花と嵐

□日向差せば影もできる
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 嵐の一過の様だったな、と、作兵衛はその場に突っ立つ凪雅の隣へと所在投げに立つ。
 ぎろんとした眼が作兵衛を見た。

「あー……っと、大丈夫、か」

「大事無い」

 素っ気の無い返しであった。
 それは、心配性でもあり『気にしぃ』でもある作兵衛をもごもごとさせるのに充分な素っ気無さである。

「その、悪かったよ。偶々見かけたから、邪魔するつもりは、なくてだな」

 何時ものポンポンとした歯切れの良い口調が成りを潜めている。 
 凪雅はまた少し片目をすがめると、「何を謝る」と返してきた。

「謝ることは何もないであろう。寧ろ、調度良かった」

 凪雅はそう言ってふっと首を巡らせる。「まだ動けたか」と呟くや否や直ぐ側の植え込みの前にしゃがみこむ。

「何分、早々にあの阿呆共は退散させたかったから、な」

 先程の容赦無い拳を突き出した手と同じものとは思えない程にそっとした手付きで植え込みの下に腕を差し込み、ゆっくりと其処から取り出したものは一匹の烏猫だった。
 凪雅は徐に頭巾を外しその傷だらけに弱りきった小さな生き物を包んで抱え直す。

「まさか、此れあいつらが」

 作兵衛の問いに凪雅が頷きを返した。「脚が一本折られておるんじゃ」と呟いたその表情は静かそのものだったが、声は氷の冷たさだった。

「下卑た笑いが聞こえてきてな。何事かと思えば、此れを的にして手裏剣やらを投げておった」

 話しながら凪雅はスタスタと歩き始めたので、作兵衛も篭を手に取り慌てて追いかける。

「弱いものを嬲るなと咎めれば、編入生が口を出すなと宣う。何故編入生が口を出してはならぬと問えば、生意気だと宣う。どう生意気なのだと問えば……あの様な阿呆の無駄吠えをまともに聞こうとした儂こそ阿呆じゃった」

 作兵衛は凪雅の表情を覗き見る。
 凪雅は口許を軽く歪めている。獣が唸っている様な表情だが、恐らくは苦笑の表情なのだろう。

「……悪い」

 作兵衛がそう絞り出すような声で言えば、凪雅はふと立ち止まり、目をすがめた。

「先程もだが、何故作兵衛が謝るのだ」

「いや、なんつーかよ……」

 作兵衛な普段から寄りがちな眉間の皺を深くして嘆息する。

「ああいう奴等、いるんだ。色々と上手くいかねえ事の鬱憤晴らしっていうんかな」

 上級生になれば、単なる行儀見習いや奉公とは違ってくる。
 楽しいだけでは無い、現実が見えてくるのだ。他者との優劣や己の居たらなさに囚われたり、忍の生き方に不安を覚えて脱落し、学園を去っていった背中を作兵衛は此れまで、幾度も見送って来た。

「上手くいかぬのは、己のせいだろう」

 凪雅の端的な言葉に、作兵衛は苦笑する。

「向かぬのであれば違う道を探せば良い、それも叶わぬなら、貫くしかない」

「……皆、あんたみてぇに考えれたら良いんだけどなぁ」

 言ってから、しまったと、作兵衛は思う。
 凪雅の視線が痛い様に感じて、空を見上げた。
 春らしい、薄青の、明るくのどかな空だった。
 作兵衛には、去っていった背中達の痛みも分かってしまう気がするのだ。

 かそけき声がした。
 凪雅の腕の中、頭巾に包まれた烏猫が鳴いた。
 小さな、今にも消えそうなその声であったが、「おお、」と、凪雅と作兵衛は僅かに沸き立つ。

「鳴いたな」

「嗚呼、鳴いた」

 凪雅は烏猫を見下ろして笑う。
 獣じみたそれではなく、随分と柔らかで無邪気な笑みだった。

「良し良し、頑張れ。元気になったらこの凪がお前に名前をやろう」

 そう優しげな声で言う凪雅を見ながら、作兵衛は先程の彼女の言葉を振り返る。

 違う道を探すのが叶わぬならば貫くしかない。

 もしかしたら、それは彼女が、自身にこそ言い聞かせたものだったのではないか、と、作兵衛は凡そ女と見るには勇ましさの過ぎる横顔をした、黄昏時の姫武将を見る。

「ところで、何処に行くつもりなんだ」

「孫兵ならこやつの手当てくらいできるかと」

「お、奇遇だな。俺も調度行くところだった」

 身分の高い彼女に、そうそう気安だてにはできぬと思っていた作兵衛であったが、何時の間にやら肩を並べて歩いている。
 やはりこいつは人たらしだなと、作兵衛は先日の食堂の光景を思いだして、表情を緩める。

「しかし、孫兵は毒持ちじゃないと興味薄いからなあ」

「では、世にも珍しい毒猫だとでも言うておこう」

 さらっと、そう宣った凪雅に作兵衛が笑えば、烏猫はまたかそけき声で鳴くのだった。


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