NLCP*ブック

□シュークリーム
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 廊下の向こうから誰かの談笑の声が聞こえてくる。客人かと思って何気なくハナビが覗いてみると、玄関に従兄がいた。一体いつ以来だろうか。そう思うのはどうやらハナビだけではなく、久し振りに訪ねて来たネジを珍しがって、何人かの日向の人間が並んで出迎えていた。“最近調子はどうだ”などと月並みの社交辞令のような尋ねを次々にネジに寄越しては、微笑ましいことに返事を用意する彼を中々屋敷へ上がらせないでいる。その大人達の頭の間から窺える、変わらぬ涼しげな顔立ちに、居ても立っても居られずハナビは飛んでいった。
 立ち話をする大人達の後ろから、そっと顔を出すと、彼らの顔を順に見ながらそつなく受け答えするネジと、目が合った。その瞬間、いつもの引き締まった表情が少しだけ懐かしさに緩められて、ハナビ様、とネジは懐かしい声で呼ぶ。

「土産です。ヒナタ様とどうぞ」

 言いながら徐に、片手に携えていた箱をハナビに差し出す。名指しを受けたハナビに道を譲るように、大人達が温かな眼差しを向けて除けてくれる。皆に注目される中、自分だけに向けられた品物に、ハナビはおずおずと手を伸ばした。然程重くもないが、中身のしっかりとした重量感が二つの掌に伝わって、言い知れぬ期待感が膨らむ。鼻先に近付けると、仄かに砂糖の甘い匂いがした。
 
「わぁぁ、シュークリーム……食べていいの?」

 小奇麗で余計な飾りのない、真白な箱だったが、よく見るとそう書いてある。従妹二人にだけ手土産を用意して、瞬く間に“手ぶら”になったネジは悪びれる風もなくニコリと微笑みで答える。甘い物なんて他に誰も食べないと思ったのだろうが、それにしてもあからさまで、ハナビ達姉妹を惜しみなく可愛がっていることが一目瞭然だった。
 ハナビ様、羨ましいなぁ、とおどける大人達に子供らしくハナビは頬を染めた。皆にも分けた方が良いのだろうか。でも折角、ネジが自分達の為にと用意してくれた物だから……言葉に甘えてヒナタと仲良く分けることにした。
 ありがとう、と小さく礼を言って、落とさぬように大事に箱を抱えると、照れ隠しのようにいそいそとハナビは玄関から離れていった。白い眼差し達が、微笑ましくそれを眺めた後、再びネジを話の中心に戻した。








「ネジ兄さん」

 丁度門から出ようとしている姿を見掛けてパタパタとハナビが駆けていく。帰り際、不意に呼び止められたネジは足を止めて振り返った。玄関での“足止め”が思いの外長引いて夕刻までネジは宗家に滞在していた。その背後には、ハナビに比べたら長身な彼の影が、殊更長く伸びている。

「あのね、これ。ヒナタ姉さまが、お煮しめ作ったんだけど……お菓子のお礼に、ネジ兄さんに渡してきてって」

 軽く息を弾ませながら、駆け寄ったハナビが今度はネジへと風呂敷包みを差し出す。つい先程、夕飯の仕込みをしていたヒナタがふと、ネジ兄さん、まだいるかしらと呟いて、お裾分け用のおかずを急遽詰めてハナビに持たせたのだった。
 馥郁とした醤油の香ばしい匂いがふわりと手元から上がる。まだ温かさの伝わる包みを、ネジは意外そうな顔をして受け取った。

「これは……却って、気を遣わせてしまいましたね」

 辟易しながらも、大事そうにネジの両手の中に収まる包みに、ハナビは少しの間見入った。同じ姉妹でも、活発なハナビと対照的に内向型なヒナタは、手先が器用で押し花を趣味に持っていたり、よく家のことも手伝ったりしている。ヒナタ手製の美味しい料理をネジも味わえるのは素直に嬉しかった。だからその手に大事にされている包みが羨ましい。

「ハナビ様?」

 思考に嵌ったハナビの視線をネジが動かした。けれどもそれは、またゆるりと自信なさげに足元に落ちる。ハナビにしては珍しい。

「な……何か私も、お返しとか……用意すれば良かったかなぁ……って」

 俯くハナビをネジは黙って見守った。しかしお返しとは、何を用意すれば良かったのだろう。ヒナタは煮しめを作ったけれど、ハナビには料理など殆ど出来ない。時間があればホットケーキくらいなら焼けるけれど……ネジが喜ぶとは余り思えなかった。
 だがそれでも良いから作れば良かった。折角来てくれて、美味しい手土産も貰ったのに。次にネジがいつ来るかなんて、分からないから。



「……ハナビ様。シュークリーム、どうでした?」
「え……? あ、すっごくおいしかったよ」

 話の腰を折ってくるようなネジの尋ねに、ぽかんと固まる。急に関係ないような話を振られて、何が言いたいのだろうと思いながらもハナビは素直に伝える。黄色いカスタードクリームの蕩けるような甘さは、まだ記憶に新しい。明るく無邪気なハナビの返答に、ネジは密かに口元を緩めた。

「なら、それで良いです」
「え……?」
「もう“お返し”は貰いましたよ。だから何も用意しなくて良いです。あまり余計なこと、考えないでください」

 何も意味のないようなネジの微笑みに、益々ハナビは混乱した。ネジの言っていることが良く分からなかった。ハナビは何もあげていないのに……でももう考えるなと言われてしまってそれ以上踏み込めない。それと、帰る素振りを見せたネジに意識がいった。ハナビはネジを呼び止める方に集中する。

「ネジ兄さん……また来る?」
「はい。また来ますよ」

 打てば響くが如く、一寸の迷いもなく当たり前のように返される。いつ、とまでは聞けなかったが、ネジのそれは幾らかハナビの寂しさのような気持ちを和らげてくれる。
 ネジが宗家から足が遠のいてしまったって、一族との繋がりは途絶えない。これからも『従兄妹同士』という特別で何でもない関係は続いていく。ハナビが特に望まなくても、ずっと。ネジはいつまでも未来永永、ハナビの自慢の従兄だ。

「……ハナビ様。さっきから思っていたのですが、口の周り、クリームだらけですよ」
「!?」

 平然と教えるネジの声に、ハナビはバッ、と瞬時に口元を押さえた。屋敷にはいない若々しく聡い眼に見つめられて、何で今更伝えるのかと顔が茹で上がるようになる。しかし掌を置いたところに、思ったようなべっとりとした感触はなく……謀られたことに気付いたのはネジが『意地悪』を自白したからだ。

「冗談です。ではまた」

 寂しがるような瞳に、そっと微笑い掛けて、ネジは暇を告げた。意地悪でも何でもない。『またいつでも会えます』と、そのすらりと伸びた後ろ姿が綽々とハナビに語る。
 そっか……と急に腑に落ちたハナビは、夕陽に包まれたネジが見えなくなる前に家の中に入った。ヒナタが間に合うかと心配していたから、先に伝えなくてはいけない。

 廊下に落ち着かない足音がバタバタと響いて、嬉しそうなハナビの声が台所に舞い込んだ。

「姉さま!ネジ兄さんに渡してきたよ!」




(了)

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