花と嵐

□徒花は打ち捨てられる
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※……オリジナルキャラ、前作夢主(名前変換無し)登場。


「彼の方は、忍軍詰所じゃな」

 黄昏時城城主、黄昏甚兵衛は目を通していた書面より顔を上げて、そう呟いた後にまた書面へと顔を戻す。
 部屋の隅に控えていた男はその呟きに「は、」と曖昧な返事を返して後、静かに立ち上がる。
 黄昏時城三の丸出前、忍軍詰所は、此処より最も遠い場所にあるというのに良く聞こえたものである。と、男は然り気無く、主の背に目を向けた。

「山本、構わん。見に行けと言うた訳ではない」

 此方を見ずして言った甚平に、男、黄昏時忍軍御目付け役の山本陣内は、再び「は、」と短い返事を返し、その場に音もなく腰を下ろした。
 陣内の極個人的な心情としては、先程の炸裂音と怒号の正体を一刻も早く見に行きたい所存ではあったが、実直真面目な性格と、長らく身を置く中間管理的立場から染み着いた堪え性が、彼をその場にしっかと縫い止まらせる。
 ただ、普段より潜められがちな眉間に、少しばかし深い皺を結ばせはしていた。その眉間の下ある眼光鋭い両の目には色が染みきった隈が渡っている。肌は良く日に焼けていたがそれは快活さというよりも、身を粉にして働いてきた男の草臥れた佇まいがあった。然しながら、忍びの身。その座する佇まいには一分の隙も無いのである。

 陣内が座して後、はらりと紙が捲られる音が四、五回程した辺りで、甚兵衛が再び顔を上げる。

「次は二の丸か……女中どもが煩いな」

「どちらを見て参りましょうか」

 甚兵衛の呟きに、やや食い気味に腰を上げた陣内へ、くはっと短い笑いが被さる。

「お前が気になる方へ行けば良かろう。儂は帰って来た雛鳥の顔でも拝みに行く」

 ざっ、と、立ち上がった、城主黄昏甚兵衛。
 齢四十六。細身ではあるが弱々しさからは程遠く、真っ直ぐな背筋と、迷い無く然し静かに歩む様と、ぎょろりと前を睨む眼は狡猾な蛇を思わせる男である。
 その横顔が開け放たれた部屋の戸の向こうへ消えた直ぐに、陣内はその背を追いながら静かに歩き始める。「律儀め」と、甚兵衛がまた、くはっと笑うのであった。

 一方、城門を潜り山城を登っていた黄昏甚兵衛が嫡子、凪雅は程無くして馬から飛び降りた。二の丸の屋敷より転がるように此方へと駆け寄ってくる二人組に気付いたからである。

「おこう、つる。調度良い。儂の着替えを、」

「んまあ、まあ、まあまあ!!何処ぞの姫御前様かと思いきや嵐様!」

「凪様、とうとうおなごの格好をなさいましたか!」

「いや、もう脱ぐので、儂の袴を」

「これは是非、吹の方様にもお見せ致さねば!」

「この様な淑やかなお成り、さぞお喜びになるでしょうね!」

「聞かんか」

凪雅の周りに取りすがるのは、城の女中達である。

「おこうは嬉しゅうございます。忍術学園とやらに行かされると聞いた時はもうどうなることやらと」

 その一人、おこう。小柄な体に真っ直ぐな髪。それなりの年増ではあったが、頬骨にうっすらと渡る蕎麦粕が彼女を未だ瑞々しい少女の様に見せる。

「そうですよぉ。凪様はお嫁には行かれ無いでしょうから、つるはずっとこの黄昏時城で凪様のお世話ができると思っていましたのに!」

 もう一人、つるは、その名が表す通りに白くほっそりとした首を持ち、黒と呼ぶにはやや明るい色の髪がゆるゆるとうねっている。

「忍術学園とやらはどうですの!?」

「素波どもに噛み付かれてはおりませんか!?」

「さあさあ、お疲れでしょう、今湯を持って参ります」

「そして是非に吹の方様にお顔をお見せ致しましょう!」

 元気が良いのは宜しい事だが、何分、この、おこうとつる。凪雅の側仕えである二人の女中は人の話というものをとんと聞かないのである。
 凪雅は深々と溜め息を吐くと、「見せれると思うか」と乱暴な手付きで市女笠を取り払った。

「この顔を、」

 虫の垂れ衣の奥から、春の陽光の下に現れ出でた凪雅の顔。
 浅黒い肌と、それを切り開いたかの様な釣り上がった眼は母方の祖父譲り、への字を結ぶ口と不遜な雰囲気は父である黄昏甚平から譲り受けた。唐獅子の様な顔の横では下ろした黒髪が風に揺れている。
 然し、その出で立ちだけなら姫然としていた凪雅の顔の左側に、おこうとつるは「んぎゃあ!!」とあられもない叫声を上げたのだった。

「どどどっ、どどっ、どうなさいましたのですかっ、そのお顔はっ!?」

「落ち着け、おこう」

 左側には大きな当て布がされてある。然しながら、当て布の下からでもそこが酷く腫れ上がっているのが分かった。頬骨の辺りから明らかに右側とは形の違うように見えるそこは全体的に赤黒く、目の回りに至っては青黒いのであった。

「まあ、あれだ。修練に励んだ結果じゃ」

「陣内左衛門様!此れはどういう事じゃ!」

「貴方が着いておきながら何故、凪様のお顔が滅茶苦茶に!」

「ええい、だから凪の話を聞かんか!!つる!滅茶苦茶は言い過ぎだっ!」

 凪雅を押し退ける勢いで、後ろに控えていた高坂陣内左衛門へと詰め寄るおこうとつるに、とうとう凪雅も声を荒上げる。
 だが、当の詰め寄られている高坂陣内左衛門、黄昏時忍軍狼隊小頭にして凪雅の側仕えである彼は、その流麗な印象の顔を少しも動かす事無く、詰め寄る女中二人にも目を合わさない。

「このお顔は凪姫様御自らが選んだ結果にございます。ご忠告は申し上げ致しました……姫」

「なんじゃ」

 陣内左衛門の様子を呆れた顔で見ていた凪雅は、ふと、陣内左衛門の視線が凪雅の向こう側を見ているのに気付いた。

「まこと、母君に会わせる顔では無いと思い遊ばせるのでしたら、今すぐに笠を被りなさいませ」

 その言葉に、凪雅は咄嗟に振り向いてしまった。
 其処に棒立ちになっている人物に、凪雅は「しまった」と、まだ痛む顔を引き釣らせる。

「は、母上……」

「凪……か……」

 凪雅の母。つまりは、黄昏甚平が内室の一人、吹御前は、凪雅と良く似た控えめな鼻が乗った、然し、凪雅とは違う優美な印象の顔をあれよあれよという間に蒼白にしていく。

「あ、ああ……」

 そんな掠れた呻き声を上げた途端、どさりとその場に後ろ向きに倒れ込んだ吹御前に、おこうとつるはまたも「んぎゃあ!!」と叫び声を上げるのであった。

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