NLCP*ブック

□My Happy Ending
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―――さようなら、先生。

決意と哀愁を湛えた薄緑色の瞳がカカシを捉える。これで最後だろう。
不安定に揺れる美しい虹彩が、あの時湖のように潤んで見えたのは、彼女が自分に大凡(おおよそ)相応しくない感情−未練−を向けていたからなのだろうか。
そんな思い上がったことを浮かべる辺り、カカシにはその感情があるみたいだ。
認めたくないけれど。

彼女が大切で自分の全てだったということ。
伝えることばかりが幸せではないし、彼女のそれは此処ではなくもっと別のところにある。
どうか本当に好きな人と、いつまでも笑っていて欲しい。
ただそれだけを願うこれも愛なのではないだろうか。
全うな愛だ。





You were everything.





 目が沁みるような晴れ晴れしい蒼天を、カカシは湧き上がるものもなく心をからにして見つめていた。この空模様も、サクラを後押ししている。大丈夫。恐らく不安げにしているだろう彼女の背を、カカシもそっと離れた所で押してやる。元教師として、行かなければいけない場所があったが、自分には場違いだと思えた。こうして何もせず捻くれ者のようにして、時間が流れていくのを待とうとした。煙のように薄らと浮かぶ千切れ雲は、けれども時が止まったように留まっている。まだ、間に合うと。それがカカシに考え直す猶予を与えているようで面白くなかった。悪いがこの決意は固い。甘く見ないで貰いたい。

「……本当にこのままで良いのかってば、カカシ先生」

 ひやりとするような恨めしい声が落とされて、じっと瞼を閉じてから、時間を掛けてカカシは首を巡らせた。目に入れる前から分かっていた。この少年、否、青年もまた、この期に及んで自分を引き留めようとする。

「何が?」

 心の曇りなど何一つないと、暗さを一切排除した声色は逆に不自然だったか。にっこりと弧を描く細めた眼差しの先で、はぐらかさないでくれよ、と嫌に真剣な顔をしてナルトは此方を見据える。どうして機嫌が悪いのかが分からない。いや……心当たりならあった。今日という日に、遅刻を決め込んで、あわよくば顔を出さずに遣り過ごせないかと己が画策しているからだ。
 普段から空を漂う雲のように気ままな生き様を周囲に見せてきた。そういう性質を周知されているし、だから理由なんて幾らでも作れる。例えばさっきのように、長閑(のどか)な空を眺めていた、と仮に言い訳してもカカシに限っては不自然なことではない。その内心に秘めるものなど、もっと気付かれないだろう。

「お前の方こそ、良いの? サクラのこと、好きだったでしょ」
「だから、はぐらかすなよ。大人のくせにみっともねえ」

 平和に染まり緊張感の持たぬ態度に、尖らせた声が刺さって、カカシは柔和な笑みを仕舞った。確かに大人げないと、自分でも痛感する。教え子が昔抱いていた恋心を引っ張り出すなど。だがどうして、ナルトは“気付く”のだろう。

「良いのかよ……このままじゃサクラちゃん、サスケと結婚しちまうんだぞ? まだ遅くねえ、カカシ先生。今なら、まだ間に合うってば」

 やっと真面目な面持ちでナルトに臨むカカシに、今しかないとばかりに彼は捲し立てた。耳が痛くなる。永遠に忘れていたい事実だった。気持ちの悪い眩暈を覚えながらそれでも能面のような顔を崩さない。まるで手応えのない反応のカカシをナルトは今にも噛み付きそうな勢いで睨み上げた。熱血漢の正義のヒーローという風情だが、それでも、ナルトの言っていることは可笑しい。何を自ら友の不幸を望むようなことを口走るのか。サスケだって、やっとサクラが好きだと気付いたのだ。カカシも十分に解っている。
 間に合うとは何がだろう。ナルトは何を急かしているのだろう。コレが最良の選択でなく怠惰と陶酔だと言うつもりなのか。誰も自ら進んで道化になりたくはないのに。今更何をしろと。

「とんでもねえ意気地なしだってばよ、先生」

 年若い頃のように血気盛んに言いたいことを言う性分は影を潜めていた。多分、胸の内に込み上げるモノの多くを切歯して押し込めて、それだけ彼は、吐き捨てた。一方でカカシの惑いを見抜いて最後まで叱咤するみたいだった。ナルトの表情はもう大人のそれだ、カカシより遥かにしっかりとした。
 間に合うものならやり直したい。サスケより多くの時間をカカシはサクラと過ごしている。弱っている彼女、そこに付け入り心を奪う。隙など幾らでもあった。だが大事なところで一歩引いてしまった。『先生』と呼ばれる度に何かに苛まれた。過去にたった一度だけ彼女に重ねてしまった唇に、深い意味があるんだよと本当は愛しさを込めて言いたかった。

 凛々しく成長した後ろ姿がカカシの側から離れていく。かっちりとした黒いスーツを着こなし背筋を伸ばして、ナルトは堂々と“逢いに”行くのだろう。彼は己の中に燻っていたサクラへの気持ちをどう消化したのだろう。そして失った綺麗なままの恋を乗り越えてこうして年上のカカシを鼓舞することを言う。とんだ“大人”になった。マスクの下でゆっくりとカカシの唇が綻ぶ。
 元教え子に意気地なし呼ばわりまでされて、此処で何もせずにいる訳にもいかなかった。
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