NLCP*ブック

□Romancing train
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※パラレル色強いです。大丈夫でしたらお進みください。




 適度な走行音と振動が、旅路を往く人々にひとときの休息を与えていた。車内の照明も落とされて、周囲の乗客達は早朝に動き出す為にと、座席の背凭れに寄り掛かって眠り始めている。不規則な揺れに身を委ねながら、それらとは溶け込まず、墨汁で染め上げたような窓の景色へとサイは同じ色の瞳を向けていた。明確な目的地を考えていなかったのでこの時少しだけ未来のことを思った。
 終着駅から始まる自由は何者も縛らない。されど大きく軌道を外れた「対価」はきっとどこまでも後をついて回る。眠れる程穏やかでいられなかった。ただこんな風にして銀星の散らばる寂寞(じゃくまく)な夜をやり過ごしたかった。



Romancing train




―――サイ、こわい。

 弱々しく啜り泣くような声が耳に届いて、サイの黒い眼差しが車内に戻る。窓側の席に座らせて、列車に揺られているうちにうとうととしていたサクラが、寂しがるように体を摺り寄せてきた。

「……大丈夫。朝になれば、明るくなるよ」

 まるで寝起きの子供がぐずるみたいな行為に、端整な瞳の端を僅かにサイは緩めた。肩に寄り掛かる頭は小さかったが子供の重さではない。癖の強い桜色のそれを片手で抱き込んで、落ち着かせるように撫でながらその側にある窓をもう一度見た。未だ墨で塗り潰した世界が広がっていたがもう数時間もすれば夜明けだ。必ず夜は明ける。いや、彼女が恐れているのは実のところ朝陽の方なのかもしれない。悠久の夜の闇に紛れていたかったちっぽけな己が、現実が、全てが目に見えてしまうから。
 サイに身を預けてサクラは大人しくしていた。彼女の言う『こわい』ものとは――思い立って慎重に気配を探るが『追っ手』が動き出した様子はない。
 大人に比べたらずっと非力だろうサイは、それでもサクラにとってはただひとつの信頼できる居場所であった。安心したようにくったりと体を寄せていた彼女が、不意にサイの腕に強張りを伝えた。細い指で懸命にサイにしがみついて離れようとしない。後方から来るものとは別の、車両の前側から忍び寄る足音に、サイはゆっくりと目を遣った。


 夜遅くの、未成年と思しき風貌のあどけない乗客に、中年の車掌はじっと目を注ぐ。一組だけ窓のカーテンが閉め切っておらず、仄白い星明りが差し込んでいるのが見えた。冬期休暇の時期とも異なるが、強引に子供だけの里帰りと言い切るには、妙に薄着で、手荷物も何もなかった。
 サクラが、立ち止まった気配に怯えるようにぴたりとサイに寄り添う。震える肩に掌を置いて、宥める仕草を取り、サイは傍で佇む制帽の男へと潜めた声を向けた。

「……妹です。離れて暮らす父が、倒れたという報せが入りまして……これから二人で、様子を見に行くところです」

 夜を映したように、計り知れない深みを湛えた瞳が僅かの光も灯さずに言う。年長者相手にも挙措を失わず、向けられる疑心を冷静に読み取っていた。気弱そうな隣の少女を守る立場である為か、痛々しいくらいに少年の方は毅然としていた。
 真っ直ぐで少しもぶれない視線に射止められて、車掌の男は何も言おうとしなかった。ただ妹らしき少女の肩を労わるように抱く様子を暫し見つめて、帽子の鍔を指先で持ち、ふたりに目礼するかのように深く被り直した。……或いは目を瞑るという意思表示だったのかもしれない。真実は分からなかった。
 サイの側を通過して、男の足音が遠退いていく。耳に入るのは控え目な列車の走行音ばかりとなった。静かな夜だ。本当に静かな。こんな時にどうして眠っていられるだろう。面白みのない景色なのだが暗色の天上を仰げば、無数の星が瞬いている。どうしても俯いて外を見ようとしない、震えが止まない少女の肩をサイは強く抱き締めた。

「サクラ」

 花びら色の、自分とは似ても似つかない『妹』の名を呼ぶ。咄嗟に吐いた空言だったが君とだったら、そうなっても良いと唐突に思った。それならいつまでも、堂々と寂しがる彼女の傍らにいられる。
 何よそれ。そしたらわたしたち結婚できないじゃない。そう可愛げなく唇を尖らせる可憐な反応が浮かんだけど、今の彼女には望めなかった。本当はもう大分前から可笑しくなり掛けていた。気持ちを押し込んで押し込んで、限界まで張り詰めた彼女の心はこの先もう破裂するしかなかった。
 だから決意した。そうなる前に、全身が涙になって消えてしまう前に。サイは婚約者ができたと泣きじゃくるサクラの手を取って後先考えず列車に飛び乗った。
 細すぎる手首を握り締めるのは悲しい程に残酷だった。だけどサイが引かなければサクラは真っ直ぐに歩くこともできなかった。
 結婚式はあそこでやりたい、としばしば夢見る彼女が呟いていた丘の上の教会を振り向くことなく駆けていった。とっぷりと暮れた空に風が巻き起こり、ざわざわと舞い上がる黒い木の葉の迷宮を無我夢中で走り抜けた。行き先なんてどこにもなかった。この世界に信じられるものなんて。黙って掌を握り返してくる細い指の確かな感触に、サイは唇を噛んだ。


―――カタン。
 不規則な車内の揺れにサイの意識が戻ってくる。腕の中に凭れるサクラはいつしか小さな寝息を立てていた。遊び疲れた天使のような、とても悲哀に塗れていたとは思えない無邪気な寝顔にサイは少しだけ瞳を曇らせた。

 このまま、夜空にまで上ってしまえばいい。この遥か上空で美しく燃ゆる星屑が、彼女の夢に降るように。怖ろしい朝から、彼女を守れるように。
 何処までも続く線路の前途に希望を込めて、眠るサクラの頬に、サイはそっと頬を寄せた。



(了)

(Romancing Train/m.o.v.e)

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