花と嵐

□徒花は打ち捨てられる
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 黄昏時忍軍忍組頭、雑渡昆奈門は、はふっ、と、息を吐いた。
 丸いその息は憂いの溜め息ではなく、手中にある暖かな湯飲みがもたらした緩みの一息ある。

「また、一段と美味しくなったねぇ」

「新茶の時期にはまだ早いですがね」

 雑渡のふわりと湿る声に答えたてきぱきとした声。忍術学園四年い組、保健委員の川西左近はもう二つの湯飲みに静かに茶を注いでいる。
 かつて雑渡が出会った頃よりも更につんと気性の強そうな顔立ちになった彼の、その手付きは然し丁寧で細やかである。

「で、本日は凪雅の不在にいったいどういったご用件でしょうか」

 左近から湯飲みを受け取り、にっこりと雑渡に微笑みかけるのは、保健委員会委員長代理、五年は組の三反田数馬。

「おや、彼が編入する前からも理由無く訪ねてたろう」

 昼下がりの保健室。向かい合う数馬と昆奈門の空気は和やかだったが、昆奈門の背に凭れている三年ろ組の鶴町伏木蔵はすっと身を起こし、昆奈門の背中越しに数馬の顔を見た。
 唇がぱくぱくと動く。伏木蔵お決まりの台詞を音もなく紡いだそれに、数馬は首を微かに横に振った。
 数馬は後ろからも視線を感じる。
 昆奈門からの手土産を取り分けている三年は組の猪名寺乱太郎が数馬の背に注ぐ視線は気遣わしげだ。
 一年生達がやってくるまで後四半時程か、数馬はしれっとした風情で人数分の茶を淹れ続けている左近に少し目をやり、それから昆奈門に視線を戻した。

「息抜きも良いですけども、お仕事は大変じゃあ無いのですか」

「大変だから息抜きに来るんだよ。左近君、お代わり頂戴」

 左近に湯飲みを差し出し、昆奈門が横に流した足をゆるりと撫でた。

「膝の薬をお出ししましょう」

 数馬は立ち上がり、薬棚へと向かう。

「助かるね。お姉さんから文は来てるのかい?」

「ええ来てますよ。相変わらず元気にやっているみたいです」

「ふぅん、そりゃあ良かった。なにせあの子、私には文の一つも届けてくれないんだもの」

 昆奈門は包帯の端から見える火傷を指で少し掻いた。

「また誰かさんが止めてるのかと思っちゃった」

 にやりと笑う。数馬はそれを見て、またにっこりと笑う。

「便りが無いのが良い便りとも言うでしょう」

「君は、」

 その時、乱太郎が昆奈門の前に菓子を乗せた皿を置いた事で言葉が途切れる。
 数馬は薬棚から取り出した薬草を薬研で擦り出した。

「……君は、先代とは似てるようで違うよね。三反田数馬君」

「そりゃあ、違う人間ですもの」

 それに、と、呟いた数馬が擂り潰したそれらで湿布を作り始めれば、伏木蔵が再び身を起こして昆奈門の前へと回る。
 昆奈門は手で制する仕草をすると、足袋を脱いで、袴を捲り、自ら膝の周りの包帯を解いた。

「僕みたいなのが一人や二人いないと貴方も張り合いというものが無いでしょう」

 露になった膝の、炎症を起こしているだろう部分に数馬が湿布を貼れば、その冷たさに昆奈門の右目が極微かに眇られ、それはそのままきゅうっと細い笑みの形になる。

「……凪雅はどうだい?上手くやれている?」

「ええ、此処に馴染んでるとは思いますよ。僕より高坂さんからお聞きになる方が早いでしょうが」

 両膝に湿布を貼り終えたら、伏木蔵が新しい包帯を取り出して雑渡の膝へと巻いていく。それを見下ろしながら雑渡は、ふっふと、低い笑い声を立てた。

「…………あの兄弟は、どうも仲が良くないからね……ああ、そうだった、」

 包帯を巻き終えた伏木蔵の肩を有り難うと叩いた昆奈門は、ふと思い付いたかの様に顔を上げた。

「斉藤タカ丸君は、今何処にいるかな?」

「六年生でしたら、今日は裏々山にて野戦の実習中です」

「成る程」

 昆奈門は皿に盛られた菓子をひょいと口に入れて、それから二杯目の茶をずずっと飲み干すと、「よっこい」と腰を上げる。

「年寄り臭いですよぉ。こなもんさん」

 伏木蔵がにやりと笑って昆奈門を見上げれば、昆奈門はまた低く笑いながら肩を竦める。

「そりゃあ、こなもんさんはそろそろ隠居の身だからね」

「ご冗談でしょう」

 一笑した数馬に、「皆そう言う」と少し拗ねた声色で返した昆奈門はひらりとした動きで、保健室の戸から外へと歩き出した。

「また来るね」

 そう戸から出した顔が、ふっと戸の向こうへ隠れれば、同時に気配が立ち消える。
 すると、「ふはぁ、」と、そんな溜め息を吐いたのは乱太郎だった。

「数馬先輩。毎度この流れ、いい加減心の蔵が痛いんですが……」

「来年は上級生になるのに、此れくらいで痛むようじゃ考えものだよ乱太郎」

 疲労の滲む声の乱太郎に、数馬は雑渡が皿に残した菓子を口に放り込んでモゴモゴとそう返した。

「大丈夫。あの人は楽しんでやってるから。三河に仕える者と軽々しく文をやり取りできない事も分からない人間が忍組頭な筈もない」

「ふふふ、スリルゥ」

「次来るのは新茶の頃かな、いっそ菓子だけじゃなく茶葉も差し入れて欲しいもんですよ」

 各々に胆の据わった委員会の仲間達に、乱太郎はまたも溜め息を吐く。
 
「それにしても、雑渡さんはタカ丸さんに何の用だったんでしょう」

 乱太郎の潜めた眉は、危ない事が無いと良いのだが、と如実に語っている。それを見て取って数馬は笑みを浮かべた。
 己よりも余程、『先代』の気質を受け継いでいる様に思う後輩に向けたそれは、昆奈門へのそれよりも随分と優しい柔らかな笑みであった。

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