花と嵐

□日が昇れば月は沈む
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 高坂陣内左衛門は強かに床を叩いた。直情的な気のある彼らしい行動ではあったが、そこには忍としての冷静な演出がある。
 だが、眼前に座る主は、その演出の狙いであった威圧など効く筈もなく、すんと鼻を鳴らしたのみであった。

「なんだ、陣内左衛門。羽虫でもおったか」

 そうぞんざいに言い放った黄昏時城主が息女、凪雅に高坂の眉間には深い皺がまた一本と刻まれた。

「お戯れを申しますな凪姫様。私が憤る理由など既に分かっておられでしょう」

 元服して男の名を貰っていようとも、高坂は尚も皮肉を籠めて彼女を『姫』と呼ぶ。凪雅は呆れた様に野太い眉を片方ひくりと震わせるのであった。

「組頭が我々を兄弟と偽れと申し上げましたのに、何故、二日と待たずして凪姫様の身の上が生徒方に知られておるのですか」

 陣内左衛門は此の部屋まで至る途中、何やら気安だてな生徒に「姫様なら部屋にいますよ」と言われ、作り込んでいた兄の面を霰もなく崩されていたのである。
 満面の笑みを浮かべたその生徒はあっという間に何処ぞへと走り去ってしまったので、陣内左衛門は取り繕う間も与えられなかった。其処からの、この渋面だ。
 凪雅が姫であることを知るのは、此所では学園長大川平次渦正と、ごく一部の教師だけである筈だったのだ。
 その大川平次渦正ですら、「ああ、どうやら五年生のあの六名は知らされとるらしいな」等とけろりとした風情で言うものであるから陣内左衛門の渋面は一向に崩れる事が無いのである。

「儂が言うたからな。と言っても同学年の数名にしか言うとらん」

 加えて、当の凪雅も、悪びれる様子は塵とも無く、陣内左衛門の苛立ちは益々募るばかりであった。

「組頭の御意向を蔑ろになさいますな」

「雑渡は判断を任せるというたぞ」

「組頭がそうした方が良いと言うたのです。やむを得ず暴かれるのは致し方無いという意味で御座りまする。何故、組頭の深い御意向を軽んじられますのか」

「組頭、組頭、組頭、組頭……か、」

 凪雅はこれ見よがしな溜息を吐く。

「陣内左衛門。お前は雑渡が仮に太陽は西から昇ると宣えばそれを信じそうだな」

「お言葉を改めくださいませ。組頭は斯様な阿呆を申す方では御座いません!」

 今度は凪雅が床を強かに叩くのであった。

 一拍遅れて、部屋の戸ががらりと開いた。
 其処に立つのは凪雅と同じ年頃の美少年。女雛の様に白く整った顔をしかめている。

「ちょっと凪雅。さっきからバンバン煩い」

「ああ、すまない孫兵。駄犬の躾中でな」

 心底迷惑気に凪雅と陣内左衛門を見比べた五年い組の伊賀崎孫兵は肩に巻き付いている赤茶の蛇の鱗を撫でる。

「出来るだけ静かにやってくれないかな。ジュンコ達が驚くから」

「善処しよう」

 凪雅がそう答えれば部屋の戸は閉まり、孫兵は立ち去る。
 陣内左衛門は唖然としたものを顔に浮かべながら閉まった戸を見て、それから凪雅を見る。

「どうした」

「どうしたも何も、仮にも一国の姫に対する口振りと態度ですか、あれが」

「孫兵は儂の家臣でなく学友なのだから当たり前だろう。口振りだけは丁寧なお前よりは余程マシじゃ」

 さて、と凪雅は膝を組み直し、唇を引き結んだ陣内左衛門を見返す。

「言葉を改めよと言われたので、改めてやろう。阿呆はお前じゃ、陣内左衛門」

 陣内左衛門は押し黙り、凪雅を睨み返した。

「組頭が、組頭がと宣うが、儂の懐刀は雑渡では無い、お前だ。」

 お前は不本意であろうがな、と凪雅は口許を歪める。

「儂に意見するのであればお前の言葉で喋れ。お前は何故、儂の身の上を隠すべきだと存ずる」

 陣内左衛門は深々と溜息を吐く。 
 忌々しさと悔しさがない交ぜになった唸りの様な息であった。

「では、申し上げまする」

 陣内左衛門は吐き切った息を短く吸い口火を切った。

「我々は、凪姫様の忍術学園御編入を黄昏家の跡目争いであると思わせる必要があるのです」

 凪雅の表情がひくりと動いた。

「父上が世継ぎである儂を黄昏時から追い出した、という事か」

「ええ、そうです」

「……それは誰に対してのはったりじゃ。国衆か……否、それだけではないな」

「流石、御察しが早い」

 陣内左衛門は目に力を籠めて頷いた。

「勿論、一つは黄昏時において反乱の機会を狙う輩を欺くために御座います。嫡子である凪姫様と殿が不仲とあれば援軍は望めぬと奴等は考え油断する。其処を叩きのめす事が狙いです」

「小夜川衆か」

 黄昏時は現当主たる黄昏甚兵衛が国衆豪族を抑え付け、今は概ね平定の内にある。
 が、其処に例外が一つ。
 黄昏時の東の外れ、小夜川上流に点在する豪族達の勢力が今も尚、黄昏家に蜂起し小競り合いを繰り返しているのである。
 この小夜川衆が黄昏家においては目下の所目の上の瘤であり、世継ぎである鷹千代丸が生まれた今、早々に解決しておきたい問題の一つであった。

「小夜川は学園からも近い、儂は向こうの格好の餌じゃな」

「然し、学園の存在は奴等にとって充分な牽制となり得ます。今は此方も兵力を蓄え、戦う好機としては翌年の春、田植え前の三月の内が宜しいでしょう。有明城の有明常久殿が手足となってくださります」

 凪雅は脳裏の内に、その黄昏家が家臣、有明常久を思い起こす。忠義に厚く武の立つ男であったと記憶している。
 そして有明城。これまた黄昏時の東に位置するこの城は先の内乱にて一度落とされたのではあるが、当時の城主の嫡男であった常久が後に此れを奪還、再建し、家の汚名を灌いだのである。
 故に、有明常久は、黄昏家中で最も若輩ながら、一番の遣り手として恐れられてもいた。

「分かった。有明常久には一度会っておこう、で、もう一つの相手は、」

 陣内左衛門は軽く目を伏せ、一瞬思案する。だが、その目線は再び持ち上がり、意を決したとばかり唇が開いた。

「欺くべきもう一方は、黄昏家中におわします」

 凪雅の表情は動かなかった。ただ「そうか」と、短く、静かに答えたのであった。そして、

「結局は『跡目争い』という事か」

 と、一笑する。皮肉に満ちた笑いであった。
 それから凪雅は静かに立ち上がり、部屋の戸を僅に開ける。

 部屋には春の日差しが射し込み、その眩しさに陣内左衛門はふっと目を細める。

「兵は詐を以て立つ。良いだろう。そのはったり、乗ってやる」

 凪雅の空気を切り裂くような背に陣内左衛門は軽く頭を下げた。

「御理解頂けた様で幸いです」

「同輩達には固く口止めして、これ以降は儂の身の上は明かさぬ。それで良いな陣内左衛門……否、」

 凪雅は此方を振り返り、にやりと口許を歪めた。

「兄上、と、呼ぼうか」

「…………お戯れを」

 陣内左衛門のあからさまなげんなりぶりに、凪雅はくつくつと笑いを溢すのであった。



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