さて、月霞むその夜を抜け

□とんだ拾いもの
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 要領を得なかったタカ丸の話を訳すると、凡そ以下のような話になる。

 タカ丸はこの日補習授業であった。それを終えて忍たま長屋へと帰る道中に、彼が最初に見掛けたのは学園正門前庭に立つ事務員小松田秀作である。

「秀ちゃん、どうしたの」

「あ、タカ丸くぅん」

 実家が近所の昔馴染み同士、親しい呼び方で呼べば、向こうも親しげな笑顔を返してくる。
 二人にこにこと立ち並ぶ姿は傍目には良く蒸かした蒸し饅頭がふくふくと並んでいるようだった。

「あのね、浜君がもうすぐ帰って来ると思うから待ってたんだ」

「成る程、此処にいれば直ぐにサイン貰えるもんね」

「そういうことぉ」

「秀ちゃん賢いなあ」

「えへへ。此れでも事務員やってて長いもんね!」

 所謂『ツッコミ不在』のまま進む会話だったが、当の蒸し饅頭達は気にす事もなく、タカ丸は「じゃあ僕も待とうかなあ」などと言って、秀作と並んでぼんやりと正門を眺めるのだった。

「あのねえ、今日はうち、三木ヱ門と守一郎が夕食当番なんだ」

「そうなんだ、二人は料理上手なの?」

「守一郎はどうか知らないけど三木ヱ門は上手いよ。それに今日はすっごい張り切ってた」

「へえ、田村君って本当になんでもできるんだなあ」

「うん。楽しみだなあ」

「あー、僕なんだかお腹空いてきちゃったぁ」

「僕もぉ」

「ふふふ、しんべヱ君みたいだねぇ」

「あはは、ほんとだあ」

 そんな風に、蒸し饅頭らしいのほほんとした談話に二人耽っていれば、やがて、正門の戸がとんとんと叩かれる。

「あれ?お客さん?」

 秀作は首を傾げた。戸の向こうから聞こえた声にタカ丸も首を傾げる。

「あのっ!何方か!?小松田さんとかいませんか!!?」

「守一郎……?」

 戸の向こうから此方へ届く彼等の待ち人、守一郎の大音声。
 二人はキョトンと顔を見合わせ、同じ角度で首をまたも傾げる。

「僕なら此処にいるけど、どうしたのぉ?」

「あっ、開けてくれませんか!今手が離せなくて」

「あ、はいはい……」

 秀作は通用門を開けてその向こうへと顔を出す。その後ろにいるタカ丸は、秀作の「えっ!?」という驚いた声に、何かあったのかと僅かに表情を固くした。
 
「一体どうしたの、浜君」

 驚いた表情の小松田に迎え入れられる様にして通用門を潜った守一郎の様子にタカ丸も「えっ、」と呆けた声を上げた。

「すみません、詳しい説明は後で……あ、タカ丸さん、只今戻りました」

 へこっと頭を下げる守一郎は顔中、身体中を汗で湿らせて肩で息をしている。全速力で走ってきた様に見える彼のその背に担がれているものを見てタカ丸は、『只今』の返事も忘れて目を瞬かせた。

「守一郎。一体、それ……」

「拾ったんです」

「拾った、って、」

 少し出てくると言って、今帰って来た筈の同輩の背には、全身襤褸雑巾の様に草臥れ、血や泥土で汚れた女が担がれているのだ。辛うじて樺茶色に見える女の着物が忍び装束であることはタカ丸にも分かる。

「くノ一じゃないか……」

「はい。とにかく酷い怪我なんで直ぐに保健室に連れていかなくては」

「あっ、ちょっ、ちょっと待って!」

 女を担いだまま歩き出そうとする守一郎の前に秀作が慌てて回り込んだ。

「大丈夫です小松田さん。この人が何処の忍びでもこの怪我では大したことはできない筈です」

 守一郎が秀作の懸念を先回りしたつもりで言った言葉は、多分秀作本人には的を得てはいない気がする、と、タカ丸は秀作の手にある入出門表をちらっと見る。

「違う違う!入門表にサイン!そちらのお姉さんも!」

「出来ると思いますか!?」

 案の定な展開に、タカ丸は薄く苦笑を浮かべる。秀作の方はキョトンと首を傾げ「でもサイン……」と顔をしかめている。普段ならば『小松田さんったら』と苦笑で済ます様なそのお馴染みの態度であるが然し、今の守一郎はそれどころではないらしく、「後でっ!後で必ずしますからっ!!」と捲し立てるや否や、慌ただしく走り去っていく。タカ丸も、それに思わず着いて走り出した。
 きっと此処に到るまでも走ってきたのであろうに、全く緩みを見せないその走りに、タカ丸はなんとかかんとか着いていき、彼が保健室を勢い良く開けるのを廊下の随分離れた場所から見届けたのだった。

 タカ丸が息を整えながら歩いて、保健室へと辿り着けば、保健医の新野洋一と、保健委員会委員長、六年は組の善法寺伊作がその女を畳に寝かせている最中だった。

「一体何処で見つけてきた。あれはどう見てもくノ一じゃねえか」

 そして部屋の片隅で守一郎に詰め寄っているのは、

「あ、潮江君。いたんだ」

 六年い組の潮江文次郎はタカ丸の呑気な声に「いちゃ悪いか」と顔をしかめる。

「いや、そうは言ってないけど珍しいなあって」

「俺とて怪我ぐらいはする、お前ほどじゃないがな」

 上は肩衣だけを身に付けた文次郎の左上腕と手首にはぴっちりと包帯が巻かれていた。

 タカ丸がそれに何と無く目を落としていた、その時だった。

「あっ!?駄目です、何をっ、」

「動いてはいけません!」

 新野と伊作の声が上がったのと同時に、文次郎がタカ丸の視界から消える。いや、違う、後ろへ引き倒されたのだ。
 文次郎を引き倒した女は、そのまま呆気に取られている守一郎の胸ぐらをぐいっと引き摺る様にして、また彼をも床に叩き付ける。

「おま、え、おまえは……何を、し、」

 ガラガラにひしゃげた声が床に肩を押さえ付けられた守一郎に落ちていく。

「おい、女っ!!いきなり何をっ!?」

 女を守一郎から引き離そうとした文次郎は、その女が脇腹へと繰り出した強かな蹴りに、体勢が崩れる。
 間髪いれずに第二撃の蹴りに文次郎は軽く突き飛ばされ、よろけた身体は擦り鉢や鍋等を転がしながら薬棚にぶつかり、上に置かれていた籠やら薬箱やらが音を立て落ちる。
 女は懐に手を入れ、取り出したその手には刺刀(さすが)を構えていた。

「伊作、下がれっ!!」

 文次郎の表情は格段に厳しいものになった。だんと、床を蹴りあげ、向かってきた女の腕を掴み振り回すようにして床へ転がす。
 尚も暴れる女の身体に体重を掛けて押さえ付ける。刺刀の刃が掠めて、文次郎の頬に細く赤い線を引いた。

「ちっ!」

 ダアン、と、強い音を立てながら、女の腕は文次郎に寄って床に縫い付けられた。女は野犬の様な唸り声をあげてもがく。

「おいっ!斎藤!!ボサッとしてねえで誰か呼んで来いっ!」

「あっ、う、うん!!」

 目の前に繰り広げられている光景にただ放心していたタカ丸は、潮江の激に、飛び上がるようにして踵を返し、保健室から走り出したのだった。


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