花と嵐

□手折れる花も無し
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 さて、陣内左衛門が凪雅の自室を後にした頃。
 その部屋の三軒隣、富松作兵衛の部屋に部屋の主である作兵衛を含めた六人が集結していた。

「……作ちゃん、流石に心配しすぎでない」

 次屋三之助が作兵衛を『作ちゃん』と呼ぶときは、大概に置いて親しみを素地にした幾ばくかの揶揄が隠っている。それを存じている作兵衛はじろりと三之助を睨んだ。

「いや、駄目だ。絶対、この間の奴等が凪雅に仕掛けてくるに決まっている」

 作兵衛の言う『この間の奴等』とは、数日前、件の凪雅の自室で今はぬくぬくと眠る猫をいたぶっていた三名の生徒である。内一人は凪雅に容赦無く鼻柱をへし折られていた。
 作兵衛の懸念は、明日の組手の授業においての、その三名と凪雅の動向にある。
 つまりは、彼も、既に帰路に着いた陣内左衛門と同じ心配をしていたのであった。
 部屋に集まった作兵衛の仲間内五人は銘々顔を見合わせ、作兵衛の懸念について思いを巡らす。

「まあ、格好の仕返しの機会だとは思うけどね。どうせ個人的に復讐できる根性なんて無さそうな奴等だし、此方も遠慮無く返り討ちにしてやれば良いんじゃないの」

 伊賀崎孫兵の表情はすんと静かではあったが、その眼差しは、小さく弱い生き物を嬲る者に対する嫌悪と侮蔑に溢れて冷ややかも冷ややかだ。

「多分、凪雅に仕掛けられたら、彼、じゃない、彼女は絶対受けて立ちそうだよね」

 浦風藤内は、『彼女』と訂正はしたが、なんとも違和感の感じる響きに口をもごもごとさせた。
 「そこなんだよなあ」と、作兵衛は悩ましげに眉根を寄せる。

「受けて立ちそうだが、組みつ解れつしている内におなごだってバレたら事ではないか」

 神埼左門は、「まあ、全くおなごらしい身体着きではないが」と着け足し、三之助がそれに同意を含んだ小さな笑い声を上げた。

「まあ、其処は置いといて。仮にも女の子が、本気で掛かってくる男とやり合って怪我でもしたら大変だよ」

 三反田数馬は穏やかそうな面差しをしかめながら言った。保健委員会委員長代理らしい意見に、皆、うんうんと納得の頷き。

「一応、お姫様なんだよなあ、あれ」

「本人にその自覚も無いし、そう思わせるつもりも毛頭無さそうだけれど」

「だがやはり、一国の城主の嫡子が、戦でも無いたかだか組手の授業で大怪我などとなれば問題だろう」

「分かってくれるかお前ら」

 作兵衛はほうと息を吐いて、仲間達を見渡す。

「で、誰が組む」

 それには再び全員が黙り混むのだった。

「……言い出しっぺ」

 暫時、孫兵が呟きながらきろんと作兵衛を見る。

「え!?いや、俺は無理!怪我させそうで怖いしつーかあいつなんか怖いし!!」

 『武闘派』と、曾ての委員長と同じ二つ名を頂く作兵衛は然し、情けなげに顔色を悪くして「無理だ無理だ」と、手を振る。
 あの一片の躊躇もなく繰り出された拳と凶悪な表情は作兵衛の記憶に未だ鮮やかである。
 作兵衛の『武闘派』なりの見解では、凪雅は、性質としては先手必勝型。力任せに捩じ伏せる様な戦い方を好み、実力としては、此方が本気を出さなければ抑えれないが本気を出せば怪我をさせてしまう程度の強さ、である。
 一方、作兵衛は、相手の攻撃をいなすのを基本とし、力では無く速さを重視し相手の動きの隙に乗じる戦法を好む。
 凪雅とは相性が悪い、やりにくい相手だと、作兵衛は判断していた。

