中編

□絶対王者と涙とブルーミングシティ R-15
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 ーー君は心の深い部分へ踏み込ませない。そのくせ本当は誰よりも淋しがりやだ。
      君の淋しさごと包んでやりたい。
    俺ではその役割が果たせないなら・・・そうだな、強くて心が案外タフな誰かが君の淋しさをみたしてくれるなら
        その位置を譲ったっていいさーー

 
「国旗の掲揚を行います。皆様、ご起立下さい」

ソチのリンク内でメダルセレモニーが始まった。
ヴィクトルは表彰台の真ん中に立ち、満足げに、そしてどこか誇らしげに上がっていくロシア国旗をじっと見つめていた。彼にとってどんな試合であろうと、何度見た光景だとしても感慨深いのだろう。


五回目のヴィクトルのファイナル優勝が決まった瞬間、バックヤードがどっと湧き上がった。各国のマスコミのインタビューに応えたあと。行き交う連盟の人間、各コーチ陣、振付師、他の国の選手など(つまりは関係者たち)にヴィクトルは呼び止められるたび律儀に足を止めた。
「おめでとう!」の言葉とともに握手やハグで祝福が贈られる。
それら全てに対して柔らかい笑みでヴィクトルは答えた。

クリスは廊下で、ハグ大会を終えたヴィクトルが、腕を組みながら側を通るのを待っていた。
幾ばくか時間が経過し、クリスに気がついたヴィクトルは嬉しそうに足を止める。

「おめでとう、ヴィクトル。結果を知ったときも、さすがに五回目となれば余裕だね」
「そう見えたかい?」
そうして顔を見合わせ、先ほどまで戦った戦友同志、お互いに笑顔でハグを交わす。

ハグをし終えても、クリスは自分の両腕を、名残惜しげにヴィクトルの肩からどかせようとしない。その事に対してやれやれとでも言いたげな様子で、ヴィクトルはゆるゆると頭を振って軽く息を吐いた。
ようやくクリスはヴィクトルの肩に乗せたままになっていた両腕をゆっくりとほどいた。と思えば、今度はヴィクトルの胴体の周りに腕で輪っかを作ってとじこめた。
そのまま腕に力を込めヴィクトルの背を抱きながら、なかなか離そうとしない。
嬉しそうに頬を合わせたまま。

「クリス!」
困ったように咎めるヴィクトルへ対しても肩を竦めてるばかりだ。   
なんてことはない。二人のコミュニケーションの一環である。

「他人にはそう見えるかもしれないね、でも…」
ヴィクトルはさりげなくクリスの腕のから逃れると、そうっと撫でるようにクリスの唇に華奢で長い人差し指をあてた。
 悪戯めいた、面白そうな口調で言う。
「毎試合、命を削ってるんだよ。これでもね」
そう言って少しだけ瞳の中のアイスブルーを揺らがせた。口調に反して、どこか淋しそうに。

クリスがその言葉の意味を詳しく尋ねようとしたとき。
「ヴィ「あ、ヤコフが呼んでる」クリスが発しようとした言葉は遮られた。意図的かどうか判別はつかない。
「クリス、またあとで。セレモニーと記者会見でね」
手をひらひらさせながら、微笑みを浮かべたヴィクトルは、ヤコフの元へ軽やかに立ち去った。
溜め息をついて、クリスは彼の後ろ姿を見送る。
今日の試合は勝てなかったことが悔しいというより、クワド4本を綺麗に決めたヴィクトルの演技に完敗だ。モニター前のクリスはヴィクトルが終盤に綺麗な4ー3を決めた瞬間心の中で白旗をあげた。
そもそも、幼い頃から彼のファンであった。その彼から客席で花を受け取り、声をかけてもらったあの日から、すっかりヴィクトルの虜なので今更ではある。
クリスは廊下の壁に背中を預けたまま腕を組み、ふと今日のヴィクトルのフリーを思い返した。

今日のヴィクトルは、ミューズが乗り移っているようかのようだった。
観ているこちらが引き寄せられるかのような、妖絶さと、同時に清冽さを感じる、彼だけが滑る事が出来るプログラム。
もちろん今日の会場の主役はヴィクトルとなり、観客を熱狂させ魅了した
だけどーーー
クリスは思うのだ。淋しさとでも言ったらいいのだろうか。
非常に曖昧模糊で感覚的な感想だが、どこか儚げな今日の彼の演技に静寂感を感じたのだ。

ヴィクトルは、子供の頃からクリスの目標だった。常に選手としてのヴィクトルが心の中心にいて、何年も目を凝らす様にして演技を見てきた自分だからこそ気がついた。
(同等に競う相手がいないモチベーションの低下が原因なのか?)

