NLCP*ブック

□未完成
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 地面に空いた無数の穴、穴。最早平らな所を探す方が難しくなってきて、ハナビは丁度良く踏ん張れるような手頃な箇所をじりじりと足裏で探る。傍に立つネジはそこまで教えてはくれない。彼は今もっと別の目的で此処にいる。
 歪な足元の穴が、綺麗な新円になるまで、これを続けなければならない。気の遠くなるような過程だが、ネジはそうした。それもたった独りで。
 自身とて、今までどれだけこれに費やしたか。最早執念とも言えるハナビの練習量。しかし非凡なこの従兄と比べれば、やはり体得まではまだ長引くように思える。そうにも拘わらずこうして飽きずにネジが付き合ってくれるのは、少しでも自分に見込みがあるからだろうか、とハナビは前向きに受け止めている。早くに奥義をモノにしたネジの確かな眼が側にあるなら、小さな歩幅でも前進している気がした。

 それまでとは、明らかに異なる感覚だった。もう何百回やっただろうか、片足で地面を蹴って体を反時計回りに回転させると、余計な抵抗がなく体が軽い。ふわりと巻き起こった風に乗ってハナビは最大限の風力を起こす。ネジやヒアシには及ばないがこれまでで一番凄まじいものだった。周りの空気がビリビリと振動しているのをネジも感じ取って眼光鋭く成り行きを見守る。ハナビに触れてもいない木々が軋むような微小な音を立てていた。

「ストップ、ハナビ様」

 ネジが声高に回転するハナビを抑制した。大体そう言われる前にハナビは不安定な爆風に弾き出されて不本意にも停止していたものだから、止まり方が分からなかった。尚も回り続けて風を繰り出す彼女に痺れを切らして、『防御』の綻びに目掛けてネジはクナイを投げた。忽ち形を崩して風の統率が取れなくなると、ハナビの体が緩やかに回転を止めて、ふらりと倒れた。側には大の大人が三人入れるくらいの中規模な穴が出来ている。……上出来だ。

「兄さん……見ていた?」

 肩で息をしながら地面から体を起こして、ハナビがネジを見る。その周りにある穴だらけの地面を少し眺めて、ネジは考えるように瞼を閉じる。

「まだ、不安定ですが……一応形にはなっています。……頑張りましたね」

 唇から零れた労いにハナビは目を丸くする。宗家に仕える身であるネジだが、ここ数ヶ月の鍛練ではハナビに厳しく当たっていた。少しも妥協を許さずに導いてきた。こと鍛錬に至っては、あの父よりも直向きだとも思える。
 褒めることのなかったネジからの細やかな賛辞。口元に小さく微笑すら浮かんでいる様に、ハナビの顔が見る見る内に綻んでいく。

 泥だらけの姿で地面に寝転び、やったー! と子供のように喜びを露わにするも、ネジは何も言わなかった。呆れた風にやんちゃな宗家の次女を流し見ることもない。内心でネジも喜んでいるようだ。ハナビのように表には出さないが、彼もハナビの進歩をきっと嬉しく思っている。
 高鳴る胸を抑え切れずに、ハナビは起き上がってネジの方を向いた。今しがた成功したばかりの日向の秘伝体術、直ぐにでも試したくて体がうずうずしている。

「ねえ、早速だけど、今度の組手試合で、やってみても……」

 身体の前で祈るように手を組んで、体術の神様…とまるでネジを崇め奉るようなハナビの眼差しが注ぐ。普段こんなに慕うことはない癖にきらきらと零れ落ちそうな瞳で縋り付かれて、多少は惑うと思われたネジはしかしばっさりとそれを一刀両断にした。

「駄目です」
「えぇ〜〜〜! 何で!」
「不安定だと、言ったでしょう。秘術を使うのはそれなりの危険が伴います。少しの体軸のずれも、命取りになる。オレが許可しない内は、まだ人前で見せては駄目です」

 不満たらたらの様子だったハナビは尤もらしいネジの言い分に黙りこくる。稽古をつけてと彼に頼んだのはハナビで、だから年端の行かないハナビに秘術を教えること、ヒアシを苦労して説得してくれたネジにハナビは実のところ逆らえる立場ではないのだ。
 更に、ハナビは体得したと思ったようだがここから調整が必要になってくる。彼女のはまだ荒削りで未完成だ。実戦で使えるようになるまで、あとどれくらい掛かるのか――今日の進歩を見る限り、そう遠くはないだろうとネジはひっそりと推察する。ハナビが調子に乗るかもしれないので、敢えて口にはしないが。

「……じゃー、明日も見てくれる?安定するように練習するから」

 今は体術の『師』に歯向かうことなく(そんなような声は出したが)、しおらしくハナビはネジに窺った。円らな白い眼差しに見上げられて、居心地が悪そうにネジは視線を外した。その代わりに目についた、ハナビの頬の砂の汚れを、彼は指先を伸ばしてそっと払う。

