NLCP*ブック

□シュークリームU
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「ネジ兄さん、買い物これだけ? ほかに買い忘れない?」

 両手に紙袋を下げて、先頭を切って歩いていたハナビが、短く揃えた髪を揺らして振り返る。大人顔負けのしっかりとした口調は、甘やかすことのないヒアシにより身に着いたのだろう。思ったよりも力持ちな少女は、今日は頼もしいネジの荷物持ちだ。とは言ってもあまり重い物は任せられなかったけれど。ハナビが持つよりも遥かにずっしりとした、組み立て式の整理棚なんかをひょいと腕に抱えているネジは、それでも有難そうに笑みを作った。

「はい。助かりました、ハナビ様」

 何の飾り気もないが、素直な感謝を受けて、ハナビの白い頬が李のようにまあるく染まっていく。
 この日二人が会ったのは、偶然だった。両手に荷物を抱えた状態のネジを見掛けて、心配してハナビが付いて来た。一度(ひとたび)任務に出ると、平気で一週間は家を留守にしてしまう。そんなネジに与えられた偶の休日は、貴重な修行、元い、膨大な買い出しの時間にしばしば充てられた。
 だが今日は、小さな付き人に手伝われながら、効率よく目当ての店を回ることができた。八百屋さんだったら、こっちだよ、とか。この通りを抜けた方が近道だ、とか。ネジよりも里の様相に詳しいらしいハナビが、元気な声でネジを引っ張っては良質な商店に案内した。この分なら陽が沈む前に帰路に就ける。頬染めてへへっと照れ笑いを見せる彼女には、何か特別な見返りが必要だろう。

「そうだ。土産を買っていきましょうか」

 突然のネジの思い付きに、ハナビの白く円らな眼が、ぱちりと瞬き疑問を滲ませる。おみやげ……? と拙く辿る細い声は、途端に彼女を年相応に見せた。

「甘いものです。ハナビ様にも、お礼をしたいので……もう少し、付き合ってもらえますか?」

 もう一つ……買い忘れた物がある。明瞭で難解なネジの笑みに、ハナビはきょとんと呆けている。しかしそれ以上の企みが告げられることはない。
 先に歩き出したネジの背中越しに“待って”と、慌てて呼び掛ける声が聞こえる。
 少しも掌に食い込まない荷物を揺らしながら、ハナビはネジの後を小走りに付いて来た。










 カラン、と軽快で小洒落たベルが鳴る。ドアを開けたネジに続いておずおずとハナビは甘い香りの漂う店内に入った。
 ネジに連れられたのは、然程遠くもない所にあった、通りの一角に佇む洋菓子店。小さな店内だがガラスケースの中には、所狭しと甘く零れ落ちそうなケーキ類が詰め込まれている。

「ええと、ハナビ様と……ヒナタ様の分で良いですね」

 腰を屈めて、綺麗に整列したケーキを眺めていたネジが、そうして独り言のように告げた。土産……と言いつつ、やはり当然のように他の一族の者は頭数に入れない。甘い菓子類を喜ぶのは大抵ハナビとヒナタ姉妹だと分かり切っている。
 ネジに釣られてそっとハナビはガラスケースに近付いた。粉砂糖で薄化粧をした苺や、グラサージュでコーティングされた艶のあるフルーツが、目に眩しく輝きを放っている。茶菓子が全く与えられないという程、厳格な家でもなかったが、言ってもハナビ達に出されるのは和菓子なので、ハナビにとってはどれも鮮やかで心を奪われる。この前のシュークリームもそうだが……ネジは何処でこんな美味しそうな店を仕入れるのだろう。

「兄さん、あの赤いケーキ、可愛い。ヒナタ姉様好きそう」

 自分とヒナタの分と言われて、真っ先に目に留まったベリーケーキにハナビは姉の面立ちを重ねた。真っ赤なベリーソースと苺のムースの愛らしい色味が、優しく嫋やかなヒナタそのものだった。これを前にしたら、きっと頬を上気させて感激するだろう。ハナビに袖を引っ張られて、ガラスケースに屈み込んでいたネジも、異論はない様子だ。

「では、ヒナタ様はそれにするとして……ハナビ様は、どうしますか?」

 先に姉へのお土産を決めてしまうと、ネジの尋ねは自然とハナビに向かう。あとはハナビが、自分の分を選ぶだけ。純粋にガラスの中に並ぶケーキに彼女が惹かれていたことは、事実なのだが……そう単純には言い出せない訳が、胸の内にあった。

「でも、私……ケーキのために、手伝ったわけじゃ」

 ぽつぽつと小さく呟くと子供染みた口調になってしまって、居心地が悪くてハナビはそっと目を伏せた。その後の言葉が仕舞い込まれて、代わりにネジの袖がきゅうっと握り締められる。素直に欲しいとは言わない。だが決して『要らない』とも。目の前のケーキは勿論魅力的だったけれど、それは当初の目的ではなかったから。ハナビが今日手を貸したのは、ネジの甘い見返りを求めたのではなく、ネジの力になりたいと思ったから。
 そう、内心に秘めたハナビの想いが、きっとネジには伝わった。これから沈みゆくであろう夕陽を眩しがるように、ハナビを見つめるその眼が静かに綻びたから。

「そんなこと、分かっていますよ……待っているから、じっくり選んでください」

 ハナビの心配はどうやら思い過ごしだったようだ。彼女にそのような下心があるなど、ネジは端から思っていない。
 擽ったい眼差しに促されて、ハナビは少し照れてしまったけれど、ネジの袖から離れて、もう何の遠慮もなくガラスに顔を寄せた。綺麗に磨かれたそれは照明を反射して、中に仕舞われたケーキを更に輝かせて見せる。見れば見る程目移りして、簡単には決め兼ねたが、時間ならあるからとネジは悠長に構えており、その態度に心置きなく『自分への』お土産選びに専念できた。しっとりとした生クリーム、甘酸っぱそうな季節の果物の誘惑……こぢんまりとしながらも種類だけは豊富にある店のケーキから、それでもハナビは一生懸命に悩み悩んで、今一番惹かれるものを選んだ。
 艶のあるフルーツケーキをそっと指した指先に、ネジは待ち焦がれたように即座に反応した。内心ではまだかまだかと気を揉んでいたのか、やっと欲しい物を示したハナビに食い付いてガラスケースを覗き込む。これで良いんですね? と念入りに確認をしてから、ネジは店員に姉妹の分のケーキ二つを注文した。

「――それと……そのシュークリームを、ひとつ」

 しかし……明らかに、それがひとつ多い。ネジからの甘いお土産。どこから出たのか、最後に付け足された、ある意味に思い出深い品物に、素直にハナビはネジを見上げた。誰の分だろう。

「兄さんの分……? それとも、父上……?」

 ネジも、見ている内に食べたくなったのか。それともいつも世話になっている礼にと、父に……? ヒアシがこのようなファンシーなものに(かぶ)り付く様を、想像したくはないが……ハナビの脳裏には大変斬新な場面が浮かぶ。ネジは緩やかに首を横に振って、可笑しな空想を否定した。彼の返答は、その何方とも異なった。

「あなたの分。……ヒナタ様には、内緒ですよ」


 意味ありげに声を潜めたネジは、ゆるりと唇の端を持ち上げる。華やかなケーキに埋もれるように佇んでいたシュークリーム。ハナビが大好きなことを、知っている。これも一つおまけに付けると、罪深い秘密を持ち掛けられてはハナビは困ってしまう。大事な姉に隠れて、一人でこんなに美味しい思いをして、良いのだろうか――。そこに隠された本当のネジの想いには、気付かないまま。




“優しいあなたに、細やかなご褒美です。”
 自分のことより、従兄や姉のことを思い遣る、優しい、優しいハナビに。


 知らずと微笑みの形に変わってゆく唇を、一生懸命に引き結んで堪えて、ハナビはコクリと頷きネジと示し合わせた。内緒にする。きっとこれがどんなに美味しくっても、絶対に誰にも言わない。ハナビとネジだけの秘密。


 カラン、とベルを鳴らして再びドアを開けると、辺りはすっかり夕暮れヘと変様していた。オレンジ色に染まる通りに、ネジとそれよりも小さい二人分の影が仲良く伸びる。
 それからの帰り道は互いに無口だった。何か喋ったら、大切なこの気持ちが溢れて、秘密が漏れてしまう気がした。それでもハナビから漂う空気を察すれば、何か良いことがあったのかとヒナタ辺りは勘付いてしまうかもしれない。恐らくは何も聞いてこないだろうけれど。

 甘い匂いを閉じ込めた、『とっておき』の土産を持つハナビの足取りは、軽かった。



(了)

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