NLCP*ブック

□林檎
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朦朧とするサクラから何とか彼女の自宅を聞き出したネジは、背中に感じる熱の塊に、若干迷っていた。
いっその事、このまま病院へ運んだ方が良いのではないか?、と。
苦しげな呼吸が耳元に響き、遠慮せずに寄り掛かって良い、と声を掛けたネジに抗うことなく、素直にサクラはネジの首元に手を回し、背中に頭を凭れていた。
しかし、“自分の事は自分で出来る”とナルトに言い放ち彼を引かせたのは、他でもないネジだ。
帰る意思を見せていた彼女の承諾もなく勝手にそんなことをするのは、少し過保護の様な気もする。
況して、サクラは医療忍者なのだから。
自分の体の最善の回復方法は、彼女が一番分かっているだろう。
そしてそんな風に考慮している間にも段々とサクラの自宅が近付いて来て、ネジは考えるのを止めると、取り敢えずは彼女の家の者に任せようと目的地へと急いだ。



「……誰も出て来ないな」

漸く“春野”と書かれた表札を見つけ、門の前でインターホンを鳴らしたネジだが、どういう訳か何度鳴らしても応答がない。
しんと静まった目の前の家には、僅かな人の気配も感じられなかった。

「春野……」

留守なのだろうか、思ってもいなかった展開に、ネジは肩を振り返り、背中の上で一言も発さず静かになっていたサクラを呼ぶ。
だが其処からは、すうすうと、穏やかな寝息が聞こえるばかりだった。

「春野……悪いが、起きてくれ……。誰もいない様なのだが」

軽く体を揺らし、無理に覚醒させると、んん、と声を漏らしサクラが身動ぎする。
尚も頭を重く寄り掛けたままのサクラに、誰もいないのだが、ともう一度同じことを伝え、彼女の反応を待つ。
暫くの間むにゃむにゃと寝惚けていた様子のサクラは、ああ、そういえばと、ネジの問い掛けに反応し、途切れ途切れに自宅が留守の理由を語る。

「両親は……今、旅行に行っていて……。誰も、いないんです……」
「旅行……?」

全く予想外のことに、思わずネジは聞き返す。
しかしそれならば、いつ頃帰って来る? と当然湧き出た疑問をサクラに向けるが、たどたどしく喋るサクラは、それには答えない。

「ありがとうございます……ネジさん……。もう、ここで……だいじょうぶ、です」

これ以上のネジの好意を断ったというよりも、話を聞いていない様子のサクラは、そう言いつつも相変わらず頭を預けたままで、ネジの首に回された手も、緩む気配がない。
行先も滞在期間も不明だが、旅行となると、直ぐに帰って来ないのは、必然。
少し留守にしているだけなら置いていっても良いだろうが、この状況で躊躇なくそれをやる決断が、ネジには中々つかない。

もう、幼い子供でも、ないのだから――。
ネジは、自らの放った先刻の言葉を脳内で反芻し、無人の家を見上げる。
そう言ったのは、紛れもなく、自分なのだが――。

やがて、ネジは迷いを捨て、決断した。
それが果たして、サクラのやろうとする“最善”に近いものとなるかは、分からなかったが。

意を決して再び歩き出すネジに、背の上のサクラは何も言わなかった。







額に心地良い感触を感じ、サクラは覚醒した。
何か柔らかく、ひんやりとしたものが、自分の額に置かれている。
それでいて、この皮一枚隔てたところには、どこか温かいものが通っている様な不思議な感覚がし、サクラは酷く心地良いそれに身を委ねながらも思考を巡らせる。
―何だろう、これは。
ゆっくりと薄く瞼を開けたぼやけた半眼に、見慣れぬ天井と白い装束の袖が映った。

「気が付いたか」

側で聞こえた声は、妙に耳に馴染みのあるものだった。
何だかついさっきまで、この声の主に色々世話になっていた様な気がする。
瞬きをし、側にいる知った気配をじっと感じ取っていると、額を覆っていた掌が離れ、袖が退き、声の持ち主が姿を現した。

「……二時(ふたとき)ほど、眠っていた。今は暮れ六つだ」(※二時――4時間ほど。暮れ六つ――午後六時頃)

薄暗い室内に、それは驚くほど静かに端座していた。
彼の静謐な声は、目覚めたばかりのサクラの脳にさえも、酷く優しい響きを与えた。

「すまない……。どうしても放っておけず、オレの家に運んでしまった。春野の家は、勝手が分からないしな」

端整な表情はそのまま、声に若干の暗さを滲ませ詫びるネジを、不思議に思う。
この見知らぬ天井の住まいは、ネジの家なのだと理解したが、それについてどうして彼が謝るのかが、サクラには分からなかった。
そして不意に、気分はどうだ? と思い出したかの様にネジに顔を覗き込まれ、サクラは何も言わずにぼうっとその白い眼を見つめ返した。

「さっき、医者を呼んだが、ただの風邪だそうだ。心配いらない」

問い掛けに答えないサクラを、風邪により思考力が鈍っていると思っているのか―事実そうなのだが、ネジは特に気にした様子無く次々に言葉を投げ掛ける。
医者?、とその言葉を脳内で反芻し、サクラはやっと、自身が辛い頭重を患っていたことを思い出す。

「寒くはないか? 何か、欲しい物はあるか……?」

何となく口元に笑みを浮かべている様に見えるネジは、その質問には答えを求めている様で、じっと見つめられたサクラは、僅かに顔を動かし意思表示する。
ほんの微かに横に動いた顔を認めると、ネジは小さく頷き、傍らに置いていた水の張った洗面器を手にする。

「何か食べて、薬を飲もう。だが生憎、任務から戻ったばかりで、何もなくてな……。粥なら作れるが、それで良いか?」

立ち上がり掛けたまま、中腰で部屋を出る素振りを見せるネジは、答えは求めていなかった様で、ぼうっと視線だけ送っているサクラに微笑い掛けると、洗面器を持って部屋を後にした。




再び、粥と水の乗った盆を運んで、ネジは部屋に戻った。
布団の中のサクラは瞑目していたが、傍で膝を折り、少し起きられるか、と声を掛けると、肩の下に手を差し入れ、軽く頭を起こす。
片手でそれを支えたまま、ネジは腕を伸ばし、匙で盆の上にある粥を掬うと、白く上がる湯気に息を吹き掛け、冷ましてからサクラの口元に持っていく。

「ほら……口を開けろ」

そっと匙に乗った粥を触れさせるが、その唇はぴくりとも反応せず、唯其処からは、熱の籠もった吐息が繰り返し吐かれるだけだった。

「春野……辛いが、何か腹に入れなければ……。治るものも、治らなくなる」

根気よく食事を促すネジにも、サクラは一向にそれに応えることはなく、やがて嫌々をする様に、匙から顔を逸らしてしまった。
春野、と耳元で呼び顔を向かせようとするが、サクラは何の反応も示さず、ネジは暫し様子を見た後、匙を器に戻しサクラの頭を枕に乗せた。


治まったと思った頭の重さは依然として継続しており、食欲もないサクラはネジの計らいにも無言を貫き、只布団に体を横たえることを望んだ。
だが、やっと体を解放され微睡んできた時、部屋に入って来た気配にまた頭を起こされた。
そして、今度は逃れる術を断つかの様に上半身まで起こされ、布団の上に座らされる。
急に掛かる重力に己の体を支えることが出来ずに、ふらりと後ろに傾くサクラは、背後に回り込んで来た“何か”にがしりと背中を固定され、其処に留まる。
背に当たるものに寄り掛かり、ようやっと座位を取ることが出来たサクラへと、直ぐ後ろから、髪に、吐息と共に声が降ってきた。

「林檎を摩ってきた。食べてみろ」

その位置から、後ろで自分を支えているのが、ネジなのだと分かった。
サクラがぐったりと頭を預ける所が、ネジの意外と逞しい胸で、サクラは彼に、後ろから抱き抱えられる様に包まれていた。
唇に、何か冷たい金属の様な物が当たり、今度はサクラは自然に口を開け、それを口内に受け入れた。
半分液体のネジが用意したそれは、ろくに噛まずとも喉を通過し、ごくんと嚥下音を出し飲み込む。
完全に飲み込むのを待ってから、また匙が口に運ばれ、サクラは先程の拒否が嘘の様に、易々と口を開けた。
程良い酸味がさっぱりとして、渇いた喉に気持ち良く、また重い体を預けることが出来たから、起こされていても負担を感じることはあまりなかった。

「……すみま、せん……」

匙を向け開いた唇が、それを呑み込む前に、不意に言葉を紡いだ。
一瞬手を止めたネジは、だがそれには答えず黙々と匙を運ぶ。
サクラの方も大人しく従い、与えられるがままに林檎を口に含む、のだったが。

「すみません……」

再び漏れた掠れた声は、明らかにネジに返答を求めている様だ。
喋った弾みに口の端から零れた林檎の汁を、布で丁寧に拭き取ると、ネジは胸の中に収まる小さな塊に、小さな笑みを向ける。
顔を傾け、桜色の髪にそっと顎を寄せ、上気した顔で健気にも詫びてくる少女を見下ろす。

「……謝らなくて良い。ほら」

下ろされた睫毛が、繊細で長い様を暫し眺め、ネジはサクラの体を、後ろから包み込む様にして回した腕の先に持つ、皿から摩り下ろした林檎を掬う。
再び向けた匙を、サクラはそれ以上何も言うことなく、受け入れた。
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