さて、月霞むその夜を抜け

□選ばれた理由
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 四年い組の平滝夜叉丸が持ち帰った情報通り、湊川オウギには、暫し監視が着く事になった。
 そしてそれは、学園長、大川平次渦正の「上級生に任せる」との一言を受け、最上級生である六年い組の立花仙蔵と、は組の善法寺伊作の審議の結果、数名の生徒を選抜して当たらせる事となったのだった。

 選抜されたのは、四年生からはろ組の浜守一郎、は組の斎藤タカ丸。五年生からはい組の尾浜勘右衛門、ろ組の不破雷蔵、そして六年からは善法寺伊作ただ一人。
 因みに、事怪我人病人に関わる事柄には厳しい伊作の言葉を借りるならば『暴走した馬鹿ども』、オウギと追走劇を繰り広げた六年ろ組の七松小平太、い組の潮江文次郎、は組の食満留三郎、四年ろ組の田村三木ヱ門の四人は、選外は元より暫くの保健室への出禁を伊作から通達される事となった。

「…………なんで、僕まで」

 食堂にて、大袈裟な程にがっくりと肩を落として本日何回も聞いた事をまた呟く三木ヱ門に、守一郎は何とも言えない苦笑を浮かべる。
 三木ヱ門の落ち込みぶりは、その背に暗雲を負うのが見えそうな程である。普段から気の強い言動の目立つ彼ではあるが実質は真面目な優等生、此処まで叱られるという事は経験が薄いのだろうと守一郎は思った。
 その点で言えば、残りのお三方の先輩は多少不満気ではあったが存外にケロッとしていた様に思う。

「まあ、この馬鹿が出禁は納得だが、問題は何故この優秀な私が選ばれ、」

「お前に馬鹿などと言われたかないわ!アホ夜叉丸っ!!」

「私の言葉を遮るな馬鹿ヱ門!!」

 まあ、それでも好敵手に噛み付く元気はあるから大丈夫だろうな。と、守一郎は、ぎゃんぎゃんと言い合いを始めた三木ヱ門がうっかり倒してしまわぬよう、然り気無く膳を此方に寄せる。

「うっさいねぇ……タカ丸さんはさっきから何をされてるんですかぁ?」

 三木ヱ門と守一郎から見て向かい側、三木ヱ門との舌戦に励む四年い組の平滝夜叉丸の隣、同じくい組の綾部喜八郎。
 耳を塞ぎながら喜八郎がちょんと唇を尖らせ見ているのは守一郎の隣席に座るは組の斎藤タカ丸。守一郎と同じく監視選抜組の一人だ。
 ふわふわと良く蒸された饅頭や、昼下がりの縁側にまどろむ猫を思わせる雰囲気を放つ彼は、機嫌良さげに、膳を下げた机の上に元結や髪紐や櫛やらを並べ、手には何時も持っている鋏を丁寧な手付きで磨いている。

「えーとね。髪を結わえるか整えるかしてあげようかなあと思って」

「……あのくの一の人?」

「そうそう、オウギさんの」

 喜八郎の形の良い眉がぐにゃりと歪む。三木ヱ門と滝夜叉丸も舌戦をふと納めて、タカ丸を見る。

「見た感じでは髪をしっかり洗えてないみたいだし、土と血をちゃんと全部落として、それから痛んだのを切れば……きっと綺麗になると思うんだよねえ……んー、結い紐は何色が良いかなぁ」

 そう、ふにゃんと笑うタカ丸に、三木ヱ門と滝夜叉丸は仲良く揃った溜め息を吐いた。

「タカ丸さん、幾ら元髪結いだからって……」

「監視の意味を分かっていらっしゃいますか……」

「いや、それで良いと思うぞ」

 割って入ってきたその声に、守一郎達が顔を上げれば、膳を手に立つ二人の先輩がいる。

「よぉ。珍しいな、お前らが皆揃って食事とは」

「僕達も相席して良いかな?」

 件の監視選抜組の五年生二人、尾浜勘右衛門と不破雷蔵である。
 勘右衛門は面白いものを見るように席を並べる守一郎達をくるりと丸い目で見渡した。

「定例会みたいなものです。普段から団結力が無いと言われているので、日を決めて皆で食事を取るという事にしているんですよ」

 三木ヱ門が勘右衛門に答えれば、二人の先輩は軽い笑い声を立てた。

「それは、御苦労様……かなぁ?」

「親睦を深めておくのも、まあ鍛錬の内になるのかねえ」

 タカ丸と守一郎が少し詰めた隣に雷蔵が、喜八郎の隣に勘右衛門が腰を下ろす。
 二人の手にある膳はどちらもA定食。食堂の貼り紙を見ればB定食の方は『終了しました』と墨で消されている。
 食堂は昼一番の混み合いを過ぎて、がらんどうとまではいかないが疎らに空席のある状態だ。
 つまり、二人は態々此処へ座りに来たという事か、と、守一郎は判断し、膳に向かって手を合わせる二人の先輩を見比べた。

「それで良いとは、どういう意味なんでしょうか」

 見比べて、先ずは勘右衛門の方に問い掛ける。
 焼き魚を解し出した勘右衛門は「いや、ね、」と、片眉を上げた苦笑めいた顔で雷蔵の方を見た。
 雷蔵はそれに対し小さく頷いて、守一郎とタカ丸に目を向ける。

「僕達もついさっきまで保健室に潜んでたんだけど……駄目だね、彼女、気付いている」

「監視されている事を、ですか」

 三木ヱ門が眉を潜め、僅かに詰め寄るように雷蔵を見た。

「ああ、思いっきり隠れている場所を睨んできた時は正直ヒヤッとした」

 勘右衛門の声は軽やかだったが、その表情は声ほど穏当ではなかった。
 守一郎達は顔を見合わせる。
 上級生としてもまだ未熟な自分達ならばともかく、実戦経験豊富な五年生の隠密を見破るとは、

「見たとこ歳も変わらなさそうなのに、ありゃ確かにとんでもない手練れだよ。七松先輩達が沸き立つのも無理は無い気がする」

 勘右衛門はそうまた苦笑めいた笑みを浮かべる。

「という訳でね、隠れるのは無駄かなって思ったんだ。寧ろますます警戒させるだけだ」

 雷蔵もまた、困った様な、思案している様な、微妙な色合いの表情をしている。

「だからこそ、今回の人選かぁ、とも思ったんだよな」

 勘右衛門がそう言えば、雷蔵はまた小さく頷く。
 二人は何かを納得している様だが、守一郎はいまいち理解できない。
 だが、他の同輩達は合点が言ったようだ。感嘆の様な、何処か溜め息の混じる「ああ」と言う声を、三木ヱ門と滝夜叉丸がまたも仲良く声を揃えて溢した。
 何の事やらであったが、滝夜叉丸が「成る程、順忍の法ですね」と言った事で、守一郎も「ああ」と、遅れてではあるが理解した。

「互いに忍者とバレてるし、この場合は陽忍かもな」

 勘右衛門が、そう皮肉めいた口振りで答えた。

 順忍とは、古法十忍がうちのひとつだ。
 臨機応変に、決して相手に逆らわず下手に回り情報を引き出し術を仕掛ける。

「……あの、もしかして…………選ばれているって事は、俺にもその資質があるって事ですか」

 守一郎は思わずそう訪ねていた。
 自分では全くその自覚は無いのだが、そう思われているのだとしたら少し浮き立つ様な気持ちにもなる。
 順忍は、派手な立回りは無いが、最も任務を違えぬ忍だと言われているからだ。
 雷蔵は少し目を瞬き、うーむと唸りながら苦笑する。

「守一郎の場合は、あの人を助けた訳だから、関わり合いを持ちやすいって部分の方が大きいとは思うけどね」

「あ……そうですか」

 少し萎れてしまえば、勘右衛門が小さく笑う。

「でもまあ、この中でだったら順忍向きではあると思うぞ」

 勘右衛門がそう言えば、途端に鼻白んだ顔になる三木ヱ門と滝夜叉丸。
 勘右衛門は更に苦笑を深めて「適材適所だ」と、畳み掛けるように二人に言う。

「あのな、向上心は大いに結構だけど、何でもかんでも身に付けて優秀なら良いってもんでもないぞ。自分の適性を理解する事だって大切だからな」

「そう。その点で考えると、タカ丸さんなんかは正しく順忍向きなんですよ」

「え、俺が?」

 不意に雷蔵にそう言われたタカ丸は、きょとんと目を瞬く。

「髪結い師ってのは情報を集めやすいんです。加えてタカ丸さんの性格を考えますと、まあ選ばれたのは納得ですよ」

「そ、そうなんだ……」

 急に物々しい顔になり、鋏を見下ろすタカ丸に、雷蔵と勘右衛門は顔を見合わせ笑う。

「ああ、ですけどそこまで気負わず、何時も通りに振る舞えば良いと思います」

「そうそう、くの一教室人気ナンバーワンの実力に期待していますよ」

「う、うん。頑張る……!」

 いや、今の話を踏まえると頑張れば逆に失敗しそうなのであるが、と、守一郎は息巻いた表情で鋏と櫛を握り込むタカ丸を見る。

「良く分かんないけど、俺があの子の髪を触りに行くのは問題無いって事だよね。任せといて!」

 だが、そう言っていそいそと髪紐や道具を纏めて懐に入れ出すので、まあ、大丈夫だろうと、守一郎は思った。
 今日の午後からは、彼と守一郎が監視に当たる。

「じゃ、守一郎。行こうか」

「はい。あ……そうだ。あの人は何か食べてますか」

 守一郎の問いに、雷蔵が首を横に振る。

「善法寺先輩が言うには、ほんの一口、粥を啜ったくらいらしい」

「……そうですか、分かりました」

 守一郎はそれに頷いて、タカ丸に「先に行って下さい」と一言、食堂を後にするのだった。

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