中編
□青天の霹靂(バッテリー 瑞垣×巧)
1ページ/1ページ
(遅うなってしもたな)
瑞垣は一人暮らしの部屋の鍵を、陽気に鼻歌なんか口ずさみながら開け、ノブを廻す。
「うん?」
玄関先に、自分のものではないスニーカーが、きちんと並べて置いてある。
「おや」
訪問相手にすぐ思い当たり、真っ暗な中でぱちりと電気のスイッチを押しながら、部屋をぐるりと見渡して。ソファに目をとめた。
ソファの上に、黒のジャケットを掛け布団がわりにしながら、身体を横向けにして眠っているやつが一人。
「いつ頃きたんや、姫さん」
すやすやと穏やかな寝息をたてる原田巧の傍に立て膝を立てて、そっと座ってみる。
顔を覗き込みながら、髪にそっと触れてみたりもする。されど巧が起きる気配はない。
(やわらかっ)
まっすぐでさらさらと触り心地の良い髪を堪能した後。
「…ふう」
ソファを背中に当てながら、ポケットに手を入れ、ごそごそと煙草を探して取り出す。
結局は煙草は自分と言う人間の一部であり、やめられなかった。
煙草に火をつけ煙をゆっくりと吐き出しながら、ふと蛍光灯を見上げた。
(どうしよ。寝込みでも襲ったろか。・・・いやいや。さすがの俺もそこまで人でなしにはなれんわ)
それにしてもやすやすと、自分を目の前にして眠りこんでくれるものだ。
頭を掻きながら思わず溜め息が出た。
自分も焼きが回ったものである。
※
「帰ってきたんですか」
巧は目を覚まし、上半身をゆっくりと起こしつつ、軽く眼を擦りながら言う。
「そりゃ、まあ、俺んちやから帰ってくるわな。姫さんは、いつ頃きたんや?」
「練習終わって一旦家帰って着替えてからだから、
一時間前くらいです」
「連絡せずに来るなんて珍しいな」
付き合いをはじめてしばらくして合鍵を渡した。
渡したのは確かに自分だが、巧が実際に使った事は無い。
自分の記憶内じゃ、初めての事である。
「…どうしたんや?」
目を細めながら優しげに問うてみる。
「……」
「そんなに俺に会いたくなったんか?」
いつもの様に、人を喰ったかの様な表情でにやりとしながら、首を回して訊いた。
「…はい」
「へっ」
巧の思わぬ返答に、ポロっと指から煙草が滑り落ちそうになるのを慌てて抑える。
「顔が見たくなったんです」
「…………姫さんがそんなに素直になるなんて、大丈夫か、おまえ。なんか悪いもんでも食うたんか」
「………」
ふと脳裏に閃くものがあって、問うてみる。
「なんかあったか?」
瑞垣は煙草を消して、巧に向き合った。
とたんに、瑞垣の裾を戸惑ってから、軽く掴む手。
驚きを隠せないまま、瑞垣は内心、笑顔を広げる。
(なんや。今日は一段と、えらい可愛いやん)
口元がニヤけそうになるのを押さえつつ。
そのまま腕の中に抱き寄せる。
「先輩命令や。しばらくこのままでいなさい」
「・・・」
巧は黙ったまま、そしてすっぽりと瑞垣の腕の中に収まったまま、動かない。
と、思っていたら、巧からまさかの思わぬ言葉が返ってきた。
「瑞垣さん…」
「んー?」
「…」
「どうした?」
優しく腕の中の顔を覗き込む。
するといつもの巧からは考えられない、弱々しくそっと発せられた声。
「…もう少し、こうしてて下さい」
…………………いったいぜんたい、原田に何があったんや。
それにまさかあの原田が。死ぬほどプライドが高くて、高慢で。人を頼らん姫さんが、甘えてくる日が来ようとは。
瑞垣に衝撃が走る。
中高時代には、思いもよらなかった。
まあ、俺が高校時代に横手二中の城野と萩のコーチやってた頃から考えても。
今恋仲というやつになってる方が、
奇想天外、思いもよらんことすぎるけど。
練習試合で何度も会った。
その度、どうやって負かしてやろう、と常に考えていた。
重ね重ね言うが。今恋仲になってる方が思いもよらんことすぎるんやけど。
それにしても。
今日は、珍しい事のオンパレードやな。近いうちに、隕石でも降るんちゃうやろか…。
「原田ぁ、このままでもええで」
「………」
「今日は…って言ってももう、夜やけどな。姫さんの気が済むまでこうしといてあげようやないか」
ぽんぽんと軽くあやす様に背中を叩く。
それから
ん?と言う感じで、顔を再度覗き込むと。
薄っすら顔を朱に染めた巧の顔。
てか。俺は、人から甘えられるの大嫌いやったんやけどな。
原田だって、人に甘えるなんて死んでもできんかった。
そして俺は。人を甘やかす事なんて、死んでもしたくない男やったのに。
やったはずやのに。
…この嬉しさときたらなんやねん。
まさに青天の霹靂ってやつやないか。