花と嵐

□あちらが泣けばそちらが笑う
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 黄昏時城主、黄昏甚兵衛の息女、凪雅が本日の寝泊まりに選んだのは、父、甚兵衛のいる本丸の屋敷ではなく、母、吹御前が住まう二の丸の屋敷であった。

 その事を、凪雅が城にいた頃の側仕えであった女中二人の内、おこうは、優しい心遣いであると思ったが、反してもう一人の女中、つるの方はそう単純なものでも無いだろうとおこうに言い返す。

「母と娘だもの、切りたくても切れないものがあるのさ」

「いんや、どんだけ逞しい成りをしていたって、凪様はむかしっからお優しかったもの」

 そんな言い合いをしながら、己の寝所をしつらえてくれている二人に、凪雅は苦笑めいたものを口許に浮かべている。

「相変わらずじゃな、二人は」

 本人を前にして、遠慮というものが無い。凪雅にとってはそれがある種気楽でもあった。

「母上は、どうしている」

 凪雅は、部屋の戸口に凭れ、わいわいとかしましい部屋の内の二人に聞いた。
 おこうは、少し眉を下げ、つるは少し眉を潜めた。

「泣いていらっしゃいますよ」

「ちょっと、あんた。そんな正直に」

 おこうが咎めたが「凪様に隠し立てなんてきく筈ないですものね」と、つるはその名を表すような細い首をしゃんとさせ、凪雅を見る。凪雅はまた、口の端を歪めるようにして笑う。

「凪様が哀れだと、自分があんな風に凪様を産んでしまったせいだと其ればかりでございます」

「あんな……醜女(しこめ)にか」

 そう笑い混じりに、歪めた口の端に指を引っかけてぐいと歯を剥くようにした凪雅に、ぽんぽんとした物言いであったつるも、その隣でまごまごとしていたおこうも、何とも難しげな表情になってしまう。

「……凪様のご冗談は、昔から笑うに笑えませんね」

 おこうが溜め息と共にそう言えば、凪雅はとうとう、軽い笑い声まで立てた。それから、ふっと、首を巡らせ、庭に植わる木に目を止める。
 やや褐色を帯びた肌を切り込んだ様な眼をきゅっと細くした凪雅は、草履を引っ掛けて、その木に向かって行くのだった。

「儂ごときに気付かれるとは、弛んどるぞ陣内左衛門」

 木を見上げながら、そう呟いた凪雅の前に、音も無く一人の男が現れた。

「全く気取られぬ様にしてしまうと、逆に不信を抱かれましょう」

 黄昏時忍軍狼隊小頭、高坂陣内左衛門は、言い捨てる様な口振りでそう返した。

「はあ、成る程。気に入らぬ主の寝首をかくのも、お前の様な技を持つ者達なら容易かろうしなあ」

 凪雅の返しに陣内左衛門は、流麗な印象のある相貌を、不快そうに歪めた。

 ああ本当に、儂の周りは正直者ばかりだな。

 と、凪雅は表情こそは変えぬものの、呆れた失笑を胸の内に浮かべた。

「つまらぬ冗談を仰らないで頂きたい」

「儂は何時だって思うたままを言うとるだけだ。で、お前は、昆奈門には会えたのか」

 陣内左衛門の渋面はますます渋味を増していく。
 凪雅は、「儂を睨んでも仕方無いだろうに」と、少しばかし宥めるような口調で陣内左衛門を見上げる。
「睨んでおりません」と、陣内左衛門はそれでも険のある目付きで凪雅を見下ろしている。

「この顔は元からでございます」

「ほう」

 凪雅の手がふっと上がる。
 身構えた陣内左衛門の、その頬を、節張り気味の手がぴしゃぴしゃと打った。

「少しでも笑えば喜ぶおなごが沢山いそうな面だのにな」

 そう、からかうような声色で、凪雅は陣内左衛門の頬を打つ。
 陣内左衛門は抵抗もしないが、その眉間の皺を更に深める。

「家中の姫達が、お前が嫁を貰ったと騒いでおった。なんでも、市井でおなごを乗せた馬を連れておったとか」

 ぴしゃんと、柔らかに陣内左衛門を打つ手。凪雅の笑いを含んだ声には面白げな響きがある。

「まことに不本意ですが、家中の皆様には、そう思わせておきます」

「ああ、そうだな。お陰でこの凪の帰城は家中のごく一部しか知らぬことになっておる」

 凪雅は、陣内左衛門の頬を打つのを止め、ふと後ろを振り返った。
 茜の日が差し込み光る屋敷の屋根、杉の葉の向こう、本丸の屋敷は見えぬがその方向にある。

「まあ、先程も言うた様に、本丸の方で姫達には会ってしもうたから、あっという間に皆に知れる事になるだろうがな」

 目の端で陣内左衛門が、あからさまに溜め息を吐くのが見えた。
 凪雅はそれを振り返ることもなくそのまま踵を返し屋敷へと戻る。
 着いてくる衣擦れの音に、すんと鼻を鳴らした。

「己の家なり、忍軍詰所なり、好きな所で寝れば良いだろう」

「勤めゆえ、致し方無いと思っております」

 凪雅は振り返り、陣内左衛門を見た。『醜女』と自嘲するその顔立ちは、確かに、城主の娘、齢十四の姫らしからぬものであった。
 凶悪な獣が獲物を睨みつけている様な形相であったが、その表情は陣内左衛門の言葉を借りれば『元から』のものであり、不穏な雰囲気はあるがその実怒っているという訳ではない。
 粗暴に見える顔付きの中で眼だけが理知的に光り、その不調和に陣内左衛門は目を眇る。

「お前は、まこと追従下手であるが、正直な所は良いな」

 凪雅は、この時も思ったままを言っただけであった。
 陣内左衛門の表情が変わらぬ渋面であるのを見て、満足気に頷いた凪雅は、しつらえの終わった部屋へと入り後ろ手に戸を閉めた。

 陣内左衛門は閉ざされた其処を暫し見ていたが、やがてまた深々とした溜め息を吐いて、廊下の端から此方を伺っている女中二人に目を向ける。

「寝具の用意はいりませぬので、隣室をお借りしても良いでしょうか」

 女中二人が構わないと頷くのを目の端に見ながら、陣内左衛門は彼にしては珍しく重たげな足取りで、屋敷へと上がるのであった。

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