NLCP*ブック

□林檎
1ページ/5ページ



「いらっしゃーい、新鮮獲れたて、海の幸だよ〜」

入り込んだ場所は、些か懐かしく、ネジの耳にまるで彩色した音を添えるかの様に、急速に聴覚が戻る感覚がした。
帰る前に何処かで買い物をしようと立ち寄った商店街は、変わらず賑やかな様相だった。
暫く留守にするからと、自宅の食糧庫は殆ど空にしてきた。
任務明けの殺伐とした脳に喧しく響くそれは、だがどこか憎めない温もりが感じられ、ネジは声に引き寄せられる様に通り掛かった魚屋の前で足を止める。

「魳(かます)……? 珍しいな」

先程から店主が連呼している、里ではあまり見ない種の魚に仄かな好奇心を抱き、氷の浮かぶ発泡スチロールに目を遣る。
自らの客を呼び寄せる声に、思ってもいなかった端整な顔立ちの青年が立ち止まった訳なのだが、店主は驚くことなく、それよりもと喜色を浮かべた人の良さそうな温顔をネジに向けてくる。

「それがさ兄ちゃん、この秋から波の国の漁獲制限が緩和されて、この木ノ葉隠れの里にも、こんなのが入るようになったんだよ」

いや、これ、今日入ったばかりなのよ、と些か興奮気味に話す彼の話をそっちのけに、ネジは氷水に冷やされる細長い円筒形の胴を持つ魚を、繁々と眺める。

「どうやって食べるんだ?」

他の発泡スチロールに氷を入れていた店主は、一度手を止めて濡れたグローブを振り、辺りに飛沫を飛ばす。

「んー、干物にしても美味いけど、こいつはシンプルに塩焼きが一番だよ、兄ちゃん」

片足に体重を預けて立ち、顎に手を当て恍惚の表情で語る声を聞き、ネジは腰を上げる。

「一匹貰おう、店主」

人当たりの“悪い”仏頂面を崩さずに淡々と購入を決めるネジに、ハイ、毎度ありい、と皺くちゃな笑顔を向け、呼ばれた彼はグローブを魳の氷水に突っ込んだ。







「サ、サクラちゃん、ほんとに大丈夫かってばよ? ふらふらだぞ」

一方此方は、先に出た商店街からは然程離れていない、里のとある場所。
足元の覚束ない、心なしか目の焦点も合っていない様な、少々訳ありな雰囲気の少女と、それを心配する少年が二人並んで歩いていた。

「だ……大丈夫だってば……。一人で、帰れるから」

さっきから金髪の少年は、一人で帰れると言い切る、弱り切った桜色の少女を気に掛け勝手について来ているのだが、彼女にとってそれは、有難迷惑でしかなかった。
やっとのことで任務を終わらせ、さあ後は帰ってゆっくり布団で眠るだけ、と至福の時を思い描いていたサクラにとっては、思わぬ展開だった。
頭が鉛の様に重く、心臓の鼓動に合わせ、ズキンズキンとこめかみ付近で脈打つそれが、今一番に彼女を苛むエネミー−大敵−だった。
正直、他人と会話するのも、しんどい。
良いから放っておいてくれと、残っている力を振り絞り、不意を突き現れた伏兵に遂に語気強く言い放とうとすると、その前に腕を掴まれ足が止められる。

「サクラちゃん、やっぱオレ、心配だってばよ。よし、オレんちに行くってば。こっからだと、そっちの方が近いってばよ」

「ええ? ちょ、ちょっと……」

嫌に真剣な眼差しをして、何を言うのかと思えば、全く予想だにしていないことで、酷い頭重に喘ぐサクラの脳は思考が追い付かない。
返答を聞かない内から手を引っ張られ、困惑の声を上げると、ナルトがにかっと笑みを向ける。

