花と嵐

□春が満ちれば花が踊る
2ページ/2ページ


 さて、場所は転じて黄昏時城下の町。春の陽気に浮き立つ市井には、盆梅の店が立ち甘茶や饅頭の売り子が色声良く練り歩く。
 その往来を馬で行く娘と、馬に連なる若い男がいた。

「なんじゃ、あのお嬢様は」

 縁台で賽子遊びをしている男達が通り過ぎたそれに目を瞬く。

 娘は虫の垂れ衣に顔を隠し、その着物の質からしてそれなりの身分のものに見えるが、良家の子女にしては馬の乗り方が妙に堂々と手慣れた様子であった。何せ隣の男が馬を引いていないのである。娘は横座りに背を伸ばし、器用にも自ら手綱を操っていた。
 不意にその若い男が此方を睨んできたものであるから賽子遊びの男達は慌てて視線を逸らす。
 然しあの男、見覚えあるぞ。と、男達はまた然り気無く、馬上の娘に何かしら話しかけている渋面の横顔を見た。

「あ、思い出した」

 昼もまだ早い内から酒気に赤い顔をポカンとさせて、男達の一人が、「ありゃあ、」と、呟く。


「あれは、まあ、忍軍の」

「まあ本に。忍軍の陣内左衛門殿じゃ」

 市井へと遊びに出ていた家臣の姫達である。被衣を僅かに持ち上げ、白粉を施した美しい面輪を驚きに歪めている。視線の先には、見知らぬ娘を乗せた馬に伴って歩く若い男。
 忍軍筆頭、狼隊小頭、高坂陣内左衛門は、その武功ぶりと見た目の美丈夫より、家中の姫娘達の評判の的であった。
 同時に『女嫌いの陣内左衛門』と有名でもあったのだが、今然し、

「連れているおなごは誰じゃ」

「垂れ衣で顔が見えんかった。然し良い着物じゃったぞ」

「まさか、嫁御か!?」

「あの陣内左衛門殿に!?」

 おろおろとする従者もそっちのけに、きゃあきゃあと沸き立ち出した姫達の輪から、二間程ばかし離れた茶屋にて、ぶびびと汚い音を立てた者がいる。

「……は、え……こ、高坂さん…………!?」

 ぶびびと噴き出した甘茶で胸元を濡らしながらもそれを気にも止めず、ポカンと呆けた顔を引っ提げている若い男。
 目鼻立ち整った凛々しい顔立ちであるのに如何せん、口から溢れている甘茶が締まりの無い。

「壮太さんたらどうなされたの」

 隣に座る女がクスクスと笑いながら白い指で直接男の唇を拭う。
 化粧と髪の結い方から見て、女は浮かれ女だ。
 浮かれ女と茶屋で逢い引きしていたろうその男は、はっと我に返った様に女を振り返ると、口元にあった白い手を掴む。

「ミツハちゃん、俺とっても大事な用事を思い出した!今日は此処で!また店に行くよっ!!」

「えっ、あ、ちょいと!」

 二人分の勘定と、女への花代だろう小銭を縁台にチャランと置くや否や、男は羚羊のような軽やかさで走り出す。

「なんだい壮太め!暫くぶりのお非番だったんだろうが!!この唐変木っ!!」

 女は金にも目をくれず茶屋から駆け出して怒鳴るが、当の唐変木の背中は往来からは既に立ち消えている。
 この怒鳴り声だって聞こえていたのやら、女は悔しげに腕を振り下ろしながら地面を足で打つのであった。

「全く!此れだから忍の奴等ってのは嫌なんだよ!!」

 唐変木、もとい、黄昏時忍軍黒鷲隊所属、反屋壮太。
 本日の非番も返上、逢い引きもそっちのけに駆け付けんとするのは黄昏時城、三の丸手前、黄昏時忍軍詰所である。

「うおおおいっ!!お前ら大変だ大変だぞおおおっ!」

 詰所に着くや否やの壮太の大音声に、本日の勤めに出仕中の忍達が彼方こちらから出てくる、出てくる。

「なんだよ、壮太。身綺麗にして、」

「さては、とうとうあの遊女の年期明けか」

「なんだなんだ壮太。所帯でも持つのか」

「そりゃめでてえ。おい誰か万人敵持って来い。祝砲ぶちあててやろうや」

 一人が言えば、本当に万人敵を持ち出してくる者がいるのだから恐ろしい所である。

「それ祝砲じゃなくて殺しに掛かってんだろうが!つうか俺の事はどうでも良いんだよっ!!高坂さんだ!」

 万人敵に着火せんとする狼隊の若衆に飛び掛かりながら壮太は叫ぶ。

「高坂さんが嫁御を連れてきたっ!」


「「「な、」」」




「「「なんだってええええっ!!」」」

 若衆達の怒号が春の麗らかな空を震わす中、壮太が飛び掛かったせいか、端また、彼等に走った仰天同地の動揺のせいか、万人敵にうっかりと火種が移り、辺りは更に阿鼻叫喚の様相になるのであった。


 黄昏時領、春真っ盛りの穏やかな昼間、で、あった筈である。



「……忍軍詰所が騒がしいな陣内左衛門」

 黄昏時城門前、そう呟いた馬上からの声に、高坂陣内左衛門は答えない。

 馬上の娘は、陣内左衛門が答えぬのを気にする風でもなく、その炸裂音と叫び声が轟いた方角へと虫の垂れ衣越しに視線を送り、ふっと息を吐くや否や、横座りの脚をがばりと開いた。

「凪姫様」

 漸く言葉を発した陣内左衛門に対して娘は、「この成は乗りにくうて敵わぬ」と言い捨てる。
 小袖を割り、剥き出しになった脚は、『姫』と呼ばれる者のそれにしては頑健に過ぎる印象。やや褐色がかり筋の張り出した逞しいそれでしっかと馬の腹を挟み手綱を握り直す。

「もう市井の人目は無い」

「……先程までも充分目立っておりました。私が引きますと散々申し上げましたのに、聞く耳の一つもお持ちになられぬのですから」

「まあ、仕方無かろう。引かれた馬に乗ると逆に調子が合わんのじゃ」

 陣内左衛門の溜め息と共に、城門の衛士が此方へと駆けて来た。

「何奴じゃっ!」

槍を片手にしたその衛士の前へ立とうとした陣内左衛門を小袖の手が馬上から制する。

「共に剣術遊びをした友を忘れおったか、権蔵」

 虫の垂れ衣が、その手に持ち上げられる。
 其処にある顔。
 褐色の肌を切り開いた眼。
 野太い眉。
 顔の半分には痣をこさえて影にも赤黒い。

 衛士の権蔵は息を呑む。

「あ、嵐様っ!!」

 黄昏時城城主、黄昏甚兵衛が息女、凪雅。
頂く渾名は『嵐様』。

凡そ二十日ぶりの帰城であった。

 
.
次の章へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