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□アイコトバ
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慣れた足取りで階段を昇ると、いつもの光景が変わらない様相で彼を迎えた。
それに妙に安堵して、足を踏み出し、真っ直ぐに伸びる目の前の廊下を進む。
1、2、3と、片側に一列に並ぶ複数のドアを目で辿り、幾つか先にある自宅のそれを見据えると、ポケットの中を探り鍵に触れる。

テンポよく階段を昇り、そのリズムのまま軽快な足取りで、気楽な独身貴族の一人住まいを目指す。
里の中心部に位置する、割と利便性に富むそのアパートは、アカデミーから宛がわれたものだ。
久々の帰宅となり、それを目前とし、若干の気の緩みはあったかもしれない。
だが、鍵を鍵穴に挿してガチャリと開錠するだけの動作を、どう考えても間違える筈などは、なかったのだ。

「……アレ?」

ドアの前で立ち尽くし、目の前の開かないドアを見つめる。
ロックは外した筈なのだが、何故かノブを回してもドアが開かない。
もしかして、施錠していなかったのかと思い浮かび、差し込んだままの鍵を反対に回すが、それでも開かない。

「……サクラ……?」

ガチャガチャと鍵を回しているうちに、訳が分からなくなって、中にいるであろう少女の名を呼ぶ。
少し前から、この独りきりの住まいには、名を呼んだ少女が共に住まっていた。
あまり聞こえの良くない間柄に生まれた関係のため、まだ誰にも他言しておらず、それは言うなれば秘密の同棲生活だった。

「……おーい、いるんでしょ?開けてよ」

そして、このドアの開かない状況が、何らかの理由で少女が故意に起こしているものだとカカシは読んだ。
可笑しいな、何か怒らせるようなことしたかな? などと首を捻りながらも、木ノ葉の誇る“コピー忍者”の異名も捨て、恥も外聞も無く年下の少女に中に入れてくれと乞う。
しかし、やがてドアの内側から返ってきたのは、下手に出る年長の男に一切の慈悲も掛けぬという、酷く冷たい声音だった。

「……じゃあ、合言葉を言ってください」







――カカサク小話『アイコトバ』〜お陰様で一周年迎えられました〜記念――








「アイコトバ……? そんなのあったっけ」

中にいる元生徒であり恋人、サクラからの思いもよらぬ返答を受け、カカシは間の抜けた声を漏らす。
幾ら普段からいい加減な言動で、周囲を呆れさせていると言っても、これまで家の扉を開けるのに、“鍵”以外のモノを求められた記憶は、ない。
しかし投げ掛けた言葉に中からの返答はなく、カカシは視線をぼうっと上に向けると、取り敢えず考えてみる。

「ええと……何だろうな……………ゆでたまごとか?」
「違いますよ! 何ですか!? それ。ふざけないで」

ドア越しに、サクラの荒げた声が耳を(つんざ)き、びくりと体を強張らせカカシは怯む。
ナルトにさえもこんな風に叱りつけないだろう、カカシにしか向けられない割と最近知った豹変振りに、彼女の本気の怒りをひしと感じる。

「いや……だって、そんなこといきなり言われてもね……何かヒントとかないの?」

取り敢えず落ち着こう、と怒りに狂うサクラを宥めるように半笑いを浮かべるも、閉ざされたドアの向こうからは、ありません、と冷たい声が返ってくるだけだった。
――どうしたものか。
ドアの前に立ちん坊でいるカカシは、頑なに自分を突っ撥ねる様子を見せるサクラに考えあぐね、軽く息を吐く。
このままでは、今夜は里の宿所に泊まることになり兼ねない。
いつもの温和な状態に戻したいが、どうして彼女が怒っているのかが分からない。
理由を聞こうにも、この様子では難しいだろう――というか、聞く勇気がない。
ドアを見つめ困り切ったカカシは、その内側の空気が、不意に頼りなく揺れることに気付いた。

「……カカシ先生が、良く知っていることですよ」

ぽつりと、少しだけ寂しげに漏らした少女の声を、簡単に忍の耳で拾ったカカシは目を丸くする。

「オレが?」

元々カカシが知らないものを、こうして言わせようとする訳はないのだろうが。
ヒントはないと言い切ったサクラからの、その正反対とも取れる行動に、カカシはしまったと顔を覆う。

「それって……何か忘れちゃいけないようなことを、忘れちゃってるってことかな。オレが」
「……さあ。後は自分で考えてください」

肯定とも否定とも取れる物言いの後、カカシは暫し思考を巡らせる、が。

――駄目だ。全く心当たりがない。

「……サクラ、最近調子はどう?また腕上げたんじゃない?」
「無理です。もう何も喋りません」

抑も、本人が忘れてしまっていることを自力で思い出そうとする行為自体、不可能に近いことなのだが。
何か会話の中から、答えに繋がる端緒が得られないかと目論むカカシにも、相手がサクラに至ってはその思考回路はお見通しのようだった。
しかし、ここで怯む訳にはいかない。

「いや、そうじゃなくて。何か、オーラというかね」
「見えてないじゃないですか」
「いやだから、何となく、声に雄々しさを感じるというか……」
「怒りますよ!?」

一等荒げたその声に、またも失言を繰り出したカカシは、しまったと口を噤む。
既にドア一枚を隔てて立つ両者の間には、何とも言えぬ嫌な空気が漂っている。
果たして本当に、サクラがこれから怒り出すと言うのなら、今までの態度は何なのだろうか。
その未知の領域に少しだけ思いを巡らせ、だが少しも知りたくない、とカカシは思考を振り払い、観念して首を垂れた。

