世界一妹

□光の輪
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- IF -



《おそ松視点》





俺の妹は全盲だ。


生まれつき見えないこともあってか、彼女はあまり盲目であることを悲観する様子はない。


しかし、だからこそ心配になることもある。


ふと嫌になって弱音を吐いたり、自分の背負ったものの理不尽さに怒り他人に当たったり、

綺麗なことばかりじゃないのが人間というものだ。



だが菘はどうだ?



俺が記憶を遡ってみても、これっていう大きな出来事は思い当たらない。

彼女が語らずに胸に秘めた思いは一体どれだけギュウギュウに詰め込まれているのだろう。



…全て知りたい。



彼女が感じたこと。言い出そうとして飲み込んだ言葉。頭の中で掻き消した夢。


彼女の中の綺麗じゃないところ。ぐちゃぐちゃした感情。嫉妬、怒り、痛み。


彼女の全てが知りたい。


一番の理解者で、唯一無二の人になりたい。これは菘の為なんかじゃない。俺自身の欲。





そんな思いがあるからこそ、ずっと躊躇していた願いがある。





「………本当に、後悔しないダスね」




「……しないよ」





彼女に、"それ"を望んでいるかなんて確認したことはない。


そんな話をすること自体、彼女の平静を支えていた何かを壊しかねないから。













「菘に、光を見てほしい」













今まで触れずに来たタブーを犯すような、俺の願い。






・・・・・





「菘〜」




時刻は午後10時30分。



風呂上がりの濡れた髪のまま、ソファに凭れて座る菘に後ろから抱きつく。




「わっ、冷たっ!

 もう!濡れたままくっつかないでっていつも言ってるでしょ、おそ松兄ちゃん」




ぼーっとしていたらしく飛び上がって驚く菘に、思わず笑ってしまう。


「ちょっと聞いてるの?このこの!」と俺の肩にかけていたタオルでガシガシ頭を拭く菘。




ああ、幸せ。




このなんでもないやり取りが、俺は幸せで。きっと菘も幸せと思ってくれていて。


これ以上何かを望むなんて罰当たりかもしれないって思うくらい、満たされている。




……罰、当たるだろうか。










「……ねぇ、どうしたの?本当に」



「え?」




菘が怪訝そうに首を傾げる。


それが本当に心配そうに訊ねてくるものだから、俺のここまでの挙動が彼女に何かを感じ取らせてしまったんだろう。


俺は分かっていても「何が?」とシラを切った。




「なんか……今日、静かだから」



「俺はいつも静かだけど?」



「……言いたくないなら、いいんだけど」




どの口が言うんだとか突っ込みが来るだろうという当ては外れ、菘はちょっと悲しそうに微笑んでそう言った。


本当に……菘は人の変化によく気付く。


俺はバカだし単純だけど、いざという時いつもの自分を演じるのは得意なはずだ。


……まぁ要するに、菘の観察力には負けたってことだな。




「俺さ、まさか菘と同棲できると思ってなかったから

 最近本当俺ばっか幸せすぎてみんなに悪いな〜とか思っちゃうんだよね!」



「"同棲"…ね

 不思議だよね」




話をはぐらかすように、でもちょっと本音に近いことを話してみる。


家族として"同居"していた20年強、そして真剣に交際していることを宣言し実家を出て"同棲"を始めたのは約1年前の話。


俺は菘を守る為に仕事に就き、菘は学校で障碍者支援について講習したりと活動の幅を広げている。


新しい生活にも慣れ始めたし、二人で支え合って生活していることが実感できて新鮮で…俺は結構楽しかったりする。





「私……本当はね、同棲の話が挙がった時……


 おそ松兄ちゃんが苦労することを考えるとあんまり気が乗らなかったこともあったの」




ぽつり、菘が呟いた。


菘の口からはあまり聞かれない、自分が障碍者であることをマイナスに捉えた発言。


これが今まで秘めていた本音なんだと思うと、軽率に励ましたり笑い飛ばしたりはできなかった。




「でも……苦労すること考えるの、やめた!

 だって私、幸せになりたいから!



 えへへ…ごめんね?おそ松兄ちゃん」




俺を見上げてヘラッと笑う菘は嘘偽りなく幸せそうに見えた。




俺にとって菘の幸せの為に壁を乗り越えることは断じて苦ではない。


菘の笑顔を守る為なら例え火の中水の中だ。



それを……ごめんね、だと?

















「…………


 ……可愛いから許しちゃう!!!」






「きゃあーっ!!うひゃぁーっ!!」




全力頬ずりをかまし、菘がくすぐったさで悶絶する。


きゃーきゃーと笑う菘をソファに組み敷いて、脇腹をくすぐり倒す。


そして笑いながらも本気でギブアップを告げられると、いじめすぎたかと手を止めて彼女を見下ろす。






「………」






あー苦しいーと倒れて息を乱す菘。


髪や服は乱れ、上気した頬……露わになった項とデコルテラインが色っぽい。





…そうか…今、菘は俺のものなんだよなぁ。



……でも、もっと……もっと支配したい。





笑い疲れて赤くなった頬に手を添えて至近距離で見つめれば、菘も雰囲気の変化に気付きお喋りをやめた。





「……菘……」





1センチ、1センチ…とゆっくり距離を詰めていく。



初めてじゃないのに、初めてみたいに心臓がバクバク言っている。



あと1センチ…という時、






「私……幸せだよ」







菘が蚊の鳴くような声でそう囁いた。



そっと箱にしまっておいた葛藤を呼び覚ます鋭い発言にドキッとして、思わず身体を起こしてしまった。




「菘……」




ムクリと菘も起き上がり、俺に凭れ掛かった。


凭れやすくする為に俺もそれに倣って座り直す。





「何か、考えてくれてるんでしょ。


 私はそれだけで嬉しい」





――菘に、光を見てほしい。





菘と一緒にいると、俺の願いはなんて幼稚で安っぽいものなんだろうと思えてしまう。




……それでも、いい。幼稚でもいい。





「菘、あのさ、


 ……聞いてくれる?」





ガチガチに緊張した俺の声に、菘がくすりと笑って「なあに?改まって」と返す。




「俺、菘に"プレゼントしたいもの"があって……


 信じてもらえないかもしれないけど……




 一日だけ目が見えるようになる薬がね、手に入ったんだ」






できる限り努めて冷静に伝える。


菘は表情ひとつ変えずに、黙って聞いていた。







・・・・・




「ほ、本当にそんな薬作れんの!?」



「まぁ落ち着くダス。薬と言っても万能じゃないダス。


 これを使えるのは一生のうち一度限り。効果はおよそ24時間。


 生まれつき見えないとなると、飛び込んでくる光の刺激に身体が耐えられないという高いリスクもあるダス…」



「そんな……」



「でも心配無用!

 このデカパンの技術なら、薬の効能を調節して刺激を最小限に抑えることもできるダス!」



「本当にそれは、信用できるのか?副作用とか、後遺症とか、」



「だあああ!!信用するダス!!こんな重要な仕事で無責任なこと言わないダスよ!!」



「24時間、だな……」





・・・・・





俺は、デカパン博士から聞いた薬の説明を思い出しながら菘にも説明する。


最後まで静かに聞いていた菘に、俺は終始緊張してしまい声が上ずっていた。





「………」




「……使って、ほしいんだ」





"目が見えるようになってみたくない?"…そう聞くこともできた。


でも、それは卑怯な気がした。



俺の偽りない本心が「使ってほしい」…だった。



菘は一度大きく深呼吸をした後、口を開いた。






「…いいよ。」






いつもの笑顔だった。


薬の効能を信じていないのかとも少し思ったが、そうではないようだった。





「おそ松兄ちゃんがくれるなら、間違いない」





俺に寄せられた絶対の信頼が、菘をいつも通りにさせていた…らしい。



菘の信頼を受けて、俺は不安になるどころかなぜだか自信が湧いてきた。


菘が信頼する俺なら、大丈夫だ。そう思えた。





「これ……なんだけど」




俺はデカパン博士から受け取った薬を取り出した。


菘の手に触れさせる。


一見、普通の目薬だが……これの何がどう作用するのかまでは素人の俺にはさっぱりだ。




「この目薬を、さすだけ?」



「う、うん……両目に1滴ずつだって」



「わかった」




頷いた菘は、何の躊躇もなく蓋を開けて慣れた手つきで目薬を1滴、1滴とあっけなく点眼してしまった。




「え、早っ」




思わず素でリアクションしてしまった。


菘っておっとりしてるようで、意外とたくましい性格してるんだよなぁ。


そういうところにも惚れてるんだけど。




瞼をパチパチと開閉してから、数秒動きを止めた菘。


俺はどうなってしまうのかと呼吸も忘れて菘を見つめる。




「…………」




ゆっくり瞬き、瞼を開ける菘。




「………見えるか、菘……?」




つい気が急いてしまい、相手の反応を待たずに訊いてしまった。


菘は小さく口を開き、喋りそうなところで数秒黙りこんだ後……









「…………








  見えない。」










そう言った。






俺は、期待が外れたショックでぽかんと口を開けたまま菘を見つめることしかできなかった。





「……もう1滴さしてみる?」



「や、やめよう!デカパン博士が用法用量を守らないと副作用とか保証できないって言ってたから!!」





慌てて菘の手から目薬を取り上げ、俺はきっと目に見えて……いや、見えなくても分かるんだろうなというくらいにしょんぼりと肩を落とした。




「おそ松兄ちゃん、ありがとう

 そんなに気を落とさないで


 言ったでしょ?私、今幸せだよ」




幸せそうに湛えられた微笑みを前に、涙が滲んでくる。




俺、ひどい男だなぁ……。


自分の欲で勝手に変な薬渡して、勝手に失敗して泣いてんだもんなぁ。




啜り泣く俺の頭を、菘が優しく撫でた。





「おそ松兄ちゃん、明日もお仕事でしょ?もう休みましょ」





情けない姿をこれ以上晒すことは耐えられない。


俺は黙って頷き、菘と二人、未だかつてない負のオーラの中でベッドに潜り込んだのだった。







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