞと、まるで文房具でも渡すようなたやすさで告げられた狂気じみた言葉。
栄吾の中に俺への狂気が存在する。その存在を感じつつ、狂気が俺へと向けられる事実に嬉しくて、身震いがくる。
「まったく。二人共、どうにかしていますね」
俺の肩の上に手を移動させ顔を覗き込みながら栄吾が柔らかく笑う。

なんだか涙が出そうになって、栄吾の首に抱きついた。

「万が一栄吾が俺を要らなくなった時はね、消して欲しいんだ」

俺がその事実にすら気がつかない間にね。

まだ、信じてないんですか?そんな呆れた声が聞こえた気がするけれど。
栄吾の感情や思想はいつだって俺と共にあった。そしてこれからも俺に寄り添ってくれるんだろう。
それらが共に無くなった時が2人だけの合図だよ。
俺らの関係が終焉を迎えるってさーー

栄吾の耳にそっと囁いた言葉___
『 』
聞こえた?栄吾。
今の俺が一番伝えたい言葉だよ。

すると背中と腰に力強い腕が回ってきた。
狂おしい程の栄吾が見せる情熱。
誰よりも冷静で理知的な人間の癖に、
俺に対してだけは情熱的になる。
熱い体躯、熱い手、熱い眼差し。
俺だけが栄吾の理性を取り払うことができる。
この世界で俺だけが。
その事実が嬉しくてたまらない。

…二人で過ごした道。
その沿線上に、栄吾との未来は永遠に続くっていう夢をみていたい、みていいかなあ。

『……とっくに解ってます。辰己、いつも私を見る眼で、あんなに訴えてるのに…気がついてないんですか?』
俺の肩におでこを乗せながら栄吾は眼を瞑った。
嬉しそうに愛おしげに。
『…離しません、決してね。私の執着を、琉唯はこれからたっぷり知るべきです』
呟かれた栄吾の言葉に嬉しくなり、
今度は自ら栄吾の胸にとび込んだ。

______どこまでも続く色のない世界。
もうあんな怖い夢は見ないで済むだろうか。
 
       色のついた醒めない夢を永遠にみていたい。

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