さて、月霞むその夜を抜け

□予感を孕んだ賑やかさ
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 「今日はオウギさんにお客さんが来ますよ」と、伊作が少しの茶目っ気を入れて言ってみれば、目の前の少女、湊川オウギは胸元の銅鏡を握りしめたまま、怪訝そうに首を傾げた。
 だが、次の瞬間、はっと目を見開き戸の方を見る。近づいてくるのは、賑やかな足音と声。
 今日は少し表情が分かりやすいな。と、オウギを見る伊作の口許には安堵の笑みが浮かんでいた。
 きちんと食事を取るようになってくれたのもあって顔色だって良い。これなら、あの賑やかな一年は組の子ども達に会わせても大丈夫そうだ。
 警戒の色はまだ変わらずある。それでも少しずつ良い方向に向かっているのであれば、保健委員長としては喜ばしい事である。
 そうこうしている内に「スパンッ!」と音を立てて勢い良く戸が開いた。

「オウギさんっ!こんにちはぁ!」
「僕達、一年は組の生徒です!」
「お見舞いに来ました!本とか読まれますか?」
「お菓子を持って来ました!」
「美味しいお茶も」
「僕達のからくりを見てください」
「お花もどうぞ」
「碁とかは打たれますか?双六も持って来たんです!」
「ナメクジは好きですか?」
「「「だあっ!!!」」」

 自分が好きなようにそれぞれ勝手に喋り出す。伊作にはもう慣れたお馴染みの光景だったが、オウギはぎょっと目を見開き固まってしまっている。
 その姿が今までに無く年相応の、己と変わらぬ齢十四の少女めいていたものだから、伊作はつい噴き出してしまった。

「はいはい、君達。オウギさんが驚いてるから、独りずつね」

 笑いながら、身体を硬く身構えているオウギと、目をキラキラとさせながら詰め寄らんばかりな勢いの八人の子供達の間に入る。

「あ、起きてますかぁ」

 するとまたも客人だ。
 事務員、小松田秀作がほにゃほにゃとした笑みを浮かべながら反してその笑みにそぐわぬ強引な足取りで一年は組八人や伊作まで押し退ける様な勢いでオウギの前へ近づき入門表を差し出してきた。

「えーっとですねぇ。此処にお名前を書いてください」

「は、い……」

 目を白黒とさせながらもオウギは渡された筆で、秀作に促されるままにそこに名を書いた。
 やや細い線で右上がりの癖がある様な字はそれでも書き慣れている様な雰囲気がして、一先ず彼女はある程度の読み書きができる人間らしいと、伊作は入門表を密かに盗み見て思った。

「はい。じゃあ、お帰りの際は出門表にサインしてくださいねぇ。お邪魔しましたぁ」

 へっぽこ事務員、我が道を行く。
 名前が書かれた入門表を手に、来た時と同じ様にすたすたと立ち去っていくのだった。傍若無人とまでは言えないのは当人に全く悪気が無いことと何時も朗らかな愛嬌の為だ。端的に言えば人徳という奴である。
 そして、今回に限っては間も良かった様だ。お陰で一年は組の子ども達は少し勢いが削がれ、オウギらオウギで少し毒気が抜かれたように見えた。

「……あなた方は、前に一度お会いしましたね」

 オウギから彼等に話し掛けた。
 これは伊作には予想外だったが、少し驚いている伊作を他所に、八人の子どもらはパアッと顔を輝かせる。

「はい!僕達、オウギさんが目を覚ましたときに保健室に来ました」

「ええ、そうでしたね。あの時は驚かせる様な事をしてすみませんでした。改めて、湊川オウギと申します」

 オウギの様子にはまだ硬さはあったが、伊作と話をしている時の非ではない。相手が子どもだから気を許しているのか、それとも、

「いえ、あの先輩方と一騎討ちされるなんて凄いなとは思いましたが……僕は学級委員長の黒木庄左ヱ門です」

 そう自己紹介した庄左ヱ門がてきぱきと広げ出すのは茶の湯道具だ。まさか此処で茶を点て始めるつもりかと伊作は苦笑する。

「二郭伊助です。顔色が前より良くなりましたね。お菓子も持って来たので良かったらお茶にしませんか?」

 庄左ヱ門に続いた伊助は、もともとこざっぱりとさせてある部屋の中の僅かな散らかりをささっと整えた上で持参してきた花器に花を入れて程よい場所に据えなどしている。
 そこからはもう我も我もと、自己紹介と、己が持って来たものを披露し出す子ども達は、秀作に負けず劣らずといった所である。

「夢前三治郎です。僕と兵ちゃんが作ったからくりを見てください」
「笹山兵太夫です。これ、三ちゃんの発案で作った奴で、鼓を打つ人形なんです。可愛いでしょ」
「あの、図書室から幾つか本を借りてきたんです。お読みになるか分からなかったけど暇潰しになるかと……あっ、皆本金吾といいます」
「山村喜三太でぇす。ナメクジさんも挨拶ぅ。綱渡りだって出来るんですよぉ」
「加藤団蔵でっす!双六やってみませんか?」
「佐武虎若です!碁とかも持って来たんですがどうですか!?」

 再び、弾けんばかりの賑やかさに、オウギはどうするだろうかと様子を伺った伊作はまた少し驚いた。

「色々とお気遣いありがとうございます」

 殆ど初めて見る微笑みを浮かべたオウギは、どうやら、子ども好きなのかもしれない。
 少なくとも、張り詰めた緊張感が薄くなっているのが分かる。
 良い傾向だ。と、伊作は独り笑い、天井裏に矢羽根を飛ばす。
 それから暫くの後、戸の前に佇む二人の気配。

「うわあ、なんだか大所帯だな此処は……ほら庄ちゃん。差し入れにかき餅」

「僕達もお邪魔して良いかな?」

 つい先程まで監視役に潜んでいた五年生の二人、い組の尾浜勘右衛門とろ組の不破雷蔵は、にこやかに一年は組の輪の中へ入りながらもちらりと伊作に目を向ける。

(今はこの方が良いよ)

 と、伊作は彼等に矢羽根を返した。
 色々な意味が含まれているそれに、二人の後輩はまた一瞬戸惑った顔をしたが、それ以上は追求も反論も無い。

 オウギは恐らく、矢羽根が交わされたのには気付いた。また少し、僅かに緊張感を帯びだしたが、側に座って一生懸命話し掛けている子ども達の頭を撫でる手付きは何処までも優しい。

 今日、四年ろ組の浜守一郎が、彼の曾祖父を、かつてのマツホド忍者の老翁を此処に連れてくる筈だ。
 それが、吉と出るか凶と出るかは未だ分からないが、子ども達に囲まれたオウギの柔らかな、そして何処か寂しげな笑みを見ていると、どうか良い展開となって欲しいと、忍らしからぬ優しさで、伊作はそう願ってしまうのである。


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