さて、月霞むその夜を抜け

□眩む程に目映いものは
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 守一郎は、黒々とした眼を据えたその目でじっと三木ヱ門を見る。
 三木ヱ門の問いを、守一郎は、三木ヱ門が思っている以上に真剣に、深く考えて、然し出て来た答えは単純なものだった。

「分からん」

 その答えに対して、「は?」と呆けた疑問符は二人分あった。
 三木ヱ門の背後で滝夜叉丸がきょとんとした顔をしていて、それは目の前の三木ヱ門とそっくりだ。守一郎はまたも可笑しくて笑いそうになるが、三木ヱ門の表情が段々と剣呑になってきたので、それは何とか我慢した。

「あの人の来し方を信じるか疑うか、それはまだ分からないけど、彼女が、本当に困っている事は分かる。なあ、三木ヱ門。困っている人を助けるのは当たり前の話だろう」

 三木ヱ門の剣呑な目付きに戸惑いのようなものが乗る。
 その『困っている』がはったりではないかというんだーー彼が言いたいのはそういう事かもしれない。
 目が大きくて、綺羅綺羅して良く動くから、表情が良く分かるんだ。と、守一郎はそんな事を思いながら生まれて始めてできた最初の同級生をしっかり見据えた。

「俺一人じゃ出来なかっただろうあの籠城戦を、失敗こそすれ最後までやり遂げれたのは、それで今、此処で学べているのは、俺を助けてくれた人達がいたからだ。オウギさんにも助けてくれる人が必要なんだと思う」

 守一郎は、オウギの瞳を思った。ぬばたまの様に黒々としていたが、三木ヱ門の様に綺羅綺羅とはしていない。井戸の底の様な瞳だった。

「あの人は、俺が連れてきたんだ。だから、きっと、それは俺がするべき事なんだ」

 迷い無くきっぱりと、そう言い切った守一郎はにかっと笑う。
 細めた目が朝日に照らされて煌めいた。三木ヱ門にはそう見えて少し目を眇める。

「初日は学園を案内しようと思うんだ。朝餉は皆で食べよう!じゃあ、また後で」

 守一郎はそう、最後まで明るいまま、長屋を立ち去って行く。見送る三木ヱ門と滝夜叉丸の表情が、物凄く不思議なものを見たかの様なものである事は、振り返らずにずんずんと歩いて行った守一郎は、全く気付かないのである。






 目が覚めても、見覚え無い天井である事は変わらなかった。
 違うのは、今いるのがずっと寝かされていた保健室とやらとは違い、教員長屋と呼ばれる場所の一室である事と、つい先日まで昼夜絶えず感じていた監視の目を今は全く感じない事ぐらいだ。
 彼女、湊川オウギは、新たに宛がわれたその部屋に座して、気配の一つも感じない天井をじっと見上げている。既に身支度を済まし、布団も上げた。
 昨日、制服であると支給された忍び装束が、形も布もマツホドのそれとは変わり無いというのに妙に肌によそよそしく感じる。
 外は漸く白み出したかという頃。部屋から出るべきかと考えもしたが、学園の敷地については全く明るくもなく、先ずは何処に行くべきかも分からない。精々井戸まで行くので精一杯であった。そも、監視の目が離れた様とは言え、余所者である自分が勝手に彷徨くのは障りがある様に思う。

 なのでオウギは、身支度を済ましてからは、約四半刻程もそこでじっとしているのであった。
 然しいい加減、首が疲れてきた。息を吐きながら顔を俯ければ胸元を揺れるものがある。懐に手を入れて、首に下げているそれを確かめる。掌に収まる程の小さな銅鏡は冷たく、指先で撫でればさりりと小さな音を立てた。

 帰らねばなるまい。
 自分は必ず帰らねばなるまい。
 どんなことがあろうと、私はあの方をお守りせねばならなかったのだ。

 何度繰り返したか分からない、焦燥が多分に混じるその内省。荒れ立ちそうな心を鎮める様に、オウギは知らず銅鏡を堅く握り込んだ。縁飾りが掌に食い込む。痛みを覚える程に力を込めても、銅鏡は何時までも冷たい。空いた片手もまた、ひんやりと冷えていた。

 ふと、部屋の外から気配を感じて、オウギは銅鏡から手を離す。

「オウギさん。起きていらっしゃるかしら」

 年老いた、女の声だった。
 少し迷ったが、起きていますと答える。
 ほんの一瞬、間を置いてから部屋の戸が開いた。其処に立つのは声に違わぬ穏やかな見た目をした小柄な姥である。

「おはようございます」

 オウギが指を着いて頭を下げれば、そう構えなくても良いと姥が小さく笑いながら言う。

「おはようございます。改めまして、くのいち教室担当の山本シナと申します」
「シナ……殿…………?」
「先生。で、宜しいですよ」

 山本シナ……。オウギはその名前と、目の前の姿を何度も独り確かめる。
 確かに聞いた名である気がするのだが、最初に会った時と容姿が違うように思う。

「……ああ。この姿でお会いするのは初めてでしたね」

 オウギが怪訝に思っているのが顔に出ていたのだろう。シナが可笑しげに目を細めながらそう言った。お陰で、オウギも漸く合点が行く。

「変姿の術、でございますね」
「ええ。くノ一に年齢はございませんから」

 ほほほ。と笑うシナは、何処からどう見ても以前会った妙齢の美女とは別人だ。かなりの腕前だな。と、オウギは少し息を詰める。
 シナは、そんなオウギの強張った雰囲気等は全く気に止める風でもなく、否、寧ろその雰囲気を崩そうとでもするかの様な、親しげな笑みでぽんと手を打った。

「さて、身支度もお済みの様ですし、食堂までご案内……と思ったのですが、」

 ふと、廊下の方を振り返ったシナは、「あらあら」とまたも可笑しげに目を細めた。

「オウギさんさえ宜しければ、彼にお頼みしましょうか」

 部屋の外にもう一つ気配がある事にオウギは気付いた。
 シナが手招きをすれば、やがて、少し居心地悪げに、然し笑顔で部屋の入り口に立った彼。暫くの己の世話役を申し出ていた青年。

「おはようございます」
「おはようございます……守一郎殿」

 彼女が良く知る面影を持つ彼の笑顔が、朝日を背に、妙に眩しくて、オウギは目を眇めてしまうのだった。

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