花と嵐
□朝の一景
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「手裏剣が投げれない」
朝のざわめく食堂にて、五年は組の浦風藤内は、難しげな表情でそう言った。
「投げれはする。的に届かないだけだ」
藤内の向かい側で答えたのは、この春にい組に来た噂の編入生、高坂凪雅である。
「それは、投げれない内に入るよ凪雅」
藤内の隣でそうあっさりと切り捨てるように言ったのは同じくい組の伊賀崎孫兵だ。
あっさりと切り捨てながらも、打つものである手裏剣を、『投げれない』と矢鱈に強調してきた孫兵の皮肉に藤内はひやりとしたものを感じ、凪雅と孫兵をちろちろと見比べる。すると、凪雅が座る側の末席にいる五年ろ組の富松作兵衛と視線がかちあった。
どうやら彼も同じ事を思っていると、その表情から察した藤内は小さく苦笑する。
「そうか」
だが、当の凪雅は孫兵の言葉を気に止める様子もなく、静かに汁を啜っているのみだった為に、藤内と作兵衛は内心胸を撫で下ろしたのだった。孫兵も孫兵で、皮肉が通じなかろうが別段気に障る様子もない。そも孫兵は人当たりが厳しい反面、他人への興味の幅というものが狭い質なのだ。
そんな彼等の学友として、何て事無く共に食事を取っているこの凪雅。
『黄昏時忍軍の高坂陣内左衛門の弟』として衆知されているが、しかしてその本当は、黄昏時城が主、黄昏甚兵衛の嫡子である。
重ねて、若君ではなく、若君として育てられた姫君であった。
このとんでもない様な身の上を聞かされたのは藤内達五年生の仲間内六人。そして、今は諸々の事情によりその身の上は他言無用と口止めをされている。
生来真面目な質の藤内にしてみれば、表向きは同輩であるとはいえ、一国一城の姫にそうそう気安げにできそうにもないのだが、そしてそれは恐らく、同じく真面目に加えて心配性の気のある作兵衛も同じなのだろうが、彼等以外の輩達は皆、凪雅の『儂は男で、お前らの学友であると思って接して欲しい』という頼みを素直に真に受けている様であった。
「ああ、だから指を少し切ってるのか」
藤内のもう一方の隣で、藤内と同級の三反田数馬が少し身を乗り出すようにして凪雅の手元を覗き込んだ。
「大事ないぞ」
凪雅は手をひらひらと振るが、保健委員会委員長代理たる数馬は顔をしかめて頭を横に振る。
「いや、小さな傷でも化膿すると厄介だからね。これつけときなよ、返さなくて良いから」
数馬は懐から軟膏の入った蛤を凪雅に差し出す。「かたじけない」とそれを受け取った凪雅の隣で、くくっと小さく笑う声がする。
「なんだ、三之助」
凪雅の、獅子を思わせるぎろりとした一瞥にも、然して構える様子もないろ組の次屋三之助は「だってさあ、」とへらりへらりと笑う。
「その御武家みたいな喋り方、やっぱ、すっげー浮いてるんだもん」
「そうか?僕は格好良いと思うぞ」
凪雅のもう一方の隣で、にぱりと人懐っこそうに笑うのは同じくろ組の神崎左門。
凪雅は何が『格好良い』のかは皆目分からなかったが、『浮いてる』というのは納得するものがあり、すんと鼻を鳴らした。
「気を付けはするが……慣れた口調からはどうも離れがたい」
「いや、別に無理に変えなくても良いけどね」
そう適当な雰囲気たっぷりに宣う三之助の気の抜けた笑みに、凪雅は釣られるように小さく笑った。
「……今朝も、口調については言われたな」
「先生にか?」
左門の問いに違うとゆるく首を振った凪雅は、「確か……」と今朝方の出来事を反芻する。
「田村、三木ヱ門殿、といったか」
その名前に数名が「うげっ」と顔をしかめる。
「朝からあの口煩いのに掴まるとか、凪雅は数馬並みについてないね」
「孫兵、それどういう意味」
「大丈夫かぁ?ユリ子がどーたらとか言われてない?」
「学園のアイドルがとか、」
凪雅は銘々の反応にきょとんと目を瞬かせる。
「……静かな方だったぞ。それに親切な方でもあった」
「静か」
「親切」
「あの田村先輩が」
三之助、孫兵、藤内、作兵衛、数馬は信じられないとでも言いたげに目を剥いている。唯一、左門は少し不満げに口を尖らせていた。
「お前ら寄ってたかってうちの委員長を悪く言うな。静かというのは認めがたいけど田村先輩は親切……だとは、思うぞ……時々」
「おい、しどろもどろかよ決断力はどうした」
作兵衛の指摘に三之助はけらけらと楽しげに笑う。
その時に、「あ、」と小さな声を立てたのは藤内で、それはそのけらけらと笑っている三之助の背後に近付いてきた人物に起因する。
「悪かったなあ。口煩く不親切、でっ!」
「あでっ!?」
ぱしんと軽い音を立てて、件の田村三木ヱ門が三之助の頭を叩くのだった。
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