「私は相手しても良いぞ」

「駄目だよ左門。あんな無頼漢。それより僕と組もう」

 左門の挙手を間髪入れずに抑える孫兵に、数馬と藤内はまたかと苦笑する。

「また孫兵の左門贔屓だね」

「孫兵、同じ相手とばかり組んでも勉強にならないよ」

 藤内の助言に、孫兵はすんと鼻を鳴らすだけ。

「良いんだよ、組手自体そんな得意でもないから」

「孫兵は虫獣遁ならば誰にも負けないもんな!」

 我が事の様に誇らしげに言った左門に、今まで色に乏しかった孫兵の表情にふわりと花が綻ぶような笑みが浮かびだす。それを見た数馬と藤内は益々苦笑を深くするのだった。
 然し、孫兵の『無頼漢』発言には誰も訂正の一つも入れないのである。

 作兵衛は小さく咳払いする。

「話がずれてきちまってるぞ」

「だから、言い出しっぺ」

「いや、だから俺はあれとは」

「んじゃあ、俺が組むよ」

 ゆわんと、上がった腕を揺らしながら三之助はへらりと笑みを浮かべた。

「あの毒獅子とは一回腕試ししたかったし、作兵衛の話を聞いて余計興味が出てきた」

「毒、獅子……?」

「あ、それ俺が付けた内緒の渾名だから、口外しないでね」

 作兵衛は、真剣見の欠片も無い、何処かぬぼっとした容貌の同輩をじとりと見る。
 『独活の大木の様な奴』だと常から思ってはいるが、体育委員である三之助の身体能力と場数は既に自分には追い付けない程になっているのも重々承知だ。

「怪我はさせるなよ……」

 念を押せば、三之助が返すのは怪訝な表情。

「作兵衛も、数馬も、左門も、怪訝は駄目っつーけどさあ、何が駄目なんだぁ?」

「え」

 首を傾げる三之助に、今度は作兵衛が呆ける番だった。

「そりゃ、行儀見習いで入ったくのたまなら怪訝させちゃ駄目なんは俺でも分かるよ。でも、あれは違うだろ」

 三之助の表情はひたすらに不思議そうで、作兵衛も「それは、」とやや言葉に詰まる。

「だから、左門も言ったろ。凪雅は城主の嫡子なんだ。俺達とは違うんだよ」

「違わないだろ」

 あっけらかんと言った三之助に「何言ってんだよ」と呆れる作兵衛。だが、三之助も「作ちゃんこそ何言ってんの」と唇を尖らせる。

「凪雅は忍者になる訳じゃないけど、武人になる為に此処に来たんだろ?強くなりたいってのは俺達と違わないじゃん。怪我も何も無くて戦えないし強くなんてなれっかよ。向こうが男扱いしろつってんのに、何の気を遣ってんの?」

 三之助は一気にそう言い終えた後に「変な作ちゃん」と付け足して笑う。
 悪気や馬鹿にする様な色が無い分、作兵衛は反論する余地を無くしてしまった。

「……あー、でもよ。やっぱり、」

「まあ、三之助が言うことは一理あるし、第一、先生方が事情を知る僕達に何も言って来ない所を見れば、学園側の方針も三之助寄りの考えなんだろうね。男で通すし、男として接するべきなんだ」

 口ごもる作兵衛の弁舌を拾うかの様に、藤内が言った。
 溜め息混じりに言ったその表情と声は、然し、「ただ、」と口にした途端、微かに凛とした空気を纏う。

「それは、下らない憂さ晴らしに付き合わせる理由にはならない。組み手は近接戦の訓練で喧嘩ではないんだ。ならば、凪雅が学べる為にも此処は三之助が組むべきだと僕は思う」

 作兵衛はどう思う、と、藤内に問われ、作兵衛は漸く表情を弛め、「俺もそう思う」と返した。
 冷静で的確な判断。それを伝える的確な言葉。ただ、それは藤内の真摯な努力の賜物であることを作兵衛達は良く存じており、その努力に敬意を抱いている。
 だからこそ、浦風藤内は、彼等の参謀であった。

「けども、やっぱり男女の身体は違うもんだから、三之助も暴走すんなよ」

 そんな参謀の言葉に、穏やかな見た目でありながらもその実、学年随一の荒くれ者は、幼子の様な素直さで「うん」と頷くのだった。


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