花と嵐

□松は青く、牡丹は赤く
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 黄昏時城が主、黄昏甚兵衛は、二の丸へと向かう道の向こうからやって来る一団にふと足を止めた。
 次いで、一団の先陣を切っている人物に、口の端をにやりと歪める。

 その人物が身に付けている暗い樺茶の地に銀朱の瓢箪が踊る小袖は、甚兵衛の若かりし頃の着物を下賜したものだ。合わせる袴は黒緑。春の長閑な昼下がりにおいてその姿はまるで鉄の杭を打ち込んだようであった。
 全く以て小気味良し。と、甚兵衛は笑う。すると、鉄の杭もまた、坂道の下より此方へ笑い返してきた。
 鉄の杭の面差しは、褐色気味の肌を切り開いた両の眼の鋭さが、その笑みよりも先に印象に残る。
 そして、何よりも、その顔の左半分を影の様に渡る赤黒い痣といっそうに白い当て布は、見るものを一瞬怯ませる気迫があった。

「父上!」

 然し、次の瞬間、その眼光鋭い眼は無邪気な光を帯び、ぶんぶんと頑健そうな腕が甚兵衛に向かって振られる。
 それを見て、甚兵衛は、ふはっと、一笑した。

「若武者の成りをしながらもまだまだ愛い雛鳥じゃ、凪雅」

 付き添う女中二人をその場に置いて、高く結わえた黒髪を揺らしながら、傾斜の強い坂を一気に駆け上がってくる己の嫡子、元服させた息女、凪雅に、甚兵衛はそう声を掛ける。そうして、凪雅が間合いに近づいてきたや否や「うりゃ」とその左側の赤黒い頬を軽く叩いた。
 ぴしゃぴしゃと、数回頬を打てども、凪雅は痛みに顔を歪めなどしない。それどころか、甚兵衛の「良き面構えじゃ」との言葉に、低い鼻に皺を寄せながら嬉しげな笑みすら浮かべるのだった。

「この面構えは如何にして作った?」

 甚兵衛の問いに凪雅は「殴られました」と端的に答える。

「忍術学園の組手の授業において殴られました」

 凪雅の答えに甚兵衛は満足気に頷いた。

「そうかそうか。若い内に一度や二度、殴られておくのも良かろう。儂程の年になると誰も殴ってくれはせんからな」

 追いついた二人の女中が、「父と娘の会話じゃございませんね」と密やかに言い合っている。
 凪雅はその女中二人を振り返り、もう屋敷に戻るよう声を掛けた。

「ご苦労であったつる、おこう……また後で来てくれ」

 ほんの一瞬、凪雅が口ごもったその間に、女中二人は深々と頷いた。内一人、ほっそりとした首とやや明るい髪色が目立つ中年増が、ついっと、甚兵衛と凪雅の方に歩み出る。

「此方、吹の方様が、殿へ御献上とお預かりしております」

 そう甚兵衛に差し出されたのは極ささやかな作りの松であった。
 凪雅の眉が、ほんの微かに動く。甚兵衛の表情は、唇を歪める寸前の様であった。
 作りの松はまだ若く枝振りはあまり宜しいとは言えなかった。鎮座する鉢も、簡素な土焼きである。

「鉢木は好かぬ」

 そうぞんざいに言い捨て、甚兵衛は片手に鉢を持ち上げる。

「こう、ぱちんと切り落としとうなってのぉ」

 甚兵衛の指が細い枝の一つを掴む。
 細首の女中はにこりと微笑んだ。

「吹の方様が、殿に、大切にして頂きたい……と、申しておりました」

 甚兵衛の口の端は、本格的に歪んだ。

「あれにはこう返しておけ。誠、他愛なき松山、如何様にも波は越えおるとな」

 踵を返す甚兵衛は、鉢を持つ片手に、もう片方の手を添えた。
 凪雅はそうして歩き始めた甚兵衛の背が、三歩遠ざかるのを見て、己も歩き始める。
 大股で歩く凪雅は、直ぐに甚兵衛の隣へと並び立った。

「おぬしに着けた豺はどうした」

 甚兵衛が、問えば、凪雅は笑みを浮かべる。赤黒い頬が歪む様はやはり痛々しさよりも気迫が目立つ。

「中々に手綱を握らせませぬ」

「ふむ。まあ、昔は儂も苦労した」

 甚兵衛は、さも可笑しげに、唇の端からふっふと笑いを溢して、「のう、」と、背後に声を掛ける。
 凪雅の眉が、またひくりと動いた。
 其処に、凪雅と甚兵衛の後ろにずっと着いていた男がいた。
 男は、姿を隠してなどいなかった。にも拘らず今更に、いたのだとに気付かされた凪雅は、「流石じゃの陣内」と、その男、黄昏時忍軍御目附役、山本陣内に声を掛けた。
 陣内は凪雅に静かに頭を下げる。

「おぬし程の者でも、昆奈門より位は下なのだな」

 そう溜め息混じりな凪雅の口調には素直な感嘆が乗っていた。陣内の表情は変わらないが、微かに目に笑みが浮かんでいる様に見える。

「忍は、実力主義に御座います故」

 山本の答えに、凪雅は、「成る程、良い方針だ」と、頷くのである。





 二人の主と、その側近を見送った二人の女中はやれやれと息を吐いた。
 その一方、小柄な体躯に、うっすらと頬に浮いた蕎麦かすがいとけない娘の様に見える女が、隣の同僚をきろんと見る。

「つるったら、ほんと見た目に寄らず怖いもの知らずだよ」

 彼女につると呼ばれた細首の女中は、「見た目は関係ないだろ」と、言い捨てる。

「おこうは此れぐらいでうちの殿が怒ると思うのかい」

 おこうと呼ばれた小柄な女中はふるふると首を横に振る。

「いんや、然し吹の方様は気が弱いんだか強いんだか分からんお方だね」

「御武家の姫様だからね。殿も人が悪いが、吹様は輪を掛けて曲者なんじゃないかと思うときはあるよ」

 今はまだ泣いてるだろうけどね。と、付け加えたつるに、おこうは深々と頷くのであった。

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