さて、月霞むその夜を抜け

□何処かを滑り行く
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 目の端で子どもが転げるのを見て、つい条件反射で立ち上がった事で、守一郎の同輩達の一人、綾部喜八郎という少年の言葉を遮ってしまった。
 その事をオウギが謝罪すれば、先程から変わらない無表情で喜八郎は頭を振るのだった。

「それで、私に聞きたいこと、とは」
「聞きたいというより、文句を言いたいだけですが」
「文句」
「はい、文句です」

 抑揚に乏しい喋り方は、喜八郎の整ってはいるが人形めいたひやりとしたものを感じる顔立ちに良く似合う。
 不躾でつっけんどんな物言いではあるが、顔立ちとの調和のせいかオウギにはそこまで気に触るものを感じなかった。事実、己の存在に物申したい輩は多々いる事は分かっていた事だ。
 気になるとすれば寧ろ直ぐ隣の守一郎の様子で、あから様に此方を気遣う様な眼差しやおろおろとした表情を少し目に止めたオウギはほんの一瞬、苦笑を浮かべるのである。

「あなた最初此処に来たときに学園中を走り回りましたよね」
「ええ、その節はお騒がせを」
「そりゃどうでも良いです。それよりも走り回ったというのに、此方が仕掛けている罠や落とし穴には一つも掛からなかった」
「……はあ」

 オウギの謝罪を食い気味に遮りながら一息に言った喜八郎はちょんと唇を尖らせる。元が整っている分、顔をしかめると随分大胆に崩れたかの様な印象を受ける。

「分かりやすかったですか。見切っていたんですか」
「いえ……偶さかでは、と思いますが」

 あの時の自分には、その様な気を回す余裕には欠けていた様に思う。ただ、経験に基づく勘というものがその時無意識に働いて逃走の内にも器用に避けていたという可能性はある。
 喜八郎のしかめっ面はどう見てもオウギの返答に納得した様子では無かった。オウギは苦笑する。

「……私のお仕えします山城にも、罠は多々仕掛けておりますから、慣れではないでしょうか」

 その答えに、表情を動かしたのは喜八郎ではなく、その向かいに座る二人の少年だった。

 ああ、そうであった。
 彼等には、マツホドはもう無き城であったか。
 此処は七十年先の世。凡そ荒唐無稽な事を、受け入れようとしている己に、何とも言えない気持ちになる。

 まるで、なす術なく川を流れていく枯葉の様な。

 知らず、向かい側の二人の少年をじっと見詰めてしまった様で、二人は罰の悪そうに視線を落とすのだった。

「……あの、」

 だが、二人の内の片方が、意を決した様に顔を上げる。

「その節は、此方こそ申し訳ありませんでした」

 あの不思議な銅筒……『ふぁるかん』というらしい……を繰っていた少年、田村三木ヱ門が頭を下げれば、その肩を髪がさらりと流れた。細く艶やかな髪。そういえば、紹介された守一郎の同輩達とやらは皆やたらと見目が良いのである。

「いえ……此方が不審者でありますれば詮無き事です。それより、あの銅筒はどういった仕組みのものなのでしょうか」

 これは初めて見たものに対する単純な興味だ。オウギはそれを内心自嘲する。そんな事をしている場合では無いのだが、我ながら能天気であると、そう思った。
 そんなオウギを他所に、三木ヱ門はやにわに目を輝かし前のめりに乗り出してきた。

「興味がありますか!?」

 その勢いに気圧されながらも、オウギがぎこちなく頷けば、三木ヱ門は更に嬉しげな顔になる。

「ならば今度、火器をお見せしましょう!この田村三木ヱ門は過激な火器を使わせれば学園で右に出るものはいないのです!」

 そう胸を張る三木ヱ門。すると隣でふんと鼻で笑うもう一人の少年、平滝夜叉丸。

「と、宣っておりますが、全てにおいて優秀なのは此方、平滝夜叉丸であることをお知りおきください」
「は。自惚れも大概にしろ馬鹿夜叉丸」
「私が馬鹿なら、口を開けば火器としか言わないお前は阿呆の一つ覚えだな」
「煩い馬鹿夜叉丸!」
「お前が煩いわ阿呆ヱ門!」

 なんともまあ、かしましいこと。
 目の前でぎゃいぎゃいと言い争いを始めた二人を前に、オウギは呆れた表情を隠せずにいる。
 思わず守一郎に目をやれば、困ったような苦笑が返って来た。

「えっと、まあ、この二人は何時もの事なんで……」
「そうそう。気にしなくても良いよオウギちゃん」

 もだもだと言った守一郎に続いて、此方に微笑みかけたのは斎藤タカ丸。オウギの顔は更に引き釣る。
 舌戦激しい三木ヱ門と滝夜叉丸を隣に置きながらも日向に微睡んでいるかの様にのほほんとしているこの男が、オウギは少々苦手である。

 オウギは小さく息を吐いた。
 辺りを見渡せば、何処を見ても、年頃の近い少年や青年達が談笑しながら食事を取っている。
 食事は暖かで、この場所は、とても賑やかだ。
 目の前の少年二人の激しい言い争いとて、他愛の無いじゃれあいの様に、オウギの目にはそう映る。

 苦手というならば、此処の空気そのものな様に、思う。
 何とも慣れない居心地の悪さに、オウギは食事の残りを大急ぎに口に詰め込み飲み下して席を立つ。

「守一郎殿。事務室とやらへの案内をお頼みできまするか」
「あっ、はい!勿論です!」

 ただ、席を立ったといえ、オウギは一人で何処かへも行けず、守一郎に頼る他無い。

 ああ、本当に、据わりが悪いとはこの事だ。

 守一郎の笑顔を見下ろしながら、オウギはぼんやりとした不快感を噛み締めるのである。

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