「……サクラ……悪かった、ごめん。謝るから……教えてくれないかな」

持て得る限りの誠意を込めて、ドアの向こうにいる少女へと、優しく語り掛ける。
するとまたも、向こう側の空気が頼りなく震えるのを、カカシは冷たい金属のドア越しに感じ取った。

「先生の、ばか」

その声に、思わず目を伏せた。
そこに滲む、彼女の寂しがる心情に、カカシは気付いた。
ああ、やはり傷付いたのは、彼女の方なのだ。

「私は、カカシ先生に……最初に言って欲しかったのに……。いないから」

今にも消え入りそうなか細い声が、薄い人工物に遮られ、その隙間から辛うじて漏れる。
それに対して何を言うでもなく、カカシは開かない扉の向こうの、サクラの気配を探っていた。
サクラは一体、何を言って欲しいのだ?
彼女の示す“アイコトバ”とは、何なのだ?

カカシが任務でいない間に、何か確実な変化が起こった。
最初に、ということは、既にサクラは誰かから“それ”を言われたのだろう。
カカシが家を留守にしていたのは、数週間。
任務に行く前に変わったことと言えば、サクラと一緒に住むようになったことくらいだろうか。

恋人であるのだから、そこに至るには当然、互いを慕い合う感情というものが関係する。
しかし切っ掛けとなったのは、最近家を出て、危なげに一人暮らしを始めたサクラだった。
随分と里の郊外にあるアパートからアカデミーへと通うサクラに、見兼ねたカカシが自宅に彼女を呼び寄せた。
どうせ実家を出たのだし、一人でも二人でもそんなに変わらないでしょ、と言ったカカシに、サクラは遠慮する素振りを見せるも、素直に甘えて転がり込んで来た。
――ここなら、分からないことがあったら、すぐに先生に聞けるものね。
気楽な独身住まいに上がり込み、参考書を広げて嬉しそうに笑うサクラに、少し生真面目過ぎやしないかとカカシは人知れず憂えていて――。

――待てよ。今、何月だ?
ふとカカシは記憶の中の、サクラが抱えていた参考書の題字に意識を持っていく。
アレは、綱手に勧められて、医療忍者としてのスキルアップを目指してサクラが挑んでいた、難儀な検定試験だった。
確か、試験は春だったか。
桜が咲く前の、丁度、カカシが里に不在だった、その頃に――。

――これが終わったら、一緒にお花見しましょうね、先生。
いつの日か、夜遅くまで机に向かうサクラにホットミルクを用意して、振り向き様に向けられた彼女の笑みが脳を過ぎり、カカシは息を呑む。
頭の中の記憶の断片が集合し、一つの結論として寸分の隙間もなく、それは彼の中で合致した。



「……サクラ、解ったよ」

言いながら、随分無茶苦茶なことしてくれる、と密かに息を漏らした。
確かにサクラの投げ掛けた問いは、カカシが良く知っている類のものだったが、カカシはその“結果”を知らない。

「でも、どうしてもお前の顔を見て言いたい。だから……開けてくれないかな」

それでも、毎日直向きに勉学に励むサクラを見ていれば、きっと“そうなる”のだろうとは、思っていた。
彼女はそうして、これからその師をも凌ぐ、里の誇る立派な医療忍者となるのだろうから。

「サクラ……」

返答の来ないドアの向こうへと、そっと語り掛ける。
押し黙った少女が果たして不貞腐れているのか、それとも自宅を締め出されたカカシに段々と罪悪感が生まれ、居た堪れなくなっているのか。
多分、その両方だろうなと思いながら、カカシはノブに手を掛け、ゆっくりと回した。

カチャリ、と。
驚くほど呆気なく、僅かな空気の抵抗を伴いながら、それは開いた。
薄暗い玄関にサクラはひっそりと、カカシに背を向け佇んでいた。
“鍵”は、最初から、掛かっていなかった。
拒絶されたと思い込んでいたのは、カカシの方だった。

ドアが開かなかったのは、其処に寄り掛かった彼女の重みによるものだったのだ。
サクラはドア越しに、カカシに寄り添い、彼が気付いてくれるのを、只管待っていた。


玄関に足を踏み入れ、腕を伸ばし、後ろからサクラの肩を引き寄せた。
僅かに、息を呑む気配が、強張る体が、触れた腕からカカシに伝わる。
柔らかな髪に頬を寄せ、髪越しに当たるすべらかな白い彼女の頬の、温もりを感じながら、カカシは問いの答を放った。

「“おめでとう”……サクラ」

カカシの耳元で、さらりと柔らかな髪が揺れる。
サクラが唇を噛んで、俯いた。
背を向けていたサクラに、カカシは無理にその顔を見て言う事はしなかった。
――受かったんだろう?、試験。
おめでとう、と再び向けた言葉に、サクラは答えることはなく、恐らく半分不貞腐れていたであろう彼女は、だが後ろから覆い被さるカカシを振り払うこともしなかった。

「……先生に、最初に言いたかった」

酷く子供っぽい口調の、泣き出しそうなほどに弱々しい返答が、サクラの口から零れた。
それが恐らく、彼女が決めていた、合言葉の返しだったのだろう。

「……すまん、サクラ」

俯いた彼女に擦り寄る様に顔を傾け、一層の誠意を込め、見た目よりも華奢な肩を掻き抱く。
サクラは抗うことなく、やがて肩に回されたカカシの腕に、手を添えた。
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