「明日は駄目です」
「え〜〜〜! 何でだよ! いじわる!」

 音も無く引っ込められた手元など少しも見ずに、さっきから駄目だ駄目だと繰り返すダメの一点張りにハナビの不満は募る、募る。何だかわざとやられているのではないかとつい本心も飛び出てしまう。しかし意地悪呼ばわりされた当のネジは、顔色一つ変えず、ハナビの煽りに付き合うこともなく、ただ淡々と告げた。

「明日から任務で、暫く留守にします。数日で終わると思いますが……オレが帰るまでの間、『回天』は禁止です」

 そしてまた衝撃的なネジの言葉に、叫んだ勢いを失くしてハナビは二の句を噤む。何と、ネジが里からいなくなると言うのだ。ネジがいなければ、修行は中断せざるを得ない。ヒアシともそういう約束をしていた。これでは折角掴み掛けた技の感覚を、忘れてしまう――。

 良いですね? と自分を見下ろしてくるネジが何だか威張っているみたいで、ハナビはむしゃくしゃした。次の修行で今日より下手くそになっていたらネジの所為だ。
 ハナビが意地を張って頷こうとしないにも拘わらず、ネジは早々と暇を告げて日向の訓練場を後にする。見ていても何も面白くないネジの遠ざかる背中をキッと見据えて、ハナビは有りっ丈の声を腹の底から出した。


 オニ〜〜〜〜!!! という絶叫が、閑静な日向の敷地に響いた。
 鬼呼ばわりを受けたネジは少しも振り返ることなく、去って行った。

















「相変わらず頭かちかちだな。そんなんだから彼女の一人も出来ないんだよ。折角おじさまに似て美形なのにさ」

 早朝の鍛練を終えたハナビはぶつくさ呟きながら、朝食を摂る為母屋へと向かっていた。当人がいないとなれば言いたい放題である。大きなお世話だと、聞こえていたら言い返されそうなものだが、これから暫く留守にするらしいので当分は言いたい放題だ。そんなことよりもハナビは早く修行がしたかったが。
 偶の休日に何を急いでいるのか、宗家まで寄ったのなら序でに食事を摂っていけば良いのに、そそくさとネジは帰ってしまった。少し前ならハナビと父と姉のヒナタ、それにネジを加えた四人で食卓を囲むのは当たり前の光景だった。以前に比べて柔らかな空気を纏うようになったネジは、その代わりに上忍の肩書きが増えてハナビ達とは疎遠になっていった。
 美形と言うのは言い過ぎかもしれない……とハナビは足を止めて少し前の独り言を思い直す。ハナビの父の双子の片割れ。薄命だったネジの父、日向ヒザシをハナビは写真でしか見たことがない。顔は流石、父とそっくりであったが、どことなく優し気な印象があった。厳格な父とは正反対な様相にハナビは密かに惹かれて、遠く訪れなかった未来に想いを馳せた。頼んだら肩車でもしてくれそうな雰囲気だ。年を重ねたネジが笑えばあのような感じなのかもしれない。先程の小さなネジの微笑がぼんやりと頭に浮かんだ。





 それから数日間は、ネジの言い付けを守ってハナビは『大人しく』していた。自主練習の最中も、タブーとされた『回天』には手を出さぬよう、必死に堪えた。
 そろそろネジが戻って来るだろうと思われた頃だった。人知れずネジの帰りを心待ちにして、今日も大門の方向をじっと眺めていたハナビは、何か諍いのような騒ぎを聞いて首を巡らせる。


「お前みたいな落ちこぼれ、忍者になれるわけねえだろ。さっさとやめちまえよ」
「や、やめて……返してよ」

 少し離れた所で、ハナビと同じ年くらいの見知らぬ少年が、対峙した少年らに手提げ袋を奪われていた。アカデミーの直ぐ側で、大胆にも人目を気にせず、気弱な少年をじりじりと追い詰めている。通り過ぎる大人達は見て見ぬ振りだ。子供とは言え、どうやら下忍レベルに見える彼らは普通に鋭い忍具を取り扱う。忍同士の争いに手を出すのは、里の一般人にしたら危険なのだ。当然と言えば当然の反応かもしれない。
 しかし、そのまま通り過ぎる人達のようには、ハナビはどうしても看過出来ず――。取り返そうと手を伸ばす少年を弄ぶように、背の高い少年らの背後に隠され移動する手提げを、後ろから近付いて奪い取った。

「やめなよ。二人がかりでいじめて、楽しいの? 恥ずかしいことだよ」

 行き成りの不意打ちにふざけた笑いがぴたりと止まった。手提げを取られて、宙を彷徨う手を引っ込めると、少年らがハナビを振り返った。その先に在る、酷く怯えた目付きでいる少年の涙目を見て、庇うようにハナビは彼らの間を割って入ってその前に立つ。

「何だよお前」
「おい、こいつの目……」

 二人組はハナビよりも頭一つ分飛び出て、体格も良かった。その内の一人に繁々と顔を覗き込まれて、ハナビも眼力を緩ませず負けじと睨み上げる。

「お前、日向一族か? こんな子供でも、白眼なんだな……」

 珍しそうにハナビの目を眺めては、冷めた声音で言う。まるでコレが『お飾り』とでも言うように。しかしこんな子供でも、それなりの訓練は受けてきたつもりだ。
 アカデミーに通う、忍とは違うが。お前達相手に、使い熟すことも、出来ると、暗に意味を含ませて静かに見上げていれば、それだけ相手は面白そうにする。

「ん? 何だよ。女ににらまれたって、全然恐くないぜ? 悔しいなら日向ネジでも呼んで来いよ」
「返して」
「邪魔するなよ」

 持っていた少年の手提げを再び奪われて、乱暴な腕に掴み掛かったハナビだが、反対に突き飛ばされてしまう。後ろにいた少年ごと壁に打ち付けられて、鈍い衝撃に二人で唸る。更に、奪われた手提げから財布が取り出されているのが見えて、ハナビはわざと気を引く為に、声高に叫んだ。

「あんたたち、最低だね!」
「なんだよ、やる気か?」

 真っ向から正義を振り翳すハナビに一人は気が削がれたのか、足のホルスターからクナイを取り出す。真新しく光沢のある、アカデミーで一式取り揃えたような、ヒナタやネジが持っている物とは異なる小振りなサイズだった。しかしお遊びのものではない。その気になって振り回せば、怪我もするし人を殺めることも出来る。それを、ハナビ相手に脅すようにちらつかせてくる。

「ちょっと、離れていて」

 後ろの存在を危ぶんで、肩越しにハナビが語り掛ける。背後にいた青褪めた顔の少年が僅かに後退りした。ハナビ自身、周囲を『破壊』しないよう後方の壁からも距離を取る。
 日向式体術の、独特の構えを見せるハナビに、前にいる少年らの空気が変わった。眦に浮き出た血管、十分に『本気』を出していると見える少女の鋭い目付きに、少しの間眉を顰めたが、それでも手にしたクナイは仕舞わなかった。元より武器類を使用しない柔術使いのハナビは、素手で己の身を守るしかない。寧ろそれに秀でていた。片足を後ろに引いて重心を可能な限り落とすと、それが彼女の中では万全の態勢となる。

「……その“日向ネジ”は、私のいとこの兄さんだ。あんまり日向をなめると、痛い目見る」
「はぁ? でたらめ言うなよ」

 小手調べとばかりに緩く手放したクナイがハナビへと向かう。だが難なく頭を傾けて避けてしまえばそれが酷く相手の闘争心を煽ったようだ。続け様に二本三本投げ込まれるがハナビの眼は良く見えていて、器用にクナイの側面を叩き落とせば勢いを失くしたそれが面白いように足元に転がる。忍具を使った修行も今まで嫌と言うほど受けてきた。中途半端な回天に向かって“全て避けろ”と掴めるだけのクナイを手に行き成り投げてきたネジの方が余程手強いし容赦ない。出来ないと思えば出来ない。人間追い込まれれば潜在的に持っている力を発揮するのだ。少しでもハナビに気弱なことが過ぎっていたら忽ちネジのクナイに体を切り刻まれていた。ネジとの修行はそうした精神的な意味合いでの成長も得ていた。
 そんなネジから少しも引けを取りたくないと思う。でたらめでも何でもない。こんな下忍の間にも知れ渡るその天才から指南を受けたこの自分、あんまりなめて掛かると本当に痛い目を見る。
 強気な姿勢を見せつつもハナビの方から何も仕掛けることはなかった。防御の型で往なすだけであれば諍いで責められることはないと踏んでいる。そうされるのは必然的に、仕掛けてきた『向こう側』。ハナビのその保身の思惑が彼女の余裕として、態度に現れていたのか、少年二人は益々血気盛んに攻め込んでくる。
 一人が後ろ側に回り込んで、ハナビの不意を衝く。しかし白眼発動中のハナビには動きが見切れていて、繰り出された拳を回避する。前からはもう一人が懐に入り込んでくる。柔術使いを相手取り接近戦に持ち込むのは得策ではないが、彼らは知らないのだろう。ハナビとしては好都合だった。複数の敵に囲まれた場面にぴったりの防御技がある。……ネジの許しはなかったが。
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