NLCP*ブック

□未完成
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 迷いはなかった。
 ただあの時と同じようにすれば良い。
 全身を隈なく使って風を操るような。重さのまるでなくなった身体。
 余計なことを考えずにハナビは体が覚えている感覚にその先を委ねた。

 片足で地面を蹴って体を反時計回りに回転させる。忽ち爆風を作り出し姿の見えなくなったハナビに少年らが驚いて動きを止める。最初から回天の餌食にするつもりのなかったハナビは見掛け倒しかもしれないそれを、密かな意味を込めて続ける。この隙にあの少年が逃げてくれれば良かった。
 あの奇跡の成功をした時よりも大きな円が足元に刻まれ続けている。ネジがいなくとも、出来た。否、今まで側にいてくれたからこそハナビは思い切って決断出来た。訳を話せば、きっと許してくれる。無断での使用となってしまったが……きっとあらゆる困難から誰かを護れるようにと、ネジはハナビに教えてくれた。
 心にぽっと浮かんだ少しの後ろめたさが、ハナビの回天を不安定にする。指先一つでも、無駄に動かせば忽ち風の抵抗を受けるのだ。一ヶ所が不自然に波打つとそれは瞬く間にそのものの形を悪くする。気付いた時には遅い。止まりたくても体が回転方向に引っ張られて踏ん張りが効かない。
 強烈な遠心力に耐え切れず、ハナビの体が中心の軸からずれていき、外に弾き飛ばされた。









「何の騒ぎ……?」

 離れた所で悲鳴のような声が聞こえてヒナタは足を止めた。
 中々帰らない妹をヒナタは探しに来た。三時のおやつはお萩が食べたいと言い出すので甲斐甲斐しく作ってみたのだが、時刻を過ぎても、その姿が一向に見えなかった。
 ネジが任務に出向いてからというもの、散歩と告げてふらりと家を出るハナビの姿を度々目撃していた。今日もまた里の高台に登ってネジの帰りを待っているのだろう――そう、見当を付けたヒナタは前掛けを外して、ハナビを迎えに行くことにした。夕方になると冷えた風が吹くようになって、寒い思いをする。
 アカデミーの方向から、こんな街中には似つかわしくないチャクラの熱量を感じて、訝しく思う。忍の勘というか、何か胸騒ぎを覚えたヒナタは、印を結び自身の白眼を解放する。程無くして見えた光景は奇妙なものだった。
 今現在、日向のこの秘伝体術を扱えるのは、一族で二人だけ。本来は直系の後継だけに受け継がれるものなのだが、一人は例外だった。その、分家出身であるネジ、正統な使用者であるヒアシ、双方とも勢いの異なる初見の回天にヒナタは混乱する。どういうことだろう……今、あの中にいるのは、一体誰……? ネジでもヒアシでもないとすれば、それは――?
 目元に力を込めて更に回天の内部を視ようとしたヒナタは、不意に歪んだ円から術者が弾き飛ばされる様に呆気に取られた。スポンと放られた思ったよりも小柄な体は、何者かに受け止められる。あれは――。そこまで確認した後、ヒナタは急いで駆けた。



 あわや付近の木にぶつかるというところで、投げ出されたハナビの体ががっしりと誰かの腕に収まった。叩きつけられることはなかったがただガクリと一瞬遅れて来た衝撃に、ハナビの顔が歪む。そして思ったよりも軽かった振動に、自分を包み込む腕の存在に、はたとする。眼前で長い黒髪が靡く。無意識の内に縋っていた白い装束を更に握り締めて、やがて髪が落ち着いて露わになった自分と同じ白い眼を、ハナビは信じられない頭で見つめた。

「ハナビ……! 大丈夫……?」

 次いで遠くから駆け寄ってくる姉の声が酷く懐かしかった。その方を見れば、心配そうにヒナタは眉を顰めている。傍まで寄ってハナビの無事な様子を認めると、彼女の眼が棒立ちになり放心状態でいる少年らに向かう。ハナビを抱えながら、ネジがさっきから、鋭く見据えている――。

「オレの従妹が迷惑を掛けたな。苦情は全て、オレが引き受ける……だから…………言ってみろ。聞いてやる」

 闇よりも暗く悍ましい声色で。聞いたこともないようなそれがぞくりとハナビの肌を震わせる。ハナビがコウナルまでに、何をした?―――言葉なく問うネジは任務中の空気を多少なりとも引き摺っていた。アカデミーで授業を受ける一端の下忍には余りにも荷が重い。そして実際には、ネジは彼らに答える権利を与えていなかった。言えるものなら、言ってみろと。夕刻になり翳ったネジの瞳がそう仄暗く囁いて、言えないのだ。
 木ノ葉の上忍に、容赦なく敵意を向けられて少年二人はわなわなとして閉じられない唇を必死に噛んでいた。ハナビの話は、本当だった。この人の形をした異形の恐怖を与えるネジが、彼女の従兄だという。ならばこの少女は、自分達がばかにした彼女は、日向宗家の―――。
 そこまで考えて、彼らは口内の唾をごくりと呑み込んだ。“呑み込めた”ことに驚く。一瞬だけ、ネジの醸し出す鋭い空気が緩められて、体の強張りが解けた。指一本とて自力で動かせなかったものが、緊張から解き放たれて動くようになった。そのまま、ネジの視線の促すまま、持っていた他人の手提げと財布を放り出して二人は一目散に逃げ出した。

 脇にはまだいたらしい、ぼうっとへたり込んでいるもう一人の少年。自分の荷物を見ても、何も反応せずまだ俄かに奥歯をカチカチ鳴らしている。こちらはどうやら腰が抜けたようだ。

「兄さん……」

 逃げ去る少年らの後ろ姿を、尚も大人げもなく睨んで“威嚇”するネジを、そっとハナビは見上げる。声にネジの眼差しが降りてくる。幾らか静謐さを取り戻した、だがまだ不機嫌な様の窺えるその色に、ごめんなさい、とハナビは小さく呟く。そのしおらしい様が、逆にネジを煽ったのか、ネジは支えていた体を行き成り離して、その手でハナビの頬を強かに叩いた。

「ネジ兄、さ……」

 ヒナタが傍らで息を呑んでいる。真白な袖が軽く舞うくらいに勢いがあった。音もそれ程控え目ではない。平手を受けたハナビが俯いたまま頬を押さえて、痛みに耐えている。だがそんな時間も許さないと、ネジはハナビのことも厳しく詰問する。

「どうしてこんな無茶をするんですか……」

 じんじんと痛む頬を押さえながらハナビは身を固くした。最小限に押し込めた声にはネジの苛立ちが現れている。

「オレが里を発つ前に、あなたに何と言いました?
覚えていますか?」
「……」
「忘れられては困ります。あなたの回天は、まだ不安定と、そう言いましたね? オレが戻るまではと、固く禁止した筈です」

 気持ちが竦んで口を閉ざすハナビを、ネジは冷静に見つめる。無論忘れた訳ではなかった。数日前にハナビがネジと交わした約束事。しかし――そういうことを、ネジは聞いているのではない。覚えていて、約束を破ったことを、ネジは見抜いている。

「こんな街中で……一歩間違えれば、周りにいる人間も巻き込み兼ねなかった。もしも、無関係な人を巻き込んでしまったら、あなた、どう責任取るつもりです。ヒアシ様に頭を下げさせるんですか? それで済めばまだ良いです。万一命を落としてしまったら……? 決して大袈裟ではない。それ程秘術というのは危険なんです。どれだけ無茶なことをしたか、あなた分かっているんですか?」
「兄さん……もう……やめて……」

 段々と語気の強まるネジを、涙混じりの、震えるヒナタの声が止める。ハナビが何故回天を覚えたのか、事情は知らないが、とにかく、もう責めないで欲しいと願った。ハナビが向こう見ずな行動をしてしまったのかもしれないけれど。ネジの言うことが正しいのかもしれないけれど。もう、十分、ハナビは解っているから―――。
 ネジを見つめ返しながら、ハナビはぼろぼろと大粒の涙を零していた。ひく……ひく……と小さくしゃくり上げながら、それでもネジの真剣な眼差しから目を逸らさなかった。その健気な光景に、彼女の平生の無邪気さを知るヒナタはどうにも胸が痛くなる。表立ってそんな顔はしていないが。きっと、叱りつけるネジの方も。

 怒りを露わにする従兄が自分の為にそうしているのだと、ハナビには分かった。だから尚一層に苦しくなるのだ。逆に言えばそれ程の覚悟でネジも事に当たっていた。ハナビを信頼して、修行をつけてくれていた。一歩間違えればハナビに回天を教えたネジも、それを暗に許していたヒアシも、一族から厳しく非難されるところだったかもしれない。
 考えなしであった。謝れば許されるなど、余りに浅はかだった。ハナビの小さな拳が震える。ネジにこんなに迷惑を掛けて、自分は何てばかなのだろう。


 もう、これ以上、ネジに酷いことを言わせたくないし、それを受け止める余裕もなかった。心は悲しみの色に染まって悲鳴を上げていた。
 ハナビ、と自分を追う姉の声の優しさに、縋りたい気持ちで、しかしネジの前でそれは許されぬと、ハナビは涙を拭ってその場から走り去った。
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