『夢と、記憶と、現実と』
□第一章
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*
「………ん……?」
今、何か聴こえなかったか?
もう一度、耳を澄ましてみる。
「……キイ……カイス……!」
「ニト……イ」
やっぱり聴こえた!
誰かの話し声のようなものが、おそらく、複数だ。
しかし、それを聴いたわたしが感じたのは、安堵ではなく、どうしようもない不安だった。
だってその声、どう聴いても日本語じゃないのだ。
しかも何やらしゃがれたような声で、苛立っているのがありありと分かる叩きつけるような喋り方。加えて、森のずっと奥から聴こえてくる。
――狩り、とか……?
それならば、森の中をうろつく理由になる。
だけどやっぱり不安はなくなるどころか、嫌な予感しかしなくなって。
後から考えると、それって、本能とかそういう類のものだったんだろう。
背中を伝う汗を感じながら、わたしはゆっくりと、一歩、二歩と後ずさった。
その声の主たちの姿は、結局見ていない。
でも、逃げなければ、と咄嗟にそう思った。
足が震えている。上手く走れないかもしれない。
もう意味が分からなくって、鼻の奥がつんとして。涙が出そうになって。
ようやく小道を走り出そうとしたときに、目の前の壁に勢いよくぶつかった。
「いっ……!」
力の抜けた足のせいで、すぐに倒れそうになる。
しかしそうならなかったのは、わたしの腕がものすごい力で引っ張られたからだ。
わたしがぶつかった壁は、"誰か"だったのだ。
そう認識した途端、頭の中がパニックになった。あの声の主の仲間だ、そう思った。
「い、やぁ……うぐ!」
力の限り叫ぼうとした口は、その"誰か"によって塞がれる。
「静かにしろ。暴れんな」
「……っ……!」
すぐ目の前で、鬼気迫る表情での忠告。
しかしわたしはその忠告というよりも、もっと別の意味で声を失った。
大人しくなったわたしの口を塞いだまま、彼は森の方へと近づく。先程の声を聴いた辺りだ。
彼は目を細めて木々の間を探るように見つめ、やがてふっと息を吐いてわたしを引っ張った。
「いいか、そのまま大人しくしてろよ。すぐにここを離れる。走れるか」
拒む理由もないし、わたしとて早くここから離れたい。
頷くと、彼はようやくわたしの腕と口を解放した。
――ポロリ。
そこで、ついに零れてしまった涙。
彼はそれを一瞥すると、何も言わずに走り出した。
わたしもそれを追う。ふらつく足で、必死に。
きっと彼は、初めて会うわたしを慮るような真似はしないだろうから。
走りながら、前をゆく彼の後姿を食い入るように見つめた。
派手な色合いの服装に、細長い羽根のついた帽子。そして何より、さらりと流れる赤い髪。
「………なんで」
呟いた声が、聞こえたのかもしれない。
彼は一瞬だけ目線を寄越して、わたしを確認した。
わたしはただ、混乱する。
――なんで、どうして。
"トラップ"だ。
……この人、"トラップ"だ。
*