試合、そして記者会見の後には必ずバンケットが催される。
たくさんの関係者や選手と談笑したり、写真をせがまれたりしながら。ヴィクトルは華やかに場に溶け込みつつ、軽々と場をあしらっていた。
仲の良い選手何人かと話し終えた後、クリスは壁際でカクテルグラスを傾けて悠々とアルコールを楽しんでいた。

「やぁ、クリス。何呑んでるの?」

軽く手を挙げて笑みを作りながら、やっと自分の方へ来たヴィクトルに対して、クリスは優しく微笑んだ。

「ブルーミング・シティ。なかなか強いカクテルだよ」

フォーマルに身を包み貴公子然とした佇まいのはずだというのに、ヴィクトルはショットグラスの中を興味津々とまるで小さな子供のようにきらきらした瞳で見つめてきた。

「綺麗な色だねえ」
「だろう?」
「…でもさ、それ、ちょっとだけ俺の瞳の色に似てない?」
何を言ってるんだと突っ込まれそうな、自信過剰、自意識過剰ととられかねない台詞を、のほほんと、さらりと、堂々と言えてしまうのがヴィクトルという人間である。

「それはあたりまえ。ヴィクトルの瞳の色でリクエストして作ってもらったんだよ」
クリスはウインクしながら、茶目っ気たっぷりに言う。
「えっ、そうなの?」
きょとーんとしながら、唇に人差し指を乗せつつ、僅かに小首を傾げるヴィクトル。
アイスブルーとエメラルドグリーンが合わさった様な色。
じっと見つめつつ「クリスって、気障だよねえ」
しみじみと言うものだから、感心しているのか呆れているのか判らない。

「でも、綺麗だろ?深海を思わせるね」
「・・・うん…綺麗。でもさ…」
「うん?」
「自分で言っておいてなんだけどね、恥ずかしくなっちゃったよ」
 へらっと笑いながらヴィクトルは大げさに自分の顔の前で手を前後にパタパタやった。 
「なんだいそれ。・・・同じやつ、頼む?」
「んー。クリスのグラスから貰うからいいや」
  ヴィクトルはクリスからそっとグラスを奪い取って、コクリと美味しそうにブルーミング・シティを口に含んだ。
コクコクと軽く喉を鳴らす細い首もとに目がいってしまう。
彼の酒の強さは知ってるし、たかだかこの程度のアルコールで酔わないことも承知してるのだが。
今日はさすがに心身共に疲れていたのだろう。いつもの数倍の早さで回ったらしく、ほんのりと、白い頬が朱く染まっていく。
そんな姿が扇情的に思えて、クリスはそっと耳打ちした。
ヴィクトルだけに聞こえるように、囁くように。
いつもよりことさらに低く響く声音を意識して。数々の女も男も落としてきたであろう、脳裏に響く甘くて蕩けそうなバリトンで。

「この後、俺の部屋へくるかい?」

ノックの後、ホテルのクリスの部屋へと入り込んだヴィクトルは、シャワーを浴びた後ベットの上に座って髪を拭っていたクリスの首元へ倒れこむように、勢いをつけて腕を回してきた。
小さな子供が縋りつくように、ぎゅうっと眼を瞑り、ぎゅうっとヴィクトルの腕に力がこもっていく。ヴィクトルは何かをぎゅっと抱え込むことで安心する。不安になったり人恋しくなったとき、何かに抱きつきたくなってしまうようだ。

 「クリス〜」
 甘えたような鼻に抜けるヴィクトルの声。
 どうもクリスには、心を許している節がある。
 そして、クリスはおそらくヴィクトルを容赦なく甘やかしてくれるであろうことも。

「ヴィクトル、君は淋しがりだよね」
優しい声と目を向けてヴィクトルを可愛がり、ヴィクトルの銀髪を撫でながらクリスは言う。
「そう?・・・かもね」
クリスの首筋にんんっと、額や頬をそっと押し付けながらヴィクトルは答えた。

実際のところヴィクトルはかなりの淋しがりやである。
人当たりの良さ、フランクさばかりが目立つが、心を許した人間以外、決して自分の心の深い所へは踏み込ませない。

「ずっと一番でいるのって、孤独なものだよ」

クリスに抱きついたまま、ヴィクトルはくぐもった声で言った。どんな表情で、そんな悲しくなるような言葉を発したのか。クリスからはヴィクトルの表情は見えない。そしてそんな唐突な言葉にクリスがどんな表情をしているのもヴィクトルには見えない。
愛おしくなって、クリスは無言で銀色の柔らかい髪を優しく梳く。

一人だけ、卓越している。連勝して、皆から追われるトップの座に座ってから数年立つ。
横を向いて一緒に走ってくれる相手がいない。
そりゃヴィクトルには親愛なるヤコフもいるし、全幅の信頼を寄せているサポートチームがいる。今までの彼の戦歴をとっても優秀と言わざるを得ないチームワークであり、良い信頼関係を築けている事は疑いようがない。

だけど。どのスケーターも、最後の仕上げとして、氷上という名の舞台に立つ時は一人きりだ。
その孤独を皆の驚きという方法へ変えて、楽しむことが出来るヴィクトルのはずなのだが・・・。

ふう、クリスは、一つ息を漏らした。僅かに上を見上げながら、ヴィクトルの背にさらにきつく腕を回して、抱え込む。
密着した二つの身体は、どくどくという心音をお互いに与え合う。
その音を聞きながら、ヴィクトルは安心したように眼を瞑る。
「ねえ、ところで。…するの?」
「まあ、そのつもりで僕は部屋へ呼んだけどね。でも…」
クリスは溜め息をつきながら、仕方ないなとでも言うように、ヴィクトルの頬を両手で挟みながら、コツンと額を合わせた。
「君が嫌ならしないよ」
「クリスって本当、紳士だよねえ」
呆れてるのか感心してるのか、どちらとも取れる口調のヴィクトルの言葉を聞きながら。クリスはそっとヴィクトルの顎を持ち上げた。
最初は浅く、そしてだんだんと深い口内へ舌を入れていく。
反射的に逃げようとするヴィクトルの舌を追いかけて、お互いに気持ちの良いところを舌で探り合う。
「…っ、クリス」
ヴィクトルは瞳を潤ませながらも、クリスの強引な舌についていこうと舌先を絡ませる。
歯や茎までもクリスの舌先は丁寧に蹂躙してきた。
お互いの瞳を見つめながら、または離しながら。くちゅくちゅと何度も何度も角度を変えてお互いを食べてしまうかのような、深くて甘いディープキスをする。
身体が熱くなってきはじめた彼のカッターシャツを脱がせながら、唇はヴィクトルの喉元や胸元へと降りていった。
そしてヴィクトルの美味しそうな胸の突起へクリスの唇が移った。ペロリと舐める、啄むように挟んでは甘噛みをする。
ピンク色のそこは、すでにピンと立っている。
片方の手は、すでに硬くなっている白いヴィクトルの分身へと添えて。
「……ふっ」
堪らないとでもいうように眼を瞑り顔を横に背けながら吐息を漏らす彼は、本当に色っぽい。

窓から月明かりが部屋を照らしていた。
月の光だけがまるで二人だけを優しく見守っているような錯覚に陥る。
クリスの巧みな行為に、嫌というほど喘ぎ、鳴かされ、ヴィクトルのブルーグリーンの瞳から涙を流した跡がわずかに残っていた。

深い海を思わせる綺麗な綺麗な瞳からはらはらと落ちる涙。

涙を流す美しい表情を堪能しながら、クリスは腰を進めた。


ーー俺じゃ無理なら…君が・・・少しでも淋しさを埋められたらいい。
    そんな相手に出会える事を祈るよーー

うつ伏せにシーツにくるまったまま、疲れてすやすやと眠るヴィクトルに
クリスの優しい声と、髪を撫でる優しい手が、届いたかは判らない。
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