さて、月霞むその夜を抜け

□道
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 そうして、伊作を先導に学園長先生の庵へと向かうのはオウギと守一郎、我も我もとぞろぞろ着いてきた一年は組の十一名、そして、何となく退散の機を逃した風に所在無げにも、確信犯的にも見える五年い組の尾浜勘右衛門にろ組の不破雷蔵。
「こりゃまた大所帯じゃの」と学園長、大川平次渦正が、どやどやと部屋の内に入ってきた彼等に開口一番に言ったのも尤もな話である。

「して、オウギ殿。どうされた」

 渦正が問う。
 声色は穏やかだが、オウギを見る目には僅かな狼狽がある様に見えた。
 オウギは静かに渦正の前へ腰を下ろした。守一郎は、その隣に座る。残りの者達はその少し後ろに座った。

「お願いに来ました」
「おぬしには聞いとらん」

 渦正は、片目で睨むように守一郎を見た。少し首を竦めた守一郎の隣でオウギが手を着き頭を下げる。

「斯様に不可解な身の上ではございますが、暫く此方にご厄介になる他無いと思い至り改めてご挨拶に参りました」

「うむ。儂も最初からそなたを拾うつもりではござった。そう構えずとも良い」

 顔を上げてくれ。と、渦正の声にオウギが従えば、渦正は僅かに身動ぎする。それは本当にあまりにも僅かな後退で本人ですら無意識であったかもしれないが、守一郎にはそれが妙に目に焼き付いた。やはりそこにあるのは戸惑いと狼狽の様に思う。隣のオウギからもまた、それを感じる。
 然し、渦正の場合は、次の瞬間、深々と息を吐いたと共にどっしりと覚悟を決めた様な、あの何時もの計り知れない雰囲気を纏い出す。

「まこと、そなたが過去より来たのであれば、来た道があるのであれば、戻る道とてまたあろう」と、渦正は言った。

「ええ」と、オウギは頷いた。

「私は、戻らねばなりません」

 何かを言い聞かせる様な物言いに、守一郎には聞こえた。







 不寝番であったオウギは、六つ半を過ぎて辺りがすっかり明るくなってもまだ戻っては来なかった。
 玄一郎(げんいちろう)が言うには裏森の沢に寄っているそうである。

「見に行くのは自由だが、オウギは嫌がるぞ」
「行かぬ」
 
 へらりと笑う玄一郎に渦正は、鼻白むものを覚えた。玄一郎の笑いが下卑て見えたからか、それとも玄一郎の声色にオウギとの繋がりの深さを見て取ったからか。
 そうこうしている内に、オウギが帰って来たのは、玄一郎と渦正が畑仕事に勤しんで、もとい渦正が玄一郎にこき使われて野良仕事をしている所にであった。
 裏森の方からふらりふらりと野道を歩いてくるオウギの顔は幽鬼の様に白く、渦正は思わずぎょっとしてゆっくり近付いてくるその顔を見つめる。此方をきろんと見たオウギの目。少女らしい艶のあるぬばたまのその下には薄く隈が渡っている。髪が僅かに濡れていた。

「何人だ」と、玄一郎がオウギに聞いた。

「五人」と、オウギが答えた。

「二人は此処を去った。一人は、多分息が無い。残る二人も、もう駄目だな。使えない」

 オウギは白い顔で呟く様に言う。捨て鉢な響きであった。

「同士討ちなどして何になる」
「俺に言うな。先の隊長が決めてお前が呑んだ事だろう」
「玄一郎殿が隊長になれば事は納まる」
「その時が来たら俺はお前の腕一本か目ん玉一つを取らにゃなるまい」

 オウギは薄く笑った。笑うより他に無いといった表情に渦正には見えた。
 風が吹く。
 オウギから、微かに血の匂いがする。

「マツホドは……このままでは」
「寝言を聞く暇は無いぞオウギ」

 オウギは口を閉じた。
 俯いて、小さく息を吐き、顔を撫でる。
 それからまたふらふらと歩き出した。

「昼九つには起こしてやる。奥を使え」

 と、玄一郎がその背に声を掛ける。
 オウギは曖昧に頷いて歩き去っていく。

「あいつぁ見た目よりは芯が太くできてる」

 そう玄一郎は渦正に言った。
 それでも渦正にはその背中が今にも風に浚われて消え去りそうに見えて目が離せない。

「あれは、弱くない」

 渦正の肩を玄一郎が掴んだ。
 振り返って見た玄一郎の顔は酷く難しげであった。

「下手に踏み込むんじゃねえぞ」

 後にも先にも、玄一郎がその様な忠告めいた事を言ったのはこの時の一回のみであった。

 だが、渦正はその言葉を後に幾度も振り返り考える事になる。

 遠くなったオウギの後ろ姿は、玄一郎の家へと入っていく。
 辺りにはまだ微かに血の匂いがする様な、そんな気がした。


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