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★present

 元来から俗世の催しには関心を示さない従兄だった。というか、鍛錬や精神統一以外に先ず興味を持たない生真面目さがある。まだまだ寒さの残るこの二月、里中がピンクのハートマークで埋め尽くされるような、浮足立った今日の日もまた然り。外に出ると色々と寄って来られるので、彼は今年もきっと自宅に閉じ籠もっているのだろう。
 ちらほらと擦れ違う少女達の、意中の人に愛の告白を届けんとする恋情に弾んだ足取り。それらとは違う妙に落ち着いた歩みで、ヒナタは日向分家の住まいへと向かっていた。こうして毎年チョコレートを渡すのは、一種の恒例行事であった。あからさまに好意を向けたそれは全く寄せ付けないネジだが、親戚や仲間内から齎される、所謂『義理チョコ』の類なら素直に受け取ってくれる。ヒナタとしては、尊敬する従兄として、普段から何かと頼りにして慕っている存在だったので、その気持ちを『バレンタイン』という形に込めて感謝を示していた。
 今年も、こうしてチョコレートを持って従兄の元へ来た。それ程大きくはないがしっかりと作られた、同じ日向の名を掲げる門をヒナタは慣れた様子で開ける。そのまま迷うことなく玄関まで進んで、愈々呼び鈴を鳴らした時、黙って後ろをついて来ていたサクラが唐突に言い出した。

「わ、私、やっぱりやめる」

 ヒナタが振り向くと、少し離れた所にぽつんと独り、困ったような顔をしてサクラが立っている。

「ヒナタだけ渡して。私はやめるわ……」
「え……ど、どうして……?」

 これまでとは一転して、急に態度を翻したサクラに、ヒナタは不思議に思って首を傾げる。だって……と言い掛けたきり、サクラは俯いて黙り込んでしまった。
 今日彼女に会ったのは、偶々だった。ヒナタがデパートのチョコレート売り場に行って、品物を吟味しているところに偶然居合わせた。それから、話し込んでいる内に、何故かサクラも一緒に付いて来ることになった。どういう話の流れでそうなったのか、ヒナタは良く覚えていないのだが、ついでに自分も渡すとかサクラが言って、ネジへのチョコレートを二人で買い求めた。

「頑張って、渡そうよ。折角ここまで来たんだから……二人で一緒に、ね?」

 ここに来て怖じたようなサクラに、そっとヒナタは心中を察する。ネジに迷惑がられるのではないかと、彼女は恐れている。しかし、甘い物を好まずバレンタインのイベントにも無頓着で心なしか避けているようなネジだが、多分、サクラのチョコレートなら受け取ってくれる。彼女はチョコレート売り場で、ネジが気に入るようなものを一生懸命に選んでいた。自分の用事は良いのだろうかと、気付いてヒナタが声を掛けたが、いいのいいのそれは後でと、手を振りながらサクラはガラスケースに並んだチョコレートを眺めていた。
 ネジの家に押し掛けて、徒に騒ぐような人ではないと思ったから、ヒナタは同行させた。サクラがどんなにネジのことを考えて、時間を掛けてチョコレートを選んでいたかが、分かっていた。だからどうか、最後まで一緒に頑張ろうと、優しく背中を押そうとするヒナタに、チョコレートを出し渋っているサクラは、今度は紙袋に入ったそれをヒナタに突き出す。

「じゃあ、これ、ヒナタが渡してくれない……? ね? お願い」
「えっ……ええ?」

 思い掛けない頼みにヒナタの目が点になる。承諾する前からヒナタは紙袋を押し付けられて、否応なく持たされてしまう。何か言おうと口を開き掛けている間にサクラはそそくさと物陰に隠れてしまって、まごついている内に背後のドアが開いた。

「はい……ヒナタ様ですか」

 声にビクリとして、振り返ると、少し前の呼び鈴に反応したネジが、ドアから顔を見せている。

「あ……こ、こんにちは、ネジ兄さん。あの……」

 サクラに託された紙袋を、咄嗟に後ろ手に隠してヒナタはしどろもどろになる。今の今まで側にいたサクラの存在を、目で訴えるように、何もない自分の隣をちらちらと見るが、ネジが何か気付いた素振りはない。行き成り与えられた『重大任務』が、ヒナタの肩に重く圧し掛かった。それでも平静を装って、一先ず自分の持参したチョコレートの包みを、ネジへと差し出す。

「ああ、毎年すみません。気を遣わなくて良いのに」

 一目見て、それが何かを覚ったネジは、自然に手を伸ばして包みを受け取ってくれた。ここまでは呆気ないくらいに簡単だった。

「兄さんこそ……お返しにはもう気を遣わないでね………あ、それでね……今日は、もう一つあって……」

 律儀なネジからの、毎年くれるバレンタインのお返しにやんわりと言及して、ヒナタは後ろに隠していた紙袋をネジの前に持ってくる。ヒナタから再び差し出されたもの。これも一目で何かを察したネジが、不思議そうな眼を向ける。

「二つも?」
「これは……えっと、サクラちゃんから」
「……春野から?」

 毎年、自分のチョコレートをネジに渡して、それで終わりだった。しかし今年は、二つ目のチョコレートがネジに向けられている。
 思ってもいない名が飛び出したからか、ネジの顔が僅かに固くなった。ヒナタの前では緩める警戒心が、幾らか上昇している気がする。何か、裏があるのではないか――? そう訝るネジの心がヒナタには手に取るように分かってしまう。しかし『裏』など何もないのだ。本当についさっきまでサクラはココにいた。けれどもほんのちょっとだけ勇気がなくて、チョコレートをヒナタに託して逃げてしまった。
 その、サクラの隠れる庭の茂みへと、ネジの眼がすっと向かう。あらぬ方向を見つめているようで、事情を知っているヒナタにとってはネジのそれは芸術的に的確だった。白眼を発動してもいないのに緑を通過してサクラの姿を認めたというのか。
 何も言わないネジが、不機嫌になってしまったのかと、側にいるヒナタに緊張が走る。何か気の利いた言葉が添えられれば良かったのだが、焦ったヒナタは益々閉口してしまう。ただ祈りを込めて紙袋を差し出していると、ネジの眼が茂みから逸らされた。先に受け取ったヒナタのチョコレートを腕に抱えて、もう片方の手がヒナタへと伸ばされた。

「……分かりました。頂きます。わざわざありがとうございます」

 ヒナタの細い指先から、紙袋がそっと取られていく。
 両手に一つずつ、少女達からのチョコレートを抱えて、ヒナタへと目礼すると、それから一度も茂みを見ずに、ネジは家の中に入った。


 暫く閉ざされたドアの前で放心していたヒナタは、はっとして茂みを見に行く。
 重なる緑の葉の蔭に必死に隠れながら、草の上にぺたりと座り込むサクラの姿があった。
 死ぬかと思った……と。白い顔に汗を浮かべて、項垂れながら彼女は多分、ヒナタに向けて呟いた。
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