NLCP*ブック

□Rain
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―――雨の日にビー玉をのぞくと、『運命の人』が見えるんだって。


 それは今日のハナビのように、この天気に飽きてしまった先人が、退屈凌ぎに始めた遊びだったのかもしれない。どこからか齎されたそんな空想的な話を、些か興味を伴った瞳に語られると、流石のヒナタも苦笑した。

 しっとりと雨に濡れそぼる日向の庭。耳を飾るのはもう何日もそんな微細な雫の落ちる音で、その日も涼しかった。庭に面する縁側に腰掛けながら、ハナビはそれとなく手にしていたビー玉を雨空に翳した。明るい灰色の空に、南の海のような碧が交錯する。単なる晴れ空とは違う幻想的な色調に呑まれて、覗き込んだ白眼がゆっくりと瞬いた。背後にある居間では、ヒナタが濡れた洗濯物を干している。パタパタと衣類を広げる忙しくもない音が、雨の音と共にどこか遠くの方で聞こえる。現実と非現実の境目に投げ出されたような感覚は、ハナビを不思議な気分にさせた。透き通るようで何も見通せない、ぼんやりとしたガラスの碧を、それでも一心に見つめていると、確かに何かが過ぎったのだ。

「ねっ……姉さま……!」

 突発的な出来事にハナビの思考が攫われてしまった。一拍後に我に返ってヒナタを呼ぶと、洗濯物の手を止め彼女が側に来た。
 どうしたの? と少し急いで来たらしいヒナタが不思議そうにハナビに窺う。手元のビー玉は、涼しげな色味のままで、雨空の色を鈍く反射していた。

「い、今……誰かが映って……」
「ええ……?」

 おっとりとしたヒナタの目が、僅かに開かれて、ハナビの手からコロンとしたビー玉が摘ままれる。片目を瞑ってまじまじと、二本の指で挟んだ碧い球体をヒナタは眺めた。
 姉妹が口を噤むと縁側には静かな雨音が響く。もう一つの順良な白眼が何かを見極めるのを、しとしとと地面を鳴らしてそれは待つ。

「……何も見えないけど」
「そんな……おかしいな。今本当に……」

 小首を傾げるヒナタからビー玉を受け取って、ハナビはもう一度よく覗き込んだ。けれど、穴が開くほど見ても今度は掴みどころのない色の層が果てしなく広がるばかりだった。凝視するハナビを色の迷宮に嵌めて、惑わしてくるようだ。

「どんな人が見えたの?」

 必死な顔でビー玉と睨めっこをしていると、ヒナタの純粋な問い掛けがそれを和らげてくれた。眉間から難しい皺が消え失せて、子供らしくなだらかになったところで、うーん、とハナビは、先程一瞬だけ見えたものを頭に描いた。

「うんと……顔は分からなくて……後ろ姿だったんだけど……何だか、ちょっとネジ兄さんに似ていたような……」

 摘まんだビー玉を見つめてハナビは思案する。不意に目に入ったものだったし、そんなに鮮明でなかったから断定はできない。でも背筋のピンと伸びた、真っ直ぐ前を向く綺麗な後ろ姿だった。誰かと思い巡らせれば、ネジの背格好に似ていなくもない。
 ネ、ネジ兄さん? とそれが余程予期せぬ返答だったのか、ヒナタはびっくりした顔で固まっている。だって、ハナビにはその意味が分かっているのだろうか。

「……そうだね、素敵だね。ネジ兄さんが運命の人だなんて」
「もぉ〜! 信じていないでしょ、姉さま!」

 本当なんだよ、と勢い付くハナビにヒナタはただにこにことしながら、空の洗濯籠を抱えて居間を後にしてしまう。残されたハナビは不満顔だ。信じていないというか、ハナビを笑っている訳ではなくて、普段は大人びた妹が可愛いこと言い出すなあってきっとあの姉は思っている。













 きっと雨でビー玉が光って、何か映ったように見えたんだね。


 日が経っても、雨の滴から作られたような小さな球体を、ずっと手離さずに持っているハナビに、見兼ねたヒナタがそっと声を掛けてくれた。多分未来を占った先人達も、そんなもので一喜一憂していたのだろう。占いとはそんなものなのかもしれない。
 あれからあのビー玉は、幾ら雨の日に翳しても、ハナビの望むものを何ひとつ映さなかった。
 望むものって、何だろう。何を期待して自分は次の雨を待っているのだろう。このところ姿を見せない従兄の顔が脳裏に浮かんだ。会えたとしても、当分答は出ない気がする。

 すっかり晴れた爽やかな日和に縁側に出ていると、気持ちが良くてついつい体を横たえてしまう。一通り修行メニューを終えて小休止を挟むハナビへと、ヒナタが冷えたジュースを注いでくれた。ここに置いておくよと、居間から呼び掛ける世話焼きな姉の声に間延びした返事を投げつつ、何だか直ぐに起きたくなかったハナビは修行着のポケットから硬い雨の塊を取り出した。
 碧い南の海を思わせるそれは、ただキラキラと穏やかなひかりを反射して、ハナビの掌で転がるばかりだった。















あの時見えた背中は、やっぱりあなただったのでしょう。
姉には最後まで分からなかったけど、雨は時々不思議な力を与えてくれます。
幼い私が気付き掛けた、雨音に馳せたあなたへの感情。
今でもまだ、大切にしています。私の中で息づいています。

【恋をするにはあまりに遠いけど】


(Rain/堀江由衣)

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