「このオレが、サクラちゃんを手厚く看病するから、任せてくれってば。片時も離れず側にいるから、安心してくれ」

きらきらと無駄に煌めく澄み切った空色の瞳で、自信満々に連ねる言葉にも、サクラには懸念が増えるばかりだった。

「だ、だからいいってば……。アンタが言うと、何か身の危険を感じるのよ」

懸命に掴まれた手に力を込めるが、大して力を入れていないだろうナルトのそれが、振り解けない。
いつもなら怒声を飛ばし躊躇なく飛ぶ拳は、完全に病によりその影を潜めていた。
ナルトは好意で言ってくれている(と信じたい)のだろうが、サクラは只、慣れた自分の静謐な住処(すみか)に帰りたかった。
すると、離して、と力なく踏ん張り、足を縺れさせるサクラに、不意に背後から声が掛かった。

「どうした」

その声に、二人同時に振り向く。
ナルトの方は恐らく疑問だけだったろうが、サクラにとっては、何かこの状況を打破してくれる様な、淡い期待感を持ち合わせて。
ネジさん、と振り返った先に佇む、見知った気難しい顔の人物を呼び、正直サクラの期待は半分不安に変わった。

「ネジ……。この通り、サクラちゃん今、具合悪りィんだ。早く帰って、寝かせなきゃならねえ」

魚を入れた袋を提げているネジが、どこか普段の印象と不釣り合いで、些か怪訝な面持ちで見遣りながらもナルトは握る手に力を込める。

「ナ……ナルト」

浅い呼吸が邪魔をし、それ以上サクラは言葉が継げない。
困り切ってネジを見れば、ナルトの言葉を受けた彼は、赤い顔で喘ぐサクラを静かに見つめていた。
乳白色の、天眼通と自負しても良いだろう、卓越した思考力も兼ね備える双眸で見つめ何を思ったのか、ネジは、素っ気なく視線を外すと、隣のナルトを見据える。

「……そうか? オレには、春野の誘拐現場に遭遇した様にしか思えなかったが」

如何にも義務で以てサクラの手を取るのだと示したナルトに、皮肉たっぷりに熱血漢を煽る彼は、どう見ても喧嘩を吹っ掛けてきた。
が、その瞬間、サクラにとってのネジは、明らかに自分を手助けしようとする、思わぬ味方−増援−へと変貌したのだ。

「な……っ、どういう意味だってばよ」

声を荒げ、簡単に触発されるナルトと対照的に、ネジはいつものポーカーフェイスのまま、只冷たい声音に一層拍車を掛け、鋭くナルトを牽制する。

「一人で帰ると言っているのだろう? なら、余計なことはせず好きにさせたらどうだ。幼い子供でもあるまいし、自分のことくらい自分で出来るだろう」

睨み合う男二人に板挟みにされ、サクラは朦朧とする意識の中、心地良く響くネジの声の方に惹かれていた。
頭痛を増長することなく、蝕まれた脳全体を柔らかく包み込む様な、低く落ち着いた声は、サクラの欲する静謐さに似ていた。

「お、お前に関係……」

その時、握っていた手が動き、ナルトは咄嗟に力を緩める。
指で作った檻からするりと抜け出た、白い指先を伴い、横で熱の籠もった吐息を吐き出していたサクラが、足を踏み出す。
サ、サクラちゃ? と漏れる声が、何の引っ掛かりもなく耳を通過し、サクラは足を止めず、ふらつきながらも真っ直ぐネジの元に向かう。
それを認めたネジは、頼りなく伸ばされたサクラの白い手を取り、即座に自分の後ろへ遣る。
そして、弱ったサクラを庇うかの様に、彼の腕がすっと斜に伸ばされ、袖で出来た境界でナルトと分断される。
その頼もしい無言の盾の存在に安堵し、サクラはそっと、ネジの背中の装束を握った。

「ありがと、ナルト……。気持ちだけ、もらっておくわ」

弱々しいその声は、確かに聞こえたのだが、ナルトの視界には、目の前で自分を睨む、敵意を剥き出しにしたネジの強面と、その後ろからちらりと、手放した桜色が覗くばかりだった。

「見苦しいぞ、ナルト。その辺りにしておけ」
「じょ、冗談じゃね……」

勝負を決めるかの様な決定的なネジの言葉に、ナルトは余計に怒りを露わにする。
まるで自分がヒロインを連れ去る悪役で、どう見ても(態度的にも)悪人面なネジが体を盾にしてそれを守る存在だと、そう示す現在の相関図に簡単には納得できず、拳を震わす。
しかし不満を表すその言葉も、直ぐに途切れた。
無言で自分を見据える――無慈悲でいつでも人を小ばかにした風に流眄(りゅうべん)する、力強い双眸から、僅かながら、彼の中の“正義”を感じ取ってしまった。
その瞬間、ネジの澄んだ白い眼に光が宿り、反対に何か真っ黒い塊が、自分の腹の底からじわじわと這い上がる感覚に陥る。
光に対するのは、闇。
正義には、悪。
相反する二つがあって、この世は初めて安寧を得るという当たり前な関係は、ナルトを迷わずネジの“それ”とした。

「くっ……くっそおぉぉぉぉっ!」

悪者が退散する際のお決まりの文句を叫び、だが最後まで彼を生粋の悪と呼ぶのに抵抗があるのは、その目から盛大に流れる極めて純粋な涙、のお陰かもしれない。
しかしその涙が何処に属すものかということに大して興味を持たなかったネジは、走り去るナルトを最後まで見ずに、身を挺して守り切った背後のサクラを振り返る。

「大丈夫か」

ネジの動きに合わせ、サクラの手が握っていた装束をそっと離す。

「はい……ありがと、ございます」

声に導かれる様に、ぼうっと赤く上気した顔を上げるサクラを見、ネジは少し逡巡する。
息も絶え絶えにやっと言葉を紡ぐ様子に気が引けたが、それでも思ったことを伝える。

「……幾らチームメイトだと言っても、あまり心を許し過ぎるのは、危険だぞ」

ナルトを追い払ったものとは打って変わり、子供に言い聞かせる様な口調で放つネジの咎めは、あまりに柔らかく、サクラの脳に溶け込んだ。
はい、すみません、と素直に詫びるサクラに、ネジは早々に話を切り上げた。

「じゃあ……オレは行くから。気を付けて帰るんだぞ」

「はい……ネジさん、どうもありがとう」

言いながら律儀にも深く頭を下げるサクラを少し見守り、目線だけでそれを無用なことと退けたネジは踵を返す。

「ございま……」

しかし、彼女の言葉は、続いていた。
不自然に途切れた声に何か感じる間もなく、頭を下げたまま前方にふらりと傾くサクラの体を、振り返ったネジは腕を伸ばして受け止める。

「おい、大丈夫か」

最早足で踏ん張ることも出来ない様で、サクラがネジの腕の中に重く倒れ込む。
胸に受け止めたサクラの赤い顔を窺うが、彼女はハアハアと荒い呼吸を繰り返すだけで、何も答えない。
腕に触れる体が、燃える様に熱い。
突然街中でサクラを抱き込む恰好になってしまったネジは、迷わず即断する。
――これは思ったより、重症かもしれない。

そう思うが早いか否か、その場で屈み込み、意識の混濁してきたサクラを素早く背中に背負う。
突然体が地面から浮かび、背の上でほえ?、と呆けた声を出すサクラへと、ネジは肩越しに告げる。

「送って行く。案内してくれ」

ナルトも心配する筈だ、と先程の彼の心情を今になって察したネジは、サクラが問いに答える前に、里の住宅地の方へと駆け出した。


――それから暫くして。
建物の壁に身を寄せ、其処に添えた手を、弱々しく震わせる、者がいた。
黙って物陰から、蒼褪めながらも密かに二人の様子をじっと見守っていた人物は、ついに箍が外れた様に、声高に言った。

サ、サクラちゃんが、誘拐されたあぁぁぁ!、というナルトの叫びが、二人のいなくなった通りに寂しく響いた。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