さて、月霞むその夜を抜け

□お約束に巻き込まれるお約束
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 さて、老翁を背負い、一年は組の三人組を連れて忍術学園へと帰り着き、事務員小松田秀作の差し出す入門票にサインを書こうとした守一郎は、其処にある名前にぎくりと筆を止めた。

「小松田さん、オウギさんにサインを頂けたんですか」

「うん、ついさっきね。大分元気になったみたいだよぉ」

 入門票に書かれた『湊川オウギ』との一行。やや右上がりの細い字である。守一郎は、それを負うた玄一郎に見せる。

「……似とるな」

 玄一郎の返事に、守一郎は少し息を詰める。
 肩を叩く手に守一郎は老翁を地にそっと下ろした。曲がった背から、ぎろんとした目が守一郎を睨み上げる。

「何を青い顔をしとる。筆跡なんぞ幾らでも真似できるわ」

 玄一郎が言う通りである。
 然しだ、と、守一郎は、玄一郎が入門票に名前を書き込むのを見下ろしながら考える。
 七十年前に滅びた城の、その忍者隊副長を其処までして騙る理由というものが見付からないのである。
 それは恐らく、玄一郎も分かっている。が、確信には至っていない。何にせよ、この老翁は己の目で見たものしか信じない質の男であり、その性質は実のところ守一郎にも引き継がれている。
 故に、守一郎はオウギの存在に疑いを持ち難くなっていた。
 守一郎の目にはオウギの狼狽ぶりや警戒が嘘の様には思えないのである。

「今ねぇ。保健室がすっごい賑やかだよ」

 沈思黙考する守一郎を他所に、秀作は乱太郎達からのサインを貰いながら、ほにゃほにゃとした笑みつきでそう言った。

「賑やか……?」

「うん、あのねえ……」

「小松田君っ!!」

 守一郎の問いに答えようとした秀作であったが、その問いは突如、彼の名を呼ぶ怒気を孕んだ声に遮られる。

「あ、吉野先生ぇ」

 事務主任教諭の吉野作造であった。その騙し絵の様な面妖ながら愛嬌を感じなくもない顔を今は憤怒に歪め、肩を怒らせながら此方へと走ってくる、と思いきやそのまま猫の子にするように秀作の襟首を掴んでずるずると引き摺っていくのである。
 呆気に取られたのは守一郎達もだが、当の秀作も、ほやっと呆けた顔である。

「配布プリントをなんっで全部捨ててしまっているんですか君はっ!!」

「ほへ、お掃除しとこうと思ってぇ。あれいる奴だったんですかあ、すみませぇん……」

 そんなやり取りをしながら、ずりずり引き摺り引き摺られ、二人は去っていくのであった。
 何が賑やかなのかを聞きそびれてしまったと、守一郎がその場にぼんやり突っ立っていれば、くいっと袖を引く手がある。

「取り合えず、保健室に行きましょ」

「え?き、きり丸達も行くのか?」

 袖を引いているきり丸に首を傾げれば、きり丸も、その後ろの乱太郎としんべヱも同じ方向へ首を傾げる。

「駄目なんですか?」

「いや、駄目……というか」

 湊川オウギは今は学園上級生達の要観察対象である。
 彼女が何者であるかの確定が取れない今、下級生達が易々と会うのは問題では無かろうか、会ってはならないという制約は確かに無いのだが……等々守一郎が迷っている内に、

「さあさあ、ひいお爺さん。保健室は此方です」

「段差に気をつけてくださいねぇ」

「学園長先生も後で呼ぼうか」

 三人は、玄一郎を連れてさっさと歩き出しているのであった。

「お、おいおい!」

 慌てて追い掛ける守一郎に、「ほれ、守一郎」と、ひらひらと皺だらけの掌が振られる。

「此処までの交通料」

 守一郎に連れて来て貰いながらの交通料の要求であった。

「「「だあっ!」」」

 再び三人組がずっこける他所で、守一郎は財布を取り出している。

「はい、ひい爺ちゃん」

「だから渡しちゃうんですか!?」

 最早条件反射である。
 『どケチ』のきり丸が玄一郎を見る目にうっすらと尊敬の色が乗り出すのであった。

 そうして、すっかり珍道中の趣になった五人が保健室の近くまで来てみれば、成る程、確かに秀作の言うとおり、廊下へ賑々しい談笑の声が漏れてきている。

「この声って……」

 乱太郎の言葉に、きり丸、しんべヱもうんうんと頷いた。

「一年は組の皆だ」

「え」

 守一郎は呆ける。
 『阿呆のは』と中々に不名誉な通り名を持つ一年は組十一人の子ども達が、何故だか常面倒事や騒動の最前線にいる事は同輩や先輩達から伝え聞いていたし、事実、己が此処にいるのもその彼等の最前線ぶりに端を発するのではあるが、いざ、それを再び目の当たりにするとなるとぎょっとしものを覚えるのである。
 そんな守一郎を他所に、三人組は寧ろ気が楽になったのか、「ただいまぁ」等と呑気に宣いながら保健室の戸を開けるのであった。

「おっ帰りぃ!」

「お土産あるぅ?」

「和尚様は元気だった?」

「しんべヱ、饅頭あるぞぉ」

「かき餅もあるよ」

「守一郎さんも来た!」

「お帰り守一郎。その人がひいお爺さん?」

「ええ?この人がっ!?」

「御年幾つでいらっしゃるんだ。良く山道を連れて来れたなぁ」

「新しくお茶を淹れようか」

「皆、みんな、もう少し静かにね」

 そして戸が開けられれば、いっそ目眩を覚える程の賑やかさに守一郎は飲まれていくのである。

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