花と嵐

□手折れる花も無し
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「お前は儂が呼びもしないのにまめまめしく顔を出すのだな、陣内左衛門」

 黄昏時忍軍狼隊小頭、高坂陣内左衛門は、耳を掠めた不本意な言葉よりも先に、降り立った先の、部屋にあるものに目を潜めた。

「凪姫様、外では鴬が鳴いておりますよ」

 そう陣内左衛門に言われた人物は、凡そ『姫』と呼ばわれる様な容姿はしていない。
 褐色の肌に頑健そうな体つき。ぎろりと釣り上がった眼に野太い眉、低めの鼻にへの字口。荒々しい唐獅子の様なその姿。
 陣内左衛門の主、黄昏時城主が息女にして黒髪を結うた姫武将。
黄昏凪雅は、袖を捲り剥き出しの肩をぼりぼりと掻いた。

「孫兵が冷やすとようないと言うたからの」

 忍術学園での、凪雅が編入生として仮住まいする部屋の隅には火鉢が鎮座している。その直ぐ側には布が押し込まれた小さな木箱。

「……猫の子を拾われるとは、珍しくも姫らしい事をなさいましたね」

 その木箱の中に蠢くものを見た陣内左衛門は微かに目を瞬き、不敬な事を悪気もなく言うのだった。

「拾うたのではない、悪漢から救いだしたのじゃ」

 そう凪雅が答えれば、木箱の中で小さな烏猫がかそけき声で鳴くのである。それに被さる、陣内左衛門の微かな嘆息。

「君子は弱き者に無闇に手は上げぬものです」

「なんだ。知っておったか」

 凪雅の口の端が微かに歪む。

「他者へ無闇に暴挙を振るう者は、己もその暴挙を振るわれる覚悟が無ければの」

 凪雅は一瞬、木箱に目をやると、再び陣内左衛門に目を戻す。

「して、何用じゃ」

「有明常久殿より文を預かって参りました」

「うむ、思うたより返事が早いな」

 陣内左衛門から受け取った文を凪雅は開き、目を落とす。

「…………慧照寺での謁見を求めてきおった」

 凪雅が口に出した内容に、陣内左衛門の眉がひくりと動く。

「行かれるのですか」

「ああ」

 陣内左衛門は更に眉を潜めた。それを見た凪雅は先程よりも可笑しげに口許を歪める。

「なんじゃ。何か言いたい事があるなら言うてみよ」

 文をぞんざいに床に落とした凪雅が陣内左衛門に問う。

「では申し上げますが、凪姫様は黄昏家の嫡子。そして有明常久殿は家臣が一人に御座いますれば、彼方が参るのが道理。それを何故態々、姫様が黄昏領にまで戻って謁見せねばなりませんのか」

 凪雅は、陣内左衛門の言葉にまた顔を歪めつつ鼻をすんと鳴らした。

「道理は、な……大方、おぬしの様な考えなのだろう」

「私の、」

「誰が好んで斯様な貧乏籤など掴むものかと、な」

 陣内左衛門は返す言葉を無くす。

 嫡子として異例の元服をすることが叶ったとはいえ、嫡男鷹千代丸がいる限り、凪雅に、然したる後ろ楯も無いこの姫に遣える事は道無き藪を闇雲に進むようなものなのだ。
 陣内左衛門がそれに暗澹たるものを感じているのも事実であり、雑渡昆奈門の指示でなければ、直ぐにでも見限るだろうとさえ思っていた。
 その心情を、凪雅が見抜いていた事は気付いていたが、いざ、こうして口に出されると陣内左衛門は一抹の動揺を覚えるのである。

 凪雅は、紙と硯を取り出し、文を書き付け出す。

「まあ、良かろう。儂をおなごと思うて値踏みするのであれば好きにすれば良い」

 そうこうする内に書き終えたものを折り畳み、陣内左衛門に差し出してきた。
 然したる後ろ楯が無い、故に、有明常久はどうあっても此方へ取り入れねばならない。

「畏ればせながら、」

 陣内左衛門は文を受け取りながら、口を開く。

「凪姫様を見て、頼り無きおなごと思う者はそうそうおられませんでしょう」

 凪雅は陣内左衛門をじろりと見る。

「陣内左衛門、おぬしは儂を励ましておるつもりか」

「おや、しょげておられるのですか」

「そう見えるかの」

「いいえ」

 間髪入れぬ陣内左衛門の答えに凪雅は小さく声を立てて笑うのだった。

「さ、文を渡したぞ。とっとと常久めに渡して来てくだされませ、追従下手の兄上様よ」

 と、冗談めかして笑いの混じった声でしっしっと手を振る凪雅に対して、陣内左衛門は表情をひとつも動かすことなく、「今ひとつ」と姿勢を正す。

「先生方より伺いましたが、明日は組手の授業が御座いますとか」

「ああ、それがどうした」

「必ず、姫様の御事情を知る生徒と組まれますよう」

 微かに前に傾き、念を押すように陣内左衛門は言った。
 凪雅はきょとんと目を瞬いた後、「なんだ、その事か」と呟いた。

「心配せんでも儂の乳は薄いし晒をきつく巻いとるから掴まれてもばれんとは思うぞ」

 見るか、と襟元をはだけ掛けた凪雅の腕を陣内左衛門はむんずと掴む。

「そういうことを言っておるのではありません」

 溜め息を吐きながら疲れた声で言う陣内左衛門は、凪雅が尚も不思議そうな顔で見てくるものであるからまたもや溜め息が出るのであった。

「凪姫様。おなごの身体は男とは違うのです」

「儂は相撲は得意だぞ」

「相撲と組手は違いまする」

 陣内左衛門は凪雅の手を掴む手に力を込めた。

「もう一度、申し上げます。明日の組手は、姫様の御事情を知る生徒とお組みください」

 凪雅はひくりと眉を動かし、腕を振った。それに合わせて陣内左衛門は手を離す。

「凪姫様は、勝負を掛けられると何が何でも答えようとなさいます。負けん気の強さは良いところでもありますが……時には身を滅ぼしましょう」

「勝てぬ戦いはするなと申すか」

「そうです、たかが、組手で御座います」

 陣内左衛門は凪雅の射抜くような視線を真っ向から受けとめた。
 やがて、凪雅はすんと鼻を鳴らす。

「おぬしの言いたいことは分かった」

 下がれと、再び手を振った凪雅に、陣内左衛門は一礼し、天井裏へと飛びずさる。

 あれは絶対、分かってなどいない。
 『負けん気の強さが良いところ』等と心にも無い事を言ってしまった。
 あの気性の強さは、毒にしかならないだろうに。

 そう、胸中で忌々しく歯噛みしながら文を懐へ納め直し、音も無くその場から去るのであった